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内海哲也がドームに帰ってきた日

 本日6月3日の対埼玉西武ライオンズ戦、1回表が終わり西武ナインが守備位置に散らばって行く時、僕はマウンドに上るピッチャーの背中を見つめながら何とも言い様のない気持ちに襲われていた。

 泣きたいような、嬉しいような、寂しいような、いろんな感情がごちゃ混ぜになった複雑な気持ち。正直実際に見たら泣くかもしれないと思っていたが、涙は一滴も流れなかった。

 僕は何も言えず、ただ内海哲也投手の背中を見続ける事しかできませんでした。

内海哲也


 この一枚で、彼がどんな人となりなのかがわかります。

 皆様ご存じの通り、内海投手は過去に読売ジャイアンツに所属しておりました。

 2003年に東京ガスから当時あった自由枠という逆指名のような制度で巨人に入団した内海投手は、苦しみながらも成長を遂げ2007年には奪三振王を獲得。2009年には侍JAPANにも選出され、2011年から2年連続で最多勝を獲得し更には日本シリーズMVPにも輝くなど、巨人のエースピッチャーになっていきます。

 では他の追随を許さぬほどの凄いピッチャーだったのか?と言われると…正直そうは言えません(笑)事実彼は一度も沢村賞を獲得していませんし、物凄い球威があるわけでも、とんでもない変化球があるわけでもありませんでした。

 現在の巨人のエースである菅野智之投手なんかはすべてのボールが一級品ですし、先々代のエースである上原浩治投手は神のようなコントロールを持っていて、2人とも沢村賞を獲得している。

 内海投手は非常に地味なタイプのエースでした。武器はスタミナと粘り強さ。しかし総合力で抑えていくタイプ故にキャンプで故障などがあるとその年全体に響いてしまう。当時の阪神タイガースのエースであった能見篤史投手には何度も直接対決で負け、また当時の宿敵であった中日ドラゴンズの本拠地・ナゴヤドーム(現バンテリンドームナゴヤ)でもあまり勝つことができなかった。

 見る人によっては「内海は谷間エースだ」とそう思っていらっしゃる方もいるでしょう。投手として、エースとしてNo.1だったとは正直僕も言えません。

 でもこれだけは断言できるんです。

 僕の中で巨人のエースは内海哲也ただ一人だと。

 内海投手は非常に巨人に献身的なピッチャーでした。どんな天候でも顔に出さず淡々と投げきる。味方がエラーしても動じず、抑えた後にその選手の頭をポンポンと叩いてやる。若手捕手と組んだ時は黙ってリード通り投げてやり、打たれてやる。

 原辰徳監督が一時期内海投手にキツい言葉を投げつけてた時も、彼は逃げずにマウンドに立ち続けました。「偽侍」「論ずるに値しない」「ナイスピッチ(皮肉)」――こんな事頻繁に言われてたら僕ならたまんないですよ(笑)

 先輩である上原投手や高橋尚成投手がメジャーに挑戦し巨人を去る中で、内海投手は原監督の期待と叱咤を受けきりながら苦しい2010年というシーズンを過ごしましたが、その翌年から彼は立ち直り2年連続でタイトルを獲得するまでに至った。

 不屈の男なんです。

 2011年にはこんな試合がありました。この年から導入された低反発球により貧打が続く中、内海投手は「投手が0点に抑えれば負けない」といい千葉マリンスタジアム(現ZOZOマリンスタジアム)のマウンドに立ちました。

 そこで彼は152球投げながらも本当に完封でチームを勝ちに導いたんです。

 彼が本当の意味でエースになったのはこの試合だと思っています。エースとはチームが苦しい時に有言実行で助けるもの。節目節目の大切な試合で確実に好投してくれるもの。

 何本ヒットを打たれても、ピンチを招いても、粘り強く投げ得点を許さない。そしてチームを勝利へと導く。泥臭くても抑えきる内海投手の姿はとても格好良かった。

 また内海投手は非常に後輩の面倒見が良い人でもあります。毎年大量の後輩を引き連れて自主トレに行き、シーズン中でも常にリーダーシップを発揮し後輩から慕われる。

 特に1歳下の後輩だった山口鉄也投手とは固い絆で結ばれていたようで、山口投手が引退した時に内海投手が花束を渡した後ずっと泣いているのを見て、この2人の関係性がどれだけ深いものだったのかというのが非常によくわかりましたね。

