関ジャニ∞へのメッセージを考えた日記

2023年10月2日、私の大好きなアイドルグループが、20年近く連れ添ったその名を変えることになった。

個人的な話ではあるが、「応援しているアイドルがグループ名を変える」という稀有な経験は、私にとって2度目である。

2度目とはいえ、苦しいものは苦しい。

何が苦しいって、自発的な改名ではない。

ただし、商売を続けていくには必要なことで、
むしろ続けていきたいのならするべきだ

一端の社会人としてはそういう理性もはたらいている。


アイドルを商品と評するのはあまり好きではないが、商品に着いて回るブランドイメージの重要性は認識しているつもりだからだ。

ただ彼らが、アイドルが血の通った人間であることは忘れてはならない。
たとえこういった騒動が起こらなくても。








どうも、“まだ” 関ジャニ∞でーす!

ファンクラブ内で、新しい名前案について自分たちとファンの考えが合っているのか確認したい、という内容の動画がアップロードされた。その動画の一言目はこれだった。

いつも通りのにこやかな顔と、言葉と、雰囲気に安心した。


思い返せば、いつも関ジャニ∞は笑っていた。

5人体制で走り出すことが発表された動画の中でも、いつも通りの和やかなトークをしていた。

その当時「しんどかった」とこぼした胸の内をちゃんと知ることができたのは、2か月以上経ってからのことだった。(シングル『友よ』の特典映像『ぼちぼち大切な夜』より)



私は、彼らの笑顔を見ると時々泣きそうになった。
辛い時に笑わなければいけないのがアイドルなのだろうか、と。

メンバーの丸山隆平さんが、2023年10月8日のブログで「誰に笑われても良いという強い心」を「恵まれた才能」と言った。

いろんな言葉を投げかけられるアイドルは、その強い心を持たなければならないのだろうか。


なんだか、事あるごとにアイドルとは、みたいな議題ばかり考えている気がする。

かれこれ干支一回り以上はアイドルのオタクをしているので、しょうがないのかもしれないし、長年「推す」ことをしていても「他人の気持ちを推し量って理解した気になっている」ようにはなりたくない。


が、たとえアイドルだろうと、人前に立つ職業だろうと、笑われてもバカにされても悪口言われても平気な人なんていない。
残念ながら人の心はそんなに頑丈じゃない。

辛い時に笑わなくてもいい。
明るく振る舞わなくてもいい。

傷ついてまで夢を見せなくてもいい。


そんなことをこちらが思っていたとしても、

それでも、
関ジャニ∞は笑ってくれていた。




そんな彼らの明るい強さは、ひとつのブランドイメージであると私は思う。

その証拠と言えば頼りないが、関ジャニ∞が好きなんです、と人に伝えると、大抵が「面白いよね!」とか「元気でいいよね!」とか「ライブ楽しそうだよね!」と言ってくれた。

思い返せば、私自身が外野から見ているときもずっと、何かわからないけど彼らは楽しそうで面白くて親しみがあって大きな口を開けて笑っている印象だった。

関ジャニ∞が出演したWANIMA主催のワンチャンフェスにて、村上信五さんが観客に対し「関ジャニ∞楽しいかー!?」と煽りを入れ、イェー!にもオォー!にも似た野太い歓声が返ってくるのがとてつもなく好きだった。


そうだよ。
関ジャニ∞って、楽しいんだよ。 

本人たちにそんなつもりがなくても、これは関ジャニ∞という「ドブ板を捲って出てきた」と言われてしまうような、ライブでコントやら漫才やらもやってしまうアイドルの、20年近く守ってきた大切なブランドだ。

だから、先の「“まだ” 関ジャニ∞です!」なんて挨拶の皮肉めいた明るさにも「いつも通り」だと感じられるし、その明るさにいつも通り救われた。

動画を再生するまでドキドキしていた心が、一瞬にしてほぐれた感覚がした。
泣きそうになりながら思わず笑ってしまった。

彼らの笑顔はうつるのだ。
あくびがうつるように、その笑顔はつながるのだと実感した。




彼らがこんな時でも笑わせてくれる明るくて強いアイドルであることが少し憎くもありながら、そうやって笑い飛ばしてくれることにはきっとこれからも感謝し続けると思う。

だから彼らにできるだけ、心からの楽しい笑顔が訪れますようにと願いながら、この曲を聴いている。

彼らに送る名前案もメッセージもまだ、まとまってすらいないけど。


無理して笑っても無意味と笑われても
それすらも笑ってりゃ逃げ出して居なくなるさ
この胸生きてゆこうと 今、音を立てるのは
悲しみ憎しみじゃなくて楽しい高鳴りであって欲しい

関ジャニ∞『ワッハッハー』





関ジャニ∞の笑顔が見たいとき↓



(2024年2月音源リンク追記)