梶くんの罪悪感
こちらは2022年10月22日にふせったーにて公開した文章を微調整し掲載しています。
パラダイス観劇後の日記、
タイトルの意味と梶くんの罪悪感
パラダイスの初観劇は9/26。
感じたことを言葉にするまでに時間がかかる方だけど、それにしてもこの作品に対する答えはなかなか出ない。
それでも少し考えてみたので、10/22時点での仮の答えをメモしておきたい。
自分たちは被害者なのだと部下を圧迫、ある意味洗脳する梶くんの姿に最初こそ笑えないなと思っていたけど、この物語は喜劇だと主演の丸山隆平さんが教えてくれた。
なので、全体を通して梶くんは「善悪の知識を履き違えたバカな男」として描かれているんだなと思うことにした。
言い訳のために部下を殴り、悪くないと思ったら謝らなくていいという正論を振りかざしながら人に謝らせる梶くん。
自分はやさしすぎるから、と、さも思ってもないような謝罪を軽く述べる梶くん。
それでも極悪人に思えないのが不思議だった。
そういえば最後にお母さんが言う、悪いと思ったら謝って、なんて当たり前の会話を彼は聞かなかったなぁ、ということに、観劇して随分あとに気づいた。
もっと早くこの言葉が聞けていたら、1度目?の帰省でこの言葉が出ていたら、梶くんはどこかで留まっただろうか。
そもそもパラダイスって何なんだろうか。
詐欺師の栄枯盛衰?
概要に書かれたその言葉ももちろんだけど、タイトルが発表された2020年時点で、なにがパラダイスだよ、と思ったことを覚えている。
ただ、パラダイスという単語は自分が知らないだけで別のメタファーだったりするのかもしれない、そう思って簡易に調べてみた。
以下、コトバンクより抜粋。
うっすら分かってはいた、また聖書のこと調べなきゃ…と思った。
これは、丸山隆平さんが演じた前作の『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』のおかげ(せい)でもある。
とはいえ浅くて薄い知識しか得られてはいないけど、
ざっくりと言えばアダムとイブは神が創った人間の祖であるということ。そして彼らが暮らしていたのが「エデンの園」という楽園で、そこには悩みも苦しみもなかったということ。
しかし彼らは蛇に唆され、神が“してはならない”と決めた「原罪」を犯し、罪の意識というものをおぼえ楽園を追放される。
これらの事を踏まえ、『パラダイス2022』はまさしく梶くんが“楽園追放”される話なんだと思った。
楽園とは、劇中で言うところのボウリング場やビルの屋上だろう。辺見さんが一度だけ劇タイトルをセリフ中に使うのも屋上だった。
詐欺師たちはそこで楽しく暮らしていた。
自分たちは悪くないと言い張り、これは“復讐”だと、まるで善行みたいにお互いを励ました。
「罪悪感」を抱き、楽園を追放されないように。
俺がバカだったと気づいた梶くんも、お前のせいで自殺した老人が何人いるかと梶くんの罪を責める辺見さんも、みんな、罪の意識が芽生えてしまった。
隠していたものが見えてしまった。
それにより、迎えたのがあの夕方の屋上だ。
だから、『パラダイス』の本当のタイトルは『パラダイス・ロスト』なんだろうと勝手に思っている。
失・楽園までの道のり。
詐欺師の栄枯盛衰の中で言うならば、メインはおそらく、“枯”と“衰”。
楽園自体とそこへ訪れた人間たちの枯れていくさま、梶くんっぽく言うのなら、腐っていくさまを箱庭的に詰め込んだ、それが『パラダイス2022』という答え(仮)に至った。
そして、アダムとイブの“パラダイス”に関しては続きがある。
楽園追放のとき、神が与えた最大の罰は「人間はいつか必ず死ななければならない」ということ。
だとしたら梶くんは最後…
かなしくて切なくて、実にバカバカしいなと思う。
手放しで笑えるシーンだけでなく、こうやって人が人をくだらないと思い、あざ笑う様も喜劇の一面なのかもしれない。
猫の死体を見つけた時、俺のせいかも、と謝罪の一歩手前までは進んでいた。
それでも何かを言おうとしては遮られ、うやむやになって消えていく言葉たちがいくつもあった。
だからこそ、最後にお母さんが言う、悪いと思ったら謝って、なんて当たり前のことをもっと早く梶くんが聞けていたら、と希望的観測をしてしまう。
最後に出た梶くんの本心は、疲れちゃった、だった。
梶くんは、本当の楽園を見つけられただろうか。
そこで元気でいるだろうか。