わたしが石丸候補に嫉妬していた理由と、近い未来に嫉妬しなくなる理由

最初に行っておく。石丸伸二候補、2位おめでとう。事前予想と比べてかなり健闘したと思う。ただ当選したわけじゃないからおめでとうはいわない。
さっそく本題に入ろう。都知事選が終わってすぐ判明したのだが、どうやらわたしは石丸候補に対して少しだけ嫉妬していたようなのだ(演説なら自分の方がうまいとか書いていたのはたぶんそれが理由だ。わかりやすい)。
安芸高田前市長(元市長が正しかった。いまは新市長選ばれたからこれでいいんだよね?)と言っていた理由も多分直視したくなかったからだ。
特定政党に頼らず、無党派層を動かし、組織票の蓮舫を破った。
これはかっこいいことなんだ。それはまさにわたしが革命家としてやりたいことだった。それを石丸がやろうとしていて正直悔しかった。
 
前回の記事の作家と違って、こっちはまだ解決していない。
でもあと少しだ。次の衆議院選挙までには石丸を妬む気持ちはまったくなくなるはずだ。なぜなら、石丸が今回の都知事選で占めた場所に次、彼はいないだろうから。
 

安全保障関連法反対デモが盛り上がった2015年夏。シールズという学生団体が注目された。彼らは自分たちで行っているようにたまたま目立つ位置にいて護憲派や世論におされただけだった。
選挙の歴史を振り返るとこういうことがよくある。鬱屈した感情があり、それを代弁してくれる場所にたまたまいて持ち上げられることがある。
石丸候補の選挙戦略のうまさも褒めるべきだが、彼がここまで得票できたのは自民党の政治と金、既存政党に対する不信感を抱えた有権者をうまく自分の得票に変換することができたからだ。彼の選対には技術があった(経験者がついていたらしい)。
はっきりいうと、小池対蓮舫という見慣れた顔同志の選挙で、都民は新しい顔を待望していた。石丸候補はそこにうまくはまり込んだというわけだ。
だから、次の国政選挙に出馬するとして、その票を石丸がとれるかはわからない。世論はいまだに非自民の政権の誕生を望む声が大きくなる。
国政選挙では、反自民の彼が新党を作ったところで彼についていく人間は多くない。小池百合子クラスが民進党と組んでようやく戦いの場に上がれるくらいだ。知名度は都知事選で上げたかもしれないが、純粋に彼の力量、国政を動かす理念、なにより理論が不足している。
まとめると、石丸は都知事選では目立ったが、同じことが国政で通用する可能性はほぼない。
石丸が広島1区で出馬するというのが本気かどうか知らないが、大きな党を作らず、個人でやっても伸び悩むことはれいわ新選組という前例がある。石丸を既存政党が欲しがるかは不明だ。推薦を断った維新と組むことは考えていないだろう。
あるいは、既存野党をすべて解体して、まったく新しい新党ができてそこで出馬することを考えているのかもしれない。
国政選挙に出るとしても、石丸はわき役でしかない(総理候補としては見られない)。市長時代についてみる限り、彼は山本太郎と同じスタンドプレー先行タイプの政治家で、大局を見て戦う軍師ではない。選挙結果を見る限り、優秀な支援者は集まっているようだ。

それでも、世界共産主義革命の最高指導者であるこのわたしと比べること自体がおこがましい。石丸レベルの人材など探せばそれなりにいる。
唯一無二、代替不可能。革命の理念、理論、革命の後何をするか理解している革命家のわたしと、反自民の風にうまくのっただけの石丸候補。見事な戦術だったが、石丸候補に嫉妬を抱くことはもうないだろう。
日本で本当に政治を変革しようという声が多数派を占める時、わたし以外にそれを指導することができる人間は存在しない。12年前からそのときのために準備をしていた。
わたしは時代や世論の風におされる客体ではない。主体であり、主権者なのだ。
自民党のクズ政治家どもやりたいほどやっているならお仕置きしなければならない。主権者として。
旧体制が国民を押しつぶそうとしているなら、わたしはそれを吹き飛ばす。建物の下敷きになるのはお前らだ。
わたし自身が嵐なのだ。妬みすら吹き飛ばす。嵐が旧体制を吹き飛ばしてしまってもそれは大いなる意志の表れにすぎない。
大いなる台風の中心に君臨するのは夜明けのにんじん王。畏れよ、服従せよ。
台風の目。それが誰になるかはすでにわかっている。
今回の都知事選、わたしは正直心から楽しめているとはいえなかったが、いずれ楽しめるようになるだろう。石丸候補は健闘した。彼は既存政党をすべて吹き飛ばす大革命の氷山の一角を見せた。だが、それが表に出るのは革命が始まる時だ。
そうだ。世界はわたしを中心に回り始める。

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