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And leave my world so cold

You are (not) alone

音楽に最初に興味を持ったきっかけはマイケル・ジャクソンでした。チビの頃はマイクの玩具、帽子を被って真似っぽいことをしていたんだけど、その頃からマイケルのイメージは”おともだち”であった。ペプシのCMなんて、本当にこんなことが起こってるような気持ちになって、強烈に覚えています。ちなみに彼は炭酸が苦手でペプシは飲めなかったそうですね。

…なんというか、画面の向こうから、ジャジャ丸、ピッコロ、ポロリと共に、きみも〜♫おいでよ〜♪まって〜るホ〜イ!!!と、唄って踊って、彼彼女たちがいる世界へ誘ってくれているようだった。おともだちになろう!そしていっしょにあそぼう!みたいなノリ。ワクワクするよね。まあチビの頃はみんな似たようなもんだと思うが、私はワリと未だに"向こう側"の人にこの”おともだち”感を持っているように感じる。去年、鳥取の"水木しげるロード"という場所に行ったのだけど、そこはクオリティの高い水木しげるが描いた妖怪たちのブロンズ像がズラッと並んでいる、だけ、なんですけどね、自分ブチ切れたみたいに大はしゃぎして像と共に写真撮りまくりました。んで、その写真の中の自分、信じられないくらいイキイキした表情してんの。同行者も、あまりの開放ぶりに唖然とした、と言っていた。あのときも感じていたんですよね、「ウワァーッ!おともだちがいーっぱいだあ!」と。今年36なのに…。

ピーター・パン/変なおじさん

マイケル・ジャクソンは2009年、"おともだち"(少なくともマイケルはそう認識していたに違いない…)の、ヤブ医者による過度の麻酔薬投与(と言われている)により50歳という若さでこの世を去った。彼の生前の偉業は計り知れない。音楽やダンスは勿論、人種の壁もぶち壊した比類なき天才、というか人類へのギフトみたいな人物だった…、とか言っちまっても異論なかろう。しかし同時に彼はすさまじい誹謗中傷、パパラッチの猛攻撃にも相当苦しんで生きていた。曲でも態度でも訴えていたし、私は長きに渡る"おともだち"のマイケルが、どれだけのものを人々に提供しても、まったく止む気配のない恐慌の嵐に彼が晒されたこと、今思い出しても心がマジで痛む。しかし、頭では「”なんだか変なおじさん"と多くの人に認知されていたとしても仕方ない。現実ってそういう世界だから。」と了解している。悔しいことだけれど、マイケルは歪だったのだ。でもマイケルを"歪な存在"にしたのは、"現実"の歪さ、だと思っています。

生まれたときはただのベイビーだったマイケルが、ハナから歪んでいたわけではない。

ちみたん大好き

ところで、人間でも犬でも猫でも、生まれたてベイビーに手で触れてみると、なんとも凄い情報量のナニカ、が流れ込んでくる感じ、わかりませんか?みずみずしくてもっちりとした、物理的(パワー的)には、こちらが簡単に潰せてしまえるでしょうが、でも、すっごい無理!!!と慄くほど、圧倒される何かがある。私はあれが人権、とか、尊厳、てやつなんじゃないかなって思ってる。だから、ヘレン・ケラーのウォーター!!!よろしく、あれに触って、はいこれ!これが人権(猫権、犬権)!!!尊厳!!!わかりますかっ!!!…てやりたくなる。(その真ん中にあるのが、命、ですよね〜…フィール…)幼児虐待、動物虐待て、臆病者が自分よりも弱いものを攻撃することで自分は強いのだと錯覚させ自己肯定感を得る。ので、やる。…という理屈、まあ理解出来るんですけどね、でもね、うそぉ、て思う。怖い。あんな凄いもん、叩きまくるとか逆に何が飛び出すかワカラン、叫び声とか内臓とか。しかもナマ。怖い。という潜在的な恐怖が湧くんですけど、おかしいのかなこれ。おかしい?

向こう側の、有名で人気者なのだから確固たる立場を得たであろう強きもの。若しくは、誰からもかわいい、と愛でられ、保護される、コミュニケーション不能の弱きもの。強くあっても、弱くあっても、どっちにしろ攻撃したくなる…、そんな、特別ではない自分。向こう側から、あなたは僕らと同じ、世界にひとつだけの花!とかっつって、言われてもネ。と拗ねる、なんでもない自分。だからそいつらに、なんか一泡吹かせてやりたい…。そんなさ?そこから得る"肯定感"て一体なんなんですかね??いっそそんな気持ちを駆り立てる"自己肯定感"自体、必要ですかね??甚だ疑問だね!!!とプリプリしていると、

そう思えるって幸せなことだよ、アナタもうそれ"自分を肯定できてる"状態なんだよ、みたいなことを何度か言われたことがある。それもそうなのかな…ガーン。でもさ…マイケルや水木しげるキャラのブロンズ像を"おともだち"認識って、現実と虚構の区別出来てないね、とマジで不安になるし、("リアリティー"と"ショー"はくっつかない、て思ってるくせに!)そのくせさ、身近に会ったりする人には「あっ、友達ってゆうか…知り合い?の…、此方○○さん、エヘッ…」なーんて言い方になっちゃったりとか、「うわー、オイラなんかと気さくに話してくれるなんて…スイマセン(汗)」と、オドオドする場面が沢山あるんですよ。距離感変すぎでしょ。

孤独ってそんなカッコええもんとちゃうで

…はっきりしてることはある。それは、私はなんか"孤独"を抱えてるってことね。"孤独"と一言で言っても色んなタイプがあると思うんですが…、私は自分の心の中を指差して、「ウワアこれ孤独ですね隊長(誰?)」て報告できる(だから隊長、て誰?)箇所が、確かにあるんですよ。この"孤独"と"おともだち"という関係を結んでいるのは、例えばマイケルや水木しげるが描いた妖怪、二次創作が止まらない少年ジャンプキャラや、ボビー・ギレスピー先生(先生ですが)なのかなと思います。(なんだこの虚しさ。そう、これが"孤独")この”おともだち”という感覚こそが、私に遠い存在を「一人の人間」と認識させた、んだとしたら、孤独、もいいものじゃないか、と思ったりしました。


例えばきゃりーぱみゅぱみゅさんが、わざわざ「芸能人だって一人の人間だよ忘れないで」などと、至極当たり前…よりも以前も以前のこと、を発言せねばと思うに至っただなんて、ただただ悲痛だな、とかなしくなる。こういう発言は、様々な人たちによって、何万何億回と繰り返されてきたのに。


"おともだち"が苦しんでいたら、私はとてもかなしいのです。


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