雲のサーカス団

雲のサーカス団。

先日、東京・阿佐ヶ谷で開いた『BAR 白と黒と極彩色』は、期せずして、僕の理想が実現していた。

そして、主催した三人でこの日の感想を交わし合ううちに、僕は「雲のサーカス団」という架空のサーカスを構想した。

雲のサーカス団2

雲のサーカス団は、どこからともなく現れてテントを開き、一定期間商いをすると消えてゆく移動遊園地だ。

その特徴は、主催する人も参加する人も役割が固定されないことにある。

ある時は歌い手、ある時は聴き手。
ある時は食事をつくり、ある時は食べている。

ある時は先生で、ある時は生徒。
ある時は権威で、ある時はただの人。
またある時にはなんにもしていない。

そんな家族のような、友だちのような、名付けようのない関係を築きながら、サーカス団は人々と暮らす。

雲のサーカス団3

他愛もない話も深刻な話も分け隔てなく語られ、海の水が浅瀬も深海も対流するようにして、豊かににぎやかに時がすぎてゆく。

テントへの出入りは自由だから、新しい人が訪れたり、誰かが去ったりするたびに空気が変わる。

日々のお天気のように変わっていくその空気にも大いに影響されながら、雲のサーカス団と人々は歌い、踊り、飲んで、食べる。

音楽は舞台の上で崇められるものではなく、人々と同じ目線のところに、まるで風のように存在している。あらかじめこの曲をやる、といった決め事はほとんどなく、必要以上に仕切ることもなく、その場の空気や出来事に合わせて即興的に演奏がはじまる。

ここでの「ライブ」とは、音楽をすることだけでなく、食べること、語ること、いること、いないことを含めた、そこで起きる全てを指す。

雲のサーカス団8

成り行きまかせに進むから、サーカス団のゆく先は必然的にハプニングに満ちている。空中ブランコはないけれど、時にハラハラするような場面にも遭遇する。

でも、たのしい。
そして「あそこ、すごかったね」「あの時ドキドキしたね」と後から興奮して語りたくなる場面がいくつもいくつも心に刻まれていく。

そんな「ライブ」を求めて、サーカス団は諸国を漫遊して旅をしている。土地柄、人柄と化学反応しながら、縁をたどって今日もまた。

雲のサーカス団6

こんな旅芸人みたいな暮らしができたらいいな。
そう夢想することが、これまで何度かあった。

だから『BAR 白と黒と極彩色』を主催した(福島)佳代子さんの口から「野外でやろう」「旅をしよう」と話が出たときには「知ってたの?!」と内心驚いた。そして、うれしかった。

どうやって実現するかはわからない。
でも、できたらいいよなぁと今もウズウズしている。

雲は、目に見えない水蒸気からできている。
同じように、雲のサーカス団も目には見えない頭のなかのアイデアから生まれ、言葉になって、こうして書き留められることで目に見えるようになった。

そしてきっと、雲のようにさまざまに形を変えながら、もっと複雑で具体的な何かになっていくに違いない。たった一組の精子と卵子でしかなかった細胞がヒトになるように。

ちなみに「雲」という言葉にはもう一つ由来があるのだけれど、それは今度会ったときに話すね。

雲のサーカス団7


記事を読んでくださって、ありがとうございます。 いただいたサポートは、ミルクやおむつなど、赤ちゃんの子育てに使わせていただきます。 気に入っていただけたら、❤️マークも押していただけたら、とっても励みになります。コメント、引用も大歓迎です :-)