「いっしょに暮らす」というご褒美。
ゴールデンウィークが終わった。
親戚たちが赤ちゃん詣でにやってきて、「かわいい!」と口々に言って盛り上がり、去っていく。そんな数日間だった。
かつて叔父としてめいっ子の家を訪れていたときには、自分も「かわいい!」と言って去る一団の中にいた。それが立場変わって、親戚を見送る側になると「いっしょに暮らしている」者とそうでない者の違いを実感する。
毎朝起きたら、赤ちゃんがいる。毎晩寝るときにも、赤ちゃんがいる。
僕と奥さんにとっては当たり前のことだけれど、親戚たちはそれを経験することがない。
毎日いろんなことがある。今日だったらなぜか朝5時半に起きたり、いきなり床にミルクを吐いたり、座って膝のストレッチをしたら声を上げて笑い出したり。
大変なこともある。夜な夜な泣いて起こされたり、作業を中断してかまわなければならなかったり、なんで泣いているのか分からないままあやさなくてはいけなかったり。でもそれらは、いっしょに暮らしている者だけが体験できることだ。
世の中にはたくさんの人がいるし、たくさんの人に出会う。
でも「いっしょに暮らす」ことができる人は限られている。家、あるいは学校や職場で毎日顔を合わせ、いっしょに暮らした人たちとは、数回会った人とは違う質の思い出が刻まれる(過ごし方にもよるけれど)。
そもそも他人同士が「いっしょに暮らす」ことには困難を伴う。でも、その大変さをこえていくと、困難はかけがえのない思い出に変わる。
「だから生きるのって大変なのかもなあ」
なんて大げさなことを考えていたら、寝かしつけたはずの赤ちゃんがコンバットのように回転して体を起こし、泣き出した。やれやれという顔で奥さんがもう一度寝かしつけに入る。
それにしても、なんでストレッチのとき、膝を曲げたり伸ばしたりするだけであんなに笑っていたのだろう。ツボが分からない。
そんなどうでもいいことを思うことさえ、ご褒美なのだと思う。
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