文士達へ捧ぐ愛の詩

 明治、大正、昭和の時代。今でも人気の絶えない作品を残した文士達が生きていた。名を上げるとすれば「芥川龍之介」や「太宰治」。誰もが一度は聞いた事があると思われる名前だ。波乱万丈の人生を辿り、その中で数多の作品を残し、命を全うした。苦悩の末に歴史に名を残す作品を生み出してきた才能のある人間。その文士達を私は愛する。文士達本人も、文士達が残した作品も、私は全てを愛する。この文章は、言わば「文士達へ捧ぐ愛の詩」である。

 私も文章を書く人間である。ただ、昔からそれが好きだった訳では無い。小学生の頃は夏休みの読書感想文が嫌いだった。しかし、文学と出会ってからは変わった。小学六年生後半、課題をやりに図書館に行った事がキッカケだった。当時の私の視線よりも少し低い位置の本棚。そこにあった題名がやけに輝いていた。それでも読む気にはなれなかった。手に取りはしたが、何だか難しそうで目が回ってしまったのだ。その時は、こんなにも文学書に囚われるとは思ってもみなかった。
 中学一年生の夏、数ヶ月ぶりに図書館へ足を踏み入れた。ガラスの自動扉を抜けた瞬間、ふと脳裏にあの題名が蘇ってきた。今でもそれは記憶にある。足音を立てずに、それでも早足で本棚の前へ歩いていった。
さほど変わらぬ視線を頼りに必死になった。ようやく見つけた背表紙を手に取り、椅子に座ってマジマジと読み始めた。本を開いて思った事は「読みにくい」。一体何語の単語なんだ。何故カタカナで書くのだ。というかこの舞台はどこなんだ。理解の追いつかない拙い頭で、それでも気になってしまった以上後に戻れない気持ちで、文を読み進めた。そこで諦めていれば、今の私はきっと無い。
 本を閉じて天井を見つめた。泳ぐ視線と落ち着かない瞬き。涼しい図書館の中で流れた、嫌に冷たい汗の感覚は忘れない。頭にあるのは恐怖と考察。足はすくんで力が入らない。最後の一言は一体なんだったのだ?話を聞いている奴はどういう気持ちなんだ?この絶え間ない恐怖はなんなんだ?すっかり本の世界に叩き落とされ、いつの間にかその本が怖くなっていた。それでもその恐怖が癖になってしまった。何度も何度も読み返し、窓の外では夕日が橙色に輝いていた。
 一週間程経った頃、夏休みの課題に出された読書感想文を終わらせる為に再び図書館へ訪れた。書く本はもちろん前に読んだ本。前と変わらぬ位置にあったその本を手に取り、端の方の席に座った。もう一度目を通し、ペンを手に取る。今まで書くのが嫌いだった筈なのに、何だかスラスラと書けてしまう。次々に書くべき事が浮かんでくる。手の疲れも気にせず没頭していた。
 気が付けば三時間以上が経っていた。ここまで熱中して書いたのは初めてである。私の人生を変えた、否、変えてしまった文学書。その題名は「死後の恋」であった。その狂気にすっかり魅了された私は、夢野久作氏の作品を好きになってしまった。少女地獄、支那米の袋、氷の涯……その全ての作品を愛した。日本三大奇書と謳われている「ドグラ・マグラ」を読んだ時には、流石に気が狂いそうになった。それでも繰り返し読むうちに、その感覚でさえ癖になってしまった。
 感想文は既に書き終わった。他に読む必要は無い。だが、一度好きになったものは勢い任せに進めるのが私だ。夢野氏の延長に、江戸川乱歩氏の推理小説を読んだ。江戸川氏の延長に、氏と親交のあった萩原朔太郎氏の詩を読んだ。文豪同士の関係性を知りたくなって、私生活をまとめた本も読んだ。まだ日の長い夏。夕焼けチャイムが鳴り響く炎天下を、やけに軽い足取りで帰った。

