見出し画像

世界で一番しあわせな人。

この間、知人が他の人のことを「うらやましい」と話していた。
聞きながらずっと「その人には本当に苦労がないのかな」と思っていた。

知人は「うらやましい人」のことを悩みや苦労がないかのように語った。
ぼくにはそれが不自然に思えた。人間として像を結ばない感じがした。

ぼくはときどき、有名人をうらやましく思うことがある。「あの人はなんでも持っている」「苦労知らず」なんて勝手な想像をすることもある。

でも、本当にそうなんだろうか。
なんでも持っていて、何にも悩みがなく、ひたすら楽しいばかりの人生を送っている人なんているんだろうか。

ぼくらは広告やフェイスブックに書くような「明るい自分」だけで生きているわけではない、ような気がする。

少なくとも、ぼくはそうだ。
わざわざ話すことでもないけれど、しんどいなと思うことはある。

そういうところは、日常会話の中では話さない。
だから人には、ぼくが思うよりしあわせな人に映るはずだ。(別に不幸ってわけでもないけれど。)

わざわざ話すことでもないけれど、しんどいなと思うこと。
そういうことは、人とある程度以上親しくなったり、ワークショップのような場に行ったり、「ちょっと聞いて」と助けを求めたり、いっしょに困難を経験したりしないと出てこない。

そういうときの人の話を聞くと「ああ、みんなそれぞれ大変なんだな」と思う。不思議なことに、しんどい話なのにその人の実像に触れさせてもらえる気がして、充実感を感じることも多い。人間としての親近感をおぼえるといったら大げさだろうか。

そんなことを書きながら、ふっと、ディズニーランドの会社の新入社員だった頃を思い出した。

あの頃、ぼくは「舞台裏」が本当にあることに驚いていた。

「華やかな舞台の裏には、人知れぬ努力や苦労がある」というのは、常套句だ。それでも、実際に「舞台裏」でものすごい数の人が、充実感やストレスを感じながら働いているのを目の当たりにすると「うわぉ」という感じだった。

それは「表」のパークで体験するものとは、まるで違う体験だった。
もっと圧倒的な量の、人や資源やエネルギーや気持ちや考えや、いろんなものがごちゃごちゃになってガンガン投入されていた。

同じような「舞台裏」が、人にもあるのだと思う。

たとえば、家庭や職場はまさしく「舞台裏」だ。
ぼくらは結婚したり、就職したりすることによって、その「舞台裏」に入ることを許される。

そこは「表」からイメージするのとは、まるで異質な世界だ。
不思議の国のアリスもびっくりの、言い尽くせぬ努力や苦労や、笑いや涙や、労力の投入や無為な時間が、ある。とてもじゃないけど、一言で「こうだ」と言い切れるようなものではない。

と言いつつ、最近「苦労や努力をしないとダメだと信じることが、苦労や努力を呼ぶ」という記事を見た。

だとしたら、世界で一番しあわせな人、

なんでも持っていて、何にも悩みがなく、ひたすら楽しいばかりの人生を送っている人

というのは、本当はいるのかもしれない。
演出ではなくて、錯覚でもなくて、マジでガチで、そういう人が。

会ってみたいなあ。
会えたら、考えることや感じることがいっぺんにひっくり返るような気がする。

などと言いつつ、ぼく自身は「わざわざ話すことでもないけれど、しんどいなと思うこと」を分かち合えたときに充実感を感じてしまうほうだから、そういう人には出会えないのかもしれない。話が続かないような気もする。

それでもなんかね、ちょっと会ってみたいんですよね。

記事を読んでくださって、ありがとうございます。 いただいたサポートは、ミルクやおむつなど、赤ちゃんの子育てに使わせていただきます。 気に入っていただけたら、❤️マークも押していただけたら、とっても励みになります。コメント、引用も大歓迎です :-)