見出し画像

止まらなくなった足を休めているだけ

**はじめに **

私は、もうすぐ休職して2ヶ月が経ちます。
休職をしてからいろいろなことを考える時間がありました。
それらが自分のこれからの人生で振り返るべき大切な出来事であると思えたので、整理するためにnoteに残しておこうと思います。

溢れた水を溜めるもの探し🚰

今年度から看護師として病院に入職し、3ヶ月ほど経った頃に休職させて頂くことになりました。休職に至った経緯については、自分なりに振り返り、職場の方とも話し合いをし、整理することができてきているので伏せておきます。

一言でまとめてしまえば、『社会人』になる準備が出来ていなかったと言うべきでしょうか

心療内科のクリニックに初めて行った日の朝、私はいつも通り仕事に行こうとしていました。
家を出て、駅に向かい電車に乗って、職場である病院まで歩いていく。いつもと変わらない毎日が始まる予定でした。
ですが、病院まであと100m程度の場所で足が止まらなくなったのです。赤信号なのに。
なんとか止まらない足の方向を変え、私は泣きながら「病院に行けなくなっちゃった」と母に電話しました。
コップに溜まった水が溢れたように感じました。そして、自分が1番自分に驚いていました。
それと同時に、人生そんなもんかとも思いました。

風船のようにふわふわと🎈

大学4年間は、看護師になるために勉強をしてきました。
今振り返ると、看護師以外の仕事について、調べようと思ったり、深く考えたのは高校2年生が最後だったように思います。
母に『資格』がある職業として看護師はどうだろう?と勧められた私は、そこからは当たり前のようにすんなりと自分の将来に当てはめ、選択していくようになりました。
自分の未来のことなのに…お馬鹿ですよね。
振り返ればいつも自分の人生のようで、別の誰かの人生を歩んでいたようにも感じます。
ですが、大学に通わせてもらい多くのこと学んだ思うし、物の考え方が知識を土台に深くなったことは嬉しいことです。
そして、何より資格が無事に取れたことは、自分のこれからの最後の切り札になったと思います。

お暇を頂いています。

お暇を頂いて最初の1ヶ月は自分の未来が見えないのが不安で、でも病棟で看護師としてまた働くのが怖くて転職サイトを夜遅くまで検索していました。
最初は、看護師免許があった上で働ける場所を虱潰しに探していました。実際、Twitterなどでは第二新卒で転職されてる方もいて、「免許を活かして転職したら自分は救われる」そう思って必死でした。
転職先を探しているうちに、自分がなぜ病棟で働くのが怖いのかちゃんと向き合えるようになりました。

それは、仕事内容が
人の死に繋がる』ということでした

いい意味でそれは人の命を助ける仕事、人とそれだけ深く関わる仕事だということだと分かってはいます。講義や実習で学んできておいて何を今更…と思われる方もいるかもしれません。
ですが、臨床での『人の死』は自分の中ではショックの大きいものでした。
看護師免許を活かして働く場合に『人の死』から完全に離れることはできません。もちろん直接的に関与することが少ない仕事もあるとは思います。ですが、人に関わり、心身に大きく影響する立場にあることには変わりはないと思いました。
看護師免許を生かした上で働いていくためには、『人の生と死』と向き合う覚悟が必要であり、私はまだ足りていなかった再認識しました。

お暇を頂いて2ヶ月に突入した頃から、免許の有無に関わらず働く場所とはどこなのか考えるようにしました。意識し出すと、私の周りにはたくさんの仕事がありました。
スーパーやコンビニ、宅配便、カフェ、本屋さん…私が家にいるだけでも働いている人と関わる機会があり、日常生活の中で出会うたくさんの人たちが働いているんだと、そして、私の家族も毎日働いているんだと再認識しました。
看護師だけが仕事じゃない。たくさんの人がいろいろな職業をしながら生きている。当たり前のようなことだと思っていましたが、大切なことだと思いました。

そうした中で自分が今、お暇させて頂いていることを有り難いと思えるようになりました。入院されていて、働きたいのに働くことができない方やコロナ禍で大変な思いをされている方も沢山いる中で私は休んでいる。
診断書を出して貰っているという事実はあるにしても、自分を責めて後悔するばかりではなく、現状を認めて前を向く事も大切だと思いました。
学生時代のアルバイトをしていた頃に感じていた仕事に対しての考えと別なものだったのは、確実に自分が『社会』に出ていたからだと思います。