 夢野氏の作品から始まった私の文学への興味は、段々とその火を大きくしていた。いずれは冷めるだろうと思っていた熱は、消える事なく燻っている。読みたい、知りたい。そんな欲がずっと渦巻いているのだ。他にもきっと私に刺さる作品はある。そう信じて、青空文庫のアプリをスマホでダウンロードした。そこで目に付いたのは「蟹工船」。何度か目にした覚えがあった。気になって読むと、それはそれは凄まじいものであった。この作者は一体何を考えて書いたのか……いても立ってもいられず、調べてみたらそこは地獄であった。
「拷問死?……しかも心臓麻痺で誤魔化そうとして。」
作品以上に過酷な人生を知り、情景が目の裏に浮かんでくる。プロレタリア文学。その未来が暗い事なんて知らなかった。小林多喜二氏の遺体の写真を見た時には声を上げそうになった。いや、声を上げられない程だったのかもしれない。到底「心臓麻痺」では誤魔化しようのない遺体を見て、私は本当に辛くなった。ただ、凄惨な最期を迎えた彼でも幸せな事はあったのだ。彼が敬愛した文士、「志賀直哉」との関わり。学生時代から手紙を送り続けた。奈良の家までわざわざ訪ねた。志賀氏も何かと小林氏を気にかけていたらしい。そして、彼の死を悔やんだらしい。この二人が仲良くしているだけの人生は駄目だったのだろうか。涙ながらに思う事はそれだけだった。
 志賀氏以外にも、親しくしていた人間の死を経験した文士は多くいるらしい。先に紹介した江戸川氏もその一人であるが、それ以上に友人の死を経験した文士がいる事を私は知らなかった。
 文士から社長になった天才、「菊池寛」。菊池氏はあの文藝春秋を立ち上げた人らしい。その上、芥川賞と直木賞を創設したのも彼だとか。立派な人物なのだと思ってみたら、彼も彼で悲惨な人生を送っていた。親友の芥川龍之介氏は自殺し、親しくしていた直木三十五氏も亡くなった。面倒を見ていた横光利一氏も亡くなっており、共に新思潮を築いた成瀬正一氏も亡くなっている。彼の周囲の人間は、彼を置き去りにしてしまっていたのだ。芥川氏の葬儀で号泣した話を知った時は、こっちまで泣きそうになった。「芥川の事ども」を読んだ時には、彼の芥川氏への思いを感じて目を伏せるしかなくなった。親友の才能を妬み、それでも親友を支えて生きた。その挙句が狭心症。あまりにも辛いではないか。もっと穏やかに命を全うさせてやってはくれなかったのか。菊池氏の人生を前に、時代の違う私は泣く事しか出来なくて悔しかった。

 様々な文士の、様々な人生を私は知っている。決して傍で見てきた訳では無い。出来ればそうしたかったが、時代が違う。私が生まれたのは平成だ。それに彼等と血が繋がってはいない。私がもし子孫なのであれば、私はそれを誇った。彼等の生きた証を世に流した。でも、私は彼等と関わる術を彼等の遺した「本」以外知らない。でも、その本で私は関われる。もう一度言う。私も文章を書く人間である。彼等の影響を大きく受けている。あれだけの人生を送る事は出来ない。時代が時代だ。神経衰弱にでもなれば同じ気持ちが味わえるかとも思ったが、生憎、私は精神的に疲れても眠れば解決出来てしまう人間だ。面白みのない、ただのお喋りが好きな一介の創作者に過ぎない。彼等のような才能は持ち合わせていない。彼等の生き方を真似る事が出来ないから、こうして弔う事を続けるのだ。「本」を媒体として。
 文頭にも言った通り、これは愛の詩である。私の人生を変えたと言っても過言では無い文士達への。私は彼等の文学を後世まで残したいと常々思っている。それは他の人間も同じだと思う。私と同じように、たった一冊の文学書で人生を狂わせた読者は多くいると思う。その読者達に今一度伝えたい。どうか、文士達の「本」を読む事を辞めないで欲しい。彼等の命を繋いで欲しい。日本文学の頂点とも言える明治、大正、昭和の文学を未来永劫遺して欲しい。私もそれを続けるから、命果てるまで続ける事を約束するから、皆もそうして欲しい。そうすれば、彼等の人生に意味があった事を示す事が出来る。空の上でもきっと文字を書いているであろう誇り高き文士達に、とびきりの思いを伝えられる。
 この文学史は途絶えてはいけない。この先に待ち受ける未来がどんなものであろうとも、繋いでいく事が我々「読者」の使命なのだ。その使命は、果たしても果たさなくても何ら影響は無い。死ぬ訳でも無いし、誰かに恨まれる訳でも無い。ただ、それで良いのか、という事である。自分が愛した人間を最期まで愛するのが誠意なのならば、自分が愛した文学を最期まで愛するのも誠意だ。もし、これを読んだ貴方が「読者」を自称するのなら、どうか使命を果たしてくれ。
 私は、懸命に生きた文士達へ愛を捧げる。彼等の人生に涙を流す。彼等の作品に心で触れる。彼等の文学に深い理解を示す。それが私の愛であり、「読者」としての天命だと信じる。

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