大晦日

つらい一年、というのがあってもいい。

今日は大晦日。12月31日。2018年最後の日だ。

今年は、例年フェイスブックでしていた「十大ニュース」を note でしてみることにした。すこし長くなるけれど、お付き合いいただけたらうれしいです。

第十位 甲子園、そして M1。

引越しのバタバタの後、ネットで「熱闘甲子園」を観ていたらどハマりし、はじめての甲子園観戦。

金足農の吉田輝星や根尾、藤原を要する大阪桐蔭などスターが多い年でもあり、最高の思い出になった。こんな記事を書いちゃうくらい。

当時はとてもしんどい時期で、球児たちの熱さには本当に助けられた。

で、同じような感覚を、いま「M1グランプリ」にもおぼえて、どハマりしている。真剣勝負。本気で喜び、本気で悔しがる。そういう熱さに飢えているのかもしれない。

第九位 緑児童館研修「支援とエゴ」。

僕の勤める児童館に「きくこと」を学ぶ同志、フェンスワークスの田中聡くん、大久保尚美さんを招いて研修をひらいた。

自分の職場に他のところで出会った友人に来てもらう、というのは、前々からできたらいいなと思っていたことだった。一方で、異文化が交錯することには不安もあった。「受け容れられなかったらどうしよう」「どちらかがいやな思いをするのではないか」というプレッシャーがあったのだ。

でも、そんな不安は杞憂に終わり、当日はとてもよい時間になった。
別々のところで出会ったすきな人たち同士が交流している。そのことが奇跡のように思えて、くらくらするような満足感を感じたのだった。

第八位 めいが生まれ、叔父が亡くなった。

五月にめいが生まれた。第四子。
妹の家族は、若草物語と同じ四姉妹になった。

そして七月に、父の弟さんが亡くなった。
傍目にも大変な人生を送られた方で、ぼくはこんな記事を書いた。

昨日書いた祖父の話もそうだけれど、父方の家系を思うと人生ってなんなんだろうなあという気持ちになる。ご冥福という言葉があるけれど、本当にそうだといいなと思う。

そして、なぜかこういうことを書いているのがきらいじゃない自分に気づく。

第七位 つくった曲を録音するようになる。

Macに内蔵されている「GarageBand」に歌とギターを吹き込み、「SoundCloud」というサイトにアップするようになったのが、今年の三月。「note」に投稿し始めたのが、八月。

特にこの曲はどん底のときにつくったので、声がザラザラ。でも、この感じがよかったりするから歌は面白い。

はじめはドキドキだったし、いまでも録音の時には緊張して、機械の操作も慣れないけれど、きちんとカバー写真もつけてアップしてあげると曲が喜んでいる感じがしてなんだかうれしい。

来年はもっとたくさんの曲をリリースしていきたい。

第五位 橋本久仁彦さんによるカップルカウンセリング
第五位 『魂うた®︎』ファシリテーター合宿

六位をとばして、五位が二つ。
先に書いたどん底から救ってくれた二つの機会だ。

渋る奥さんを説得して大阪に行き、橋本久仁彦さんに話を聞いてもらったのが 7月30日。この日は、ちぎれかかっていた関係を修復する大きな一歩になった。

橋本さんにはそれまで長い期間「きくこと」について教えてもらっていたけれど、このときにようやく本当の価値がわかった気がする。そのくらい、劇的な経験だった。

そして「橋本さんのところにいってみたら」とアドバイスをくださったのがもう一人の師匠、本郷綜海さん。

秋には長野県の女神山で久しぶりにお目にかかることができ、「他者がいる」ことのありがたみに気づかせてもらった。

しばらくできずにいた『魂うた®︎』も再開できるようになり、それはやがて11月の「男が『男になる』とき」の大爆発につながっていく。

今年、二人の師匠がいてくれたことは、本当に幸運なことだったと思います。ありがとうございます。

第四位 学サポ、ハネる。

児童館の夜に開催している学習会、通称「学サポ」の場が、ものすごい勢いで変化し、育っていった。文字通り「ハネた」。

担当になった四月当初から「変わるだろうな」とは思っていたけれど、去年一年間、一言も話さなかった子が笑顔で会話するようになったり、「テストしてほしい」「勉強してほしい」という子が出てくるようになるとまでは想像していなかった。