仕事に就くということ

仕事に就くということは、いいガマンをすることだと本屋さんで立ち読みした本に書いてありました。

いいガマン…自分の成長に繋がる
わるいガマン…精神、身体的に辛くなる

いいガマンを乗り越えていく中で、人は成長し、仕事を好きなったり、仕事にやりがいを感じるものだそうです。振り返ると、私はいいガマンよりわるいガマンの方が多かったかのように思います。
仕事から帰ってきて倒れるように寝たり、休みの日が寝て終わったり、食事量が減ったり…そうなるまでガマンはしないこと。大好きな映画を観てる時に、疲れて寝てしまっては自分の生きがいは無くなってしまいます。
私は、趣味が楽しめなくなったことが自分の中で大きなわるいガマンだと思いましたし、それがきちんと休息をとるポイントの1つだったとお暇してから気が付きました。

ハードルに脚が絡まったとき

私にとっての人生で1番高いハードルは常に『親孝行』です。私は、家族が大切で大好きです。いつでも味方でいてくれる存在。そうであってくれることに感謝しかありません。
しかし、そのハードルは歳を重ねていくにつれて大きくなっていくものです。
女性の場合、手に職をつけ、良い人と結婚し子供をもうけることが自然に求められるのではないでしょうか?
20歳を過ぎてからは、法律的に大人になったという理由で飛び越えられるだろうと用意されたハードルがさらに高く、多くなってきました。

私はこのハードルを飛び越えたいためだけに、一生懸命になっていた部分があったと思います。信頼を失いたくない、嫌われたくない、だって『家族』だから。

ですが、お暇を頂いてからも家族は家族でいてくれることに気がつきました。最初の1ヶ月は家族とのギクシャクもありましたが、ありがたいことに今では理解を示して、普段と変わらないように接してくれています。
とても嬉しかったです。ありがとうね。

好きなことを仕事にするか、仕事が好きになるか

看護師にとってのいいガマンは経験、知識に繋がるということです。
臨床経験は看護師という職業にとっては武器になります(転職の面でも)。また、社会人という立場的にも一定の期間同じ場所で経験を積むということは大きな武器になります。

資格=免許ではなく、資格=キャリア
なのが社会人としてのこれからの人生です

私は看護師あるあるだと思うのですが、お礼奉公の身です。奨学金って働いてる間はすごい大きな足枷なんですけど、その期間働き終わったらきっとすごい楽になるんだろうなぁと思うんです。

今回のお暇で、たくさん自分なりに考えて私は看護師としてもう一度頑張ってみたいと思いました。
・せっかく取った免許を本当の力が発揮できないまま無駄にしたくない
・奨学金を返したい
・ちゃんとした社会人として、自分に誇りを持った自立した大人になりたい
(社会人として自立したら、その後の結婚とかのハードルは一旦無くしてほしいという期待を込めて)
という邪な理由がほとんどです。

そして、そうは思いながらも自分の好きな映画に関わる仕事をしてみたいと調べたりもしています。欲張りですよね。
いいんです、人間なので。
お礼奉公が終わるまで働いたとしても、まだ20歳代。夢を追いかけ続けたい気持ちが今はあります。

看護師の臨床経験を蓄えつつ『社会人』として成長した4年後の私へ

看護師の仕事は好きになりましたか?
好きになれたら続けてみてもいいかもね。
いつだって患者さんの1番の味方になれる看護師でいてね。自分の悩んだこと、苦しんだことは後輩の子達には軽くしてあげて、優しくしてね。

それとも、好きを仕事にしたくて、準備が整って挑戦してみたくなっていますか?
看護師としてある一定のキャリアは十分ってくらい頑張ったかな?頑張ってたら、偉いよ!
映画を大好きになったのは一人暮らしをした大学4年間があったから。1人の時間を支えてくれる、いつでも私が体験したことのない世界に連れて行ってくれる映画が大好きになったんだよね。
お暇をいただいたまま中途半端に夢を追いかけても、きっと同じことを繰り返してしまう。大好きな映画が嫌いになってしまう。
それが怖くて、嫌で、私はお礼奉公を終える4年間、自分の鍛錬のために働くことに決めました。
好きなことを仕事にするためだもの、夢を追いかけてもいいよ。私には困った時に使える切り札がある。
今の私なら諦めが着くまで追いかけて。大丈夫。私が保証する。

でもね、人間働き出してからの人生の方が長いんだから、また辛くなったら自責なんて全くしなくていい!お暇を頂きましょう。
私はいつだってその時できることを頑張ってるんだから。自分に優しく。
ご自愛大切に。生きてくださいね。