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よく感じる人ほど、言葉を必要としている。

勉強せねばなぁ、と思うことが増えた。
それは国語算数理科社会の勉強ではない。それ以前の、言葉と認識に関する勉強だ。

僕のまわりには人一倍感じやすい人たちが多くいる。いわゆるHSPと判定される人もたぶん多い。僕も簡易テストをやってみたが【中】程度にHSPだった。

そういうよく感じる人の生活は、そうでない人とは異なる。そうでない人には見えも聞こえも触れられもしないところにリアルな実感があったりする。

霊感とかスピリチュアリティとか、いろんな呼び方をされるが、よく感じる人の生活には他の人の認識をこえた、妄想ではないかと思えてしまうようなリアリティが普通に存在していたりする。

そういうものを捉えようとするとき、普通の国語算数理科社会では足りないなぁと思うのだ。ちょっと「トンデモ」のエリアに踏み出さないと、生活実感にあった言葉に出会えない。

生活実感を言葉で説明できないと、自分(の存在)がフワフワしてしまって地に足がつかない。地に足がつかないとうまく力が出ない。
(にもかかわらず、よく感じる人の多くは言葉を扱うのが得意でない。それは言葉よりもずっと多くを知覚していて追いつかないからだと思う。)

以前、こんな記事を書いたけれど、

まさかカード占いに人生を追認されるなんて思ってもみなかった。でも自分のいる場所と行く道をきちんと認識するには、こうした助けが不可欠だった。そうでなければ、感じてキャッチしたものを「これは妄想だ」と自ら切り捨てていただろう。

いや、いまでもキャッチしているのに「妄想だ」とレッテルを貼って捨てているものや、言葉にならずに消えていく質感が少なからずあるように思う。それはもったいないことだし、それらを取りこぼしてしまうと自分の人生の輪郭がうまく描けない気さえする。

人は自らの認識の範囲内のことしか受け取ることができない。受け取られないものは、有るのに無きものにされてしまう。逆に「それはあり」と思えたら存在を認められ、生活に流れ込んでくるものだって、たくさんある。

抽象的だが、いままでそんな経験をしてきた。
だからこそ、自分の生活実感を説明するのに言葉と勉強が足りないなぁと感じている。

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