この仕事に関しては、僕は「手ばなし」を貫いているので、すべては大学生を中心としたサポーターのみんながしたことだ。でも、それにしたって、マネジメントのあり方でこんなに変わってしまうんだから、つくづく場というのは面白い。

本当は今年いっぱいで辞めるつもりだったけれど、まだ伸びる余地がある気がして、もう一年続けることにした。どう育っていくのか、楽しみだ。

第三位 書いて書いて書きまくる生活に。

自分でも驚いたのだけれど、この「note」での投稿をはじめたのは、まだ今年のことだった。

スタートは、3月17日。初投稿はこんな記事だった。

当初は「毎日とか毎週とか細かいルールは決めず」と言っていたけれど、いまは毎日書いている。今日で89日連続だそうだ。

年間のビューは 16692、フェイスブックでの「いいね」にあたる「スキ」は 426 いただいた。一万ってすごい数だ。ありがたい。

そして、9月6日からメルマガも再開した。
タイトルは「生きているQ」

このメルマガは、第九位に挙げた「支援とエゴ」の場で「答えよりも、それを問うている人の方が面白い」と思ったのがきっかけになっている。

いまのところ、114日連続で書いている。今日出せば、115日。
毎日続けることは得意なので、このまま無理なく続くところまで続けていけたらと思っている。あとは内容をもっと面白くできたらとも。

第二位 男が「男になる」とき。

振り返ってみても、なぜそう感じたのかはわからない。
でも「男が男になっていないから、女の人が苦しい思いをしている」という実感が知らないうちに溜まっていた。

で、それを投稿してみたら反響があった
最初は他人事のように思えていたけれど、自分のこととして書いたところ、信じられないほどの支持を得た。

この記事はぶっちぎりの年間トップになり、当初企画していた『魂うた®︎』は男性限定の「男が『男になる』とき」に生まれ変わった。

『魂うた』のようなワークショップに参加する人は九割以上女性なので、男性限定で成り立つのかと危惧されたが、猛烈に発信し、たくさんの方々の「いいね」やシェアもあって、なんとか開催することができた。

記事のとおり、それはそれは勇ましく素晴らしい場で、いまでもこの写真を見ていると、あのときの声や歌や表情を思い出して惚れ惚れする。

勇気を出して参加してくださった二人の先駆者がいなければ、この場は永遠に開かれなかったかもしれないので、本当にありがたい。耕くん、広太郎、ありがとう。

第一位 突然の別居、そして転居。

一位、それも年間を通しての一位は明るいニュースであってほしい。
そう思う気持ちもあるのだけれど、起きたことを並べてみると、やっぱりこれが一番になってしまう。

名古屋の気温が 40℃をこえた夏。
僕たち夫婦はいっしょに住めなくなり、僕はバタバタと引越しをした。

原因はあると言えばあるし、それぞれが複雑に絡み合っているのでどうしようもなかった気もする。そこには人のもつ信念と信念の軋轢と争いがあった。

この時期、そして今年、僕は自分と人のいやな面を本当にたくさん見た。誤解、偏見、転移。見ずに生きられたらよかったと思うし、思い出すといまでも悲しい気持ちになる。

この記事が書けたのが十月だから、三ヶ月くらいは言葉にすることもできなかったわけだ。

悲しい。寂しい。つらい。苦しい。
それを強く感じた一年だった。

だからこそ、いま、奥さんとの関係がつながっていることが本当にありがたい。「今年も奇跡的に一緒にいましたね」と彼女は言ったけれど、心からそう思う。

ここに出てくる、そしてこれ以外の多くの出来事や人との関わり、助けがなければ、僕たちはダメだったんじゃないかなと思う。

そんな 2018年が、終わる。
いま思うのは「よくがんばったね」ということ。

どんなことも悪い面ばかりではない。
別居は「男が『男になる』とき」をはじめとする、その後の多くの変容を促した。この一年を通して、僕は明らかに変わったと思う。

それでもね、やっぱりつらかったよ。つらい一年だった。
だから、そういう一年があってもいいんだと思うことにした。

つらい一年だった、というのがあってもいい。

そう思うことで「あの2018年もなんとか乗り切ったじゃないか」という力に変えていけたらと思う。

あと十時間ほどで今年が終わる。

終わるなあ、2018年。

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