見出し画像

銀河の果てまで脱出

中学生のころ、母から譲り受けたラジオ。
夜9時ごろからやっていた、ROCK KIDS 802というラジオ番組が大好きで、平日の夜の楽しみだった。

部屋を暗くして音を楽しむ。そこで邦ロックと出会い、ライブやフェスというものを知り、いつか生で音楽を体験したいなと思いを募らせていた。

大学生になり、行動範囲が広がり、ライブやフェスに行ってみたい!と思っていたが、同じ音楽が好きな友人がいるわけでもなかった私は、一人で会場に行く勇気もなく、結局イヤホン越しに音楽を楽しむ日々だった。

映像などで見るライブは、みんな音楽に合わせて手をあげたりリズムに乗っていたりして楽しそうだが、自分はその輪に入る勇気がなかったのだ。波に乗ることに羞恥を感じるのだ。

それでも中途半端に諦められない若造は、アルバイトでコンサートスタッフをすることで、ライブの雰囲気を味わうことに成功した。

当然のことだがステージは見れないし、知らないアーティストのライブばかりだったが、僅かな音漏れだけで満足だった。マスク生活が始まるより数年前の生活のことだ。

つい最近、ある夏の日。好きなアーティストのボーカルが、弾き語りでライブをやると知り、衝動的にチケットを取った。

あれほどライブへ行くことに勇気が必要だったはずなのに、夏の暑さにやられてしまったのかもしれない。弾き語りだからゆっくり音楽を楽しめると思ったからかもしれない。

ライブハウスに行くなんて初めてで緊張するし、ドリンク代別途ってつまりどういうこと?と思いながら、下北沢までレンタルサイクルを走らせる。

日が暮れる前で、直射日光ではないものの、じっとり暑い。信号待ちのたびに汗をぬぐいながら道路を駆ける。

レンタルサイクルを利用するのも初めてで、迷わずに行ける確信もなく走っていた。やはり夏の暑さに参っていたのかもしれない。案の定少し迷った。

全力で自転車を漕いだせいなのか、初めてのライブハウスという緊張のせいか、ドキドキしながら会場に入る。チケットを提示した時にドリンク代を支払う。

階段を4階まで上がってたどり着いた会場は涼しく、ドリンクを引き換えるために列に並ぶ。すでに客が7割ほどいて、無意識に人間観察をしてしまう。

バケットハットを深く被った人、インスタグラマーのようにお洒落なカップル、顎髭を生やしたザ・ライブハウスにいそうな人、こんなに暑いのに帽子マスク眼鏡で変装しているっぽい人……

「実際に見たことがないけどいそうな人」が本当にいて(しかも沢山)、ライブに来たんだと謎に実感する。

ドリンクを受け取り、隅の方でそっと佇むことにする。まだ火照っている体にハイボールを煽る。ほぼオンタイムでライブが始まる。

いつも聞いている音楽が流れる。音源そのままではないかと勘違いしてしまうほどの歌声の正確さに驚く。だが間違いなく目の前で、声とギターから奏でられている音楽なんだと、聴覚や視覚はもちろん、全身に響く音で実感する。

この日私は、FINLANDSというバンドの、塩入冬湖さんの弾き語りに来たのだ。

FINLANDSの過去曲や前身バンドの楽曲をRe Recしたアルバム「SHUTTLE」をもとに、I AM HITORI SHUTTLE TOUR と銘打って数都市回っている模様。そのうちの東京公演に来たのだ。

目の前の現実に馴染み始めた私は、歌詞に浸りながら、スペースシャトルに乗って宇宙まで昇っていくような感覚に陥る。1年前くらいに読んだ、恩田陸の歩道橋シネマを読んだ時と似たような気分になる。

FINLANDSは、夜や銀河、光などの要素を含んだ歌詞が多いから好きだ。ギターを弾いた後にキュッっと鳴る音が好きなのだが、塩入冬湖さんはそれを自分の歌声でするからもっと好きだ。

あっという間に時間が過ぎて、終演。心地よい夢から醒めたよう。会場が蛍光灯で明るくなり、一瞬で足に疲労を感じる。

前にいる人から逃げるように外にでて4階から階段を下る。と、さっきまでステージにいた人が階段で上にあがってくる。すれ違いざまにありがとうございますと言ってくれた。めちゃくちゃ美人さんで圧倒される。

きっと物販などで4階に戻るのだろう。引き返す勇気はまだなかった。アルコールの酔いはすっかり醒めていたが、電車で遠回りして帰路につく。飲酒運転はしたくないし、大きな箱に揺られている時間でさっきまで見ていた夢を忘れないように思い出していたかったからだ。

生で音楽を体験することができたよと、中学生の自分に伝えてあげたい。ザ・バンドという形のライブで音楽の波に乗る勇気はまだない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?