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感動は、儲からない?

ものごとの評価には、

不満→満足→感動

と段階がある。

ぼくは「感動」が一番いいと思っていたし、お金も「感動」が一番稼げると長らく思っていた。

けれど、よくよくみると、そうじゃない。

Amazon、Google、Facebook、日本なら、トヨタ、ユニクロ、ソフトバンク、楽天といったところか。こうした誰もが認める大企業は「感動」よりもむしろ「満足」をつくっている。電気、ガス、水道のようなインフラに近い「目に見えない満足」になることで、多くのお金を生んでいる。

感動の大きさから言ったら、ディズニーや東宝や集英社やスクウェアエニックスの方が(個人的な偏りがあってすいません)ずっと大きいはずなのに、時価総額や経常利益はそうなっていない。

そのことをずっと不思議に思っていた。

そう言えば、ディズニーランドに入社が決まったとき、友達の入る大手食品会社の内定者に「ふっ」と鼻で笑われたことがある。

そのときは意味がわからなかったけれど、その後、ぼくの入ったオリエンタルランドが彼の入った食品会社よりもずっと経済規模が小さいと知った。

でも、ぼくにとっての魅力はまったく逆で、その感覚はいまだに変わっていない。「ビジネス」と呼ばれる領域の価値観に、いまいちついていけないのも、そのせいだと思う。

「感動」をつくる仕事は「満足」をつくる仕事とは違う。
それは、ビジネスというより博打に似ている。

しかも、一度感動させたら、その過去の亡霊がずっと憑いてくる。
それをこえるために、まためちゃくちゃコストをかけなくちゃならない。

たぶん「ビジネス」的には、割に合わない。

『進撃の巨人』は、凄まじい。
Amazonより、Googleより、凄まじい。

でも、稼いでいるお金はずっと少ない。

別に Amazon や Google が嫌いなわけじゃないし、その恩恵にめちゃくちゃ預かっているけれど、物差しが違うと思うことがある。なんでこんなつまらないものが、こんなに稼いでいるのかなって言いたくなる商品やサービスも多い。でも、世の中は、そういうふうにできている。

さて、なぜこんなことを長々と書いてきたかというと、iPhone について書きたかったからだ。

スティーブ・ジョブズが、はじめて iPhone のプレゼンテーションをしたとき、ぼくは本気で「世界が変わる」と思った。

「ビジネス」の領域でこれほど感動したのは、はじめてだったし、当時は、ディズニーランドでアトラクションをつくっていたから「うちもこれぐらいのインパクトを出したい」と思った。

そこには、圧倒的な飛躍があった。
これが「イノベーション」と言われるものかと思った。

でも、今朝「新しい iPhone が出ますよ」という記事をみたら、あの「感動」は微塵もなかった。

「満足」はすると思う。でも、亡霊の渇きは満たされない。
残念だけど、iPhone は、すでに人を「感動」させるプロダクトではなくなったのだと思う。

Apple という会社もそうなってしまったのか。それはまだわからない。

でも「ジョブズがいたらなあ」という声が、新作が発表されるたびに、ぼくの内側で大きくなっている。

そして、ディズニーにとってピクサーがそうであったように、そういう遺伝子は往々にして外部に着床する。

だとしたら、次に世界を驚かせるのは、だれなのか。

ジョブズを継ぐ者は、まだ現れていないように思われる。

「ビジネス」なのに「感動」させるもの。

それに出逢えるのを心待ちにしているのは、ぼくだけじゃないんじゃないかな。

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