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科学に対する過大評価と過小評価

SNSを見ていると、福島第一原発の処理水放出の問題はあたかも科学派(放出擁護派)と非科学派(放出反対派)の対立構造かのように位置づけられているようです。しかし、それぞれの立場の人々が科学を過大評価や過小評価しているようなふしが見受けられ、それは少し危険です。

例えば、放出擁護派の意見「処理水の放射性物質の濃度は基準値を下回っているから、放出しても問題ないことが証明された。」これは、科学を過大評価しています。自然科学は実証主義なので、現実に起こったこと以外を正しいとは断言できません。残念ながら自然科学は普遍の真理に直接アクセスできる仕組みではありません。

「処理水の放射性物質の濃度は基準値を下回っているから、放出しても問題ない」これは、仮説です。仮説に至るまでの論理によってその仮説の確からしさは上がりますが、仮説の域を出ることはありません。仮説と検証はセットです。

「処理水の放射性物質の濃度は基準値を下回っていることから、実際に放出しても問題ないと推測される。でも実際に問題ないかはわからないから、処理水放出後に周辺海域の放射性物質の濃度を検査していく。」これが科学的なやり方です。

一方、放出反対派の意見「薄めているとはいえ放射性物質が含まれている水を放出するのだから、もし影響があったらどうするんだ。わからないのだから放出してはいけない。」これは、一部合っているのですが、科学を過小評価しています。
わからないというのは合っているのですが、科学はわからないことに対して無力ではありません。仮説と検証によってある程度確からしい推測をすることができます。そして、間違った仮説を後から否定することができる仕組みを科学は備えています。

科学に対する評価を見直してみると、お互いもう少し歩み寄れるのではないでしょうか。

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