昭和の下町暮らし〜母の日記と思い出ばなし〜

東京で生まれ、現在は鳥取県で暮らしています。小さい時の思い出話を書きたくなりました。 …

昭和の下町暮らし〜母の日記と思い出ばなし〜

東京で生まれ、現在は鳥取県で暮らしています。小さい時の思い出話を書きたくなりました。 東京の下町での暮らしです。

最近の記事

母の日記②

母の日記帳は婦人画報という雑誌の付録でした。 平成5年の暦に平成6年の事が書いてあったり、途中、子供の頃の思い出話が書かれていたりですが、最初のページに 「かん字の類は忘れてしまってゐておどろくばかりですが判だんしてよんで下さればわかると思ひます」とあり、 母として、読んでもらいたかったものだったのだと分かります。 平成6年3月10日 朝食を終え新聞を見るともっぱら米の話題が毎日の様にのっている。サトシさんにお願いしたものの、今日あたりもしやと思っていたら、夕方電話が入り

    • 蕎麦屋の娘

      私は蕎麦屋の娘でした。 蕎麦屋といっても、蕎麦だけでなく、うどん、丼物など、メニューは色々、町の食堂といった感じです。 物心ついた頃には、お店にテレビがありました。 遊び場はいつもお店。テレビから流れてくる歌謡曲に合わせて唄うのが、遊びでもあり、日課でもあり、とにかく毎日、唄っていたように思います。 お店は商店街の入口にあり、右隣は自転車屋さん。自転車の修理をするのを見るのが面白くて(特にパンクの場所を見つけるために、水の中でブクブクさせるのを見るのが大好き)、いつも仕事

      • 母の日記①

        私の母のこと 昭和3年に墨田区の本所で生まれ、昭和20年3月9日の大空襲まで過ごしました。多感な時期を戦時下で過ごした母です。 68歳で亡くなりましたが、今になって、「もっと母の話を聞かせてもらえばよかった。もっとやさしくすればよかった」と思っても後の祭りですね。 亡くなる前の2年間ほど、母がつけていた日記が手元にあります。毎日の日記のほかに、昔話をあれこれと思い出しては書いていました。 母の日記から 南千住から千住大橋を渡り、一本道を来れば草加の松原過ぎれば越谷、春日

        • お月さま

          昭和27年10月に私は東京の台東区で生まれました。 当時はお産婆さんに取り上げてもらうのが当たり前、でも、自宅ではなく、お産婆さんの営む産院で生まれたそうです。 母親から、産まれた時の様子を話してもらうなんて事は滅多にありませんでしたが、その日は十五夜で、お産婆さんに「今夜のお月さまみたいに、まん丸な顔の女の子ですよー」と言われたと、時々聞かされました。