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ファミレスと「けしからん」。

いま、ファミレスにいる。
僕のちょうど後ろの席では、お婆さん二人がおしゃべりをしている。

一人が「息子や嫁たちがけしからん」というようなことを話している。
この人は先ほど、お子様用のメニューを頼もうとして店員さんを困らせていた。お婆さんだが、どうしてもお子様うどんが食べたいのだという。そういうことは「けしからん」ことには入っていないらしい。

その口調や勢いを聞きながら、亡くなった祖父母のことを思い出した。
「けしからん」が高まって、人生訓につながっていく。二人もそんな感じで畳み掛けるように話していた。なつかしい。

僕自身も時々そんなふうに話すことがある。そういうとき、勢いがついて気持ちがいい。強壮剤のように後で空しくなるのだけれど。

たぶん「けしからん」という感情は、人の元気につながっているのだと思う。「けしからん」と言うことで、からだの中にまだ力が余っていることを確認できるのかもしれない。

けれど、知ってのとおり「けしからん」という意見の大半は、物事を正すことにはつながらない。むしろ事をややこしくする。

そして、それこそが「けしからん」と言いたい人に、次の燃料を与えることになる。だから世にはこんなにも「けしからん」が飛び交っているのだろう。それは消えることのない疫病に似ている。

自分も老齢になった時に、こんなふうに「けしからん」と言いながら生きるのだろうか。もうどうする力もないのに。

ごねてお子様うどんを食べながらまくし立てているその様は「けしからん」と言いながら死んでいった祖父母によく似ていて、なんとも言えない気持ちになる。あれでよかったんだろうか、という気持ちがいまも残っているからだ。

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