 内海投手はチームメートからも、ファンからも愛された投手でした。

 僕もやはり内海投手が好きでした。巨人にずっといてほしかったし、ずっといるだろうと思っていました。勝てなくなり、一軍にいる期間が短くなっても、巨人で引退してくれるだろうと。

 しかし彼は突然巨人からいなくなった。

 西武からFAで炭谷銀仁朗選手を獲得する際、人的補償で選ばれたのは内海投手でした。

 この時の喪失感はどう説明したら良いものか…僕が好きだった二岡智宏選手や大田泰示選手がトレードされた時にも酷く落ち込んだものでしたが、今回は個人的な感情とは別に、チームの大事な部分がなくなってしまったような感覚。

 例えば2019年に阿部慎之助選手が引退試合を行った時マウンドにいたのは長年巨人を支えてくれたスコット・マシソン投手だったのですが、僕はそこに内海投手の姿を探してしまいました。

 マシソン投手も功労者だったので文句はないのですが、やはり阿部選手がマスクを被った時にはマウンドに内海投手がいてほしかったし、「いないんだ」という現実を突きつけられて泣いてしまいそうになったほどです。

 あの二度3連覇した黄金期の巨人を代表していたのは野手なら阿部選手であり、投手なら内海投手でした。あの2人のバッテリーを最後に見る事ができないのだと、本当に寂しい気持ちになったものです。

 しかし過去ばかり見ても仕方がない。FAでやってきた炭谷選手は巧みなリードでチームに貢献してくれましたし、巨人も2019年、2020年とリーグ優勝を果たす事ができた。

 内海投手は2019年に怪我をしてしまったものの2020年には一軍に復帰した。

 そして今日、内海投手が再び東京ドームのマウンドに上る日がやってきた。

 久々に生で見た内海投手は、生え抜きベテランがプロテクト枠に入れられず人的補償で放出という過酷ともいえる現実を乗り越え、チームにすっかり溶け込んでいる様子でした。


 1回裏には2008年の日本シリーズで戦った中島宏之選手と逆の立場として対戦しました。なんというか、非常に感慨深かったですね。


 2回裏には移籍のきっかけとなった炭谷選手にホームランを許すなどしてこの回まででマウンドを降りたのですが、古巣相手という事で力みもあったと思うので次は好投できるのではないかと思っております。

 敵として東京ドームのマウンドに上った内海投手を巨人打線が打っていく姿を見て、僕は本当に彼とのお別れが来てしまったんだと感じました。

 もちろん内海投手は3年前から西武の選手ですからお別れも糞もないのですが(笑)しかし現実として直接戦っている光景を目にした時、彼がもう巨人の選手ではないという事、その現実を受け入れなければならないという事を痛感したんです。

 親の影響ではなく本当の意味で応援しだしたあの頃の巨人。その象徴の1人であった内海投手はもう巨人にはいない。

 内海投手が東京ドームに帰ってきた日。それはある意味で僕の青春が終わった日でもある。

 試合が終わり、家に帰ってこのnoteを書きながら、僕はやっとこう言える事ができます。

さよなら、内海。

ありがとう、内海。

そしてこれからも頑張れ、内海。

 内海投手の名前がコールされたりマウンドに上がった時、僕は拍手しました。

 しかし今年の日本シリーズや来年の交流戦で再び内海投手と対戦する事になった時、もう僕は拍手をしないでしょう。

 それは敵になったからというわけではなく、まだ内海投手が巨人の選手であるような気がするという無自覚に持っていた気持ちから卒業する事ができたからです。

 他の方が内海投手に何度拍手をしようが自由です。しかし僕は、今度は正真正銘埼玉西武ライオンズの内海投手として迎え入れたいなと思っております。

 では今回はこのへんで。

 明日から内海投手と巨人、別々の道を走り出し、また巡り会う事を願って。

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