ぼくの行方を知りませんか。
僕の右手を知りませんか?
行方不明になりました
指名手配のモンタージュ
街中にくばるよ
(THE BLUE HEARTS『僕の右手』より)
昨日、長崎の友人とこんな話をしていた。
「どこで、誰と、なにをしているか」
ということについて、僕らは時々、わからなくなることがある。
そういうときには、いまのこの場所に「自分」はいなくて、『ジョジョの奇妙な冒険』のスタンド(幽波紋)のように、身体を抜けてどこかに行ってしまっている感じがする。
どこかに。未来を示すどこかに、そいつはいるのだ、と。
そう思うと、今回の旅は、名古屋から福岡に拠点を移す下見のつもりだったけれど、福岡あたりに行っているらしい行方不明の「ぼく」を探す旅と言った方がしっくりくる。
(余談だけれど、僕は『ウォーリーをさがせ!』のウォーリーにものすごく似ているので、なんとなく探されるのは似合う。)
今日は五日間の滞在の四日目だけれど、まだ「ぼく」に会えた実感はなかった。
そんな矢先に訪れた宗像大社で、ふと目をひいたポスターに、こんなことが書かれていた。
時満ちて、道ひらく。
ああ、時が満ちないと、道がひらかないのかもしれないな、と思った。
ちょうど宗像大社の三つのお宮にお参りした後で、なんだか神様からの伝言のように感じられもした。
明日は、最終日。
そこに「ぼく」はいるのだろうか。
追いかけて、追いかけて、ウォーリーはいったい、何ページ目にいるんだろう。
でもそこに、いままでの旅路の中に、僕が意識していない「未来」が立ち上がってきて、時が満ちるのを待っていると思うと、なんだかワクワクしてくる。
時満ちて、道ひらく。
ひらいた後の道は、なんだかたのしいもののように思えて仕方がない。
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