鳴り止まない声には、好きなリップを
あまりに悲しい。
PRODUCE101JAPANTHEGIRLS、通称日プ女子が終わった。
終わったことが悲しいのではない。
終わった後に(終わる前からだけど)TLに溢れる容姿批判、罵詈雑言が悲しい。
最初は、怒りが湧いた。
その次に悲しくなった。
私は、美容業界に身を置くもので、ヘアメイクを主に行ってきた。
誰もが「自分の容姿をこうしたい、こうありたい」という理想を持っている。老若男女問わない。誰もがだ。
また、年を経るにつれて、容姿について
「ああ言われた」
「こう言われた」
「こんなふうに見られたくない」
というような傷が増えていく。
あまりに傷が深くて、傷を隠すためのこだわりが、ガチガチに強固になっている人もよく見る。
はたからみれば、「気にしなくていい」と思うようなことだが、
そんな簡単な話ではないのだ。
この外見至上主義(ルッキズム)社会で
よかれ悪しかれ容姿に何も言われず生きてきた人など、いないだろう。
話は戻り、例えばこんな声を見ると本当に泣きたくなる。
この人が容姿批判をするのは、
「自分の容姿が優れていない自覚があるから」。
自分が好きでない「オタサーの姫みたいなの」がアイドルとして、かわいい、綺麗だとチヤホヤされるのが気に食わないから。
自分の思うアイドル像からは、遠くかけ離れているから…
こちらのnoteで書かれている話に少し似ていますが、
容姿批判アカウントは、抑圧を敏感に感じ、社会の心無い声に傷つき、頑張って『規範』に合わせようとしてきた人たちなのだと思う。
あなたが容姿批判をしてしまうのは、社会のせいだ。
美人とされる容姿をチヤホヤし、容姿の劣るとされる人を蔑むこの社会のせいだ。
すれ違いざまに「ブス」と笑うやつのせいだ。
美人の友達と一緒にいるときに、空気扱いするやつのせいだ。
クラス写真を見て、嘲笑したやつのせいだ。
顔のせいで希望の職種を目指せない。
顔のせいで、親にかわいがられない。
そんな社会のせいだ。
でも、容姿批判をするということは、そんな社会を作っている一員になるということだ。
その怖さを本当に分かっている?
自分が苦しくなると分かって言っている?
ヘアメイクをしていて思うのは、相手のこだわりを聞きすぎてもうまくいかないし、かと言ってこちらの思いを押し付けすぎても相手は納得しない。
最後に心からの笑顔になるヘアメイクというのは、お互いの目指すスタイルが一致した時に出来る。
そして、心から笑顔になれるヘアメイクを纏っていると必ず人を惹きつけることができる。
アイドルの容姿の基準。
美人の基準。
スタイルが良い、の基準。
そうじゃない。
人を惹きつける魅力というのは、基準から大きくかけ離れたところにある。
アイドル本人、美容やヘアメイクに関わる人、そしてそれを見る人。
全てがアイドルを作っている。
容姿批判は本人に届いている。
それを受け取ってしまって、アイドルたちは本当に輝けるのだろうか。
そんなこと知ったことではないと、批判するあなたは思うだろうか。
あなたの受けた傷は、確かに癒されるべきものだ。
だからと言って、人を傷つけていいわけではない。
批判や誹謗中傷は人の命を奪うほど残酷なものなのだ。
私もかつてはルッキストだった。
SNSで攻撃したことはないけれど、なんとなくアイドルというものは、こうあるべきという基準を持っていたと思う。
それが、実際にアイドルヲタクになり、最愛の推しができ、推しが私の思っていたアイドル規範から外れていたことで
大きな衝撃を受けた。
自分の今までの価値観がひっくり返り、これまでの自分の言動を恥ずかしく思った。
自分の本当の好みではなく、世間一般的に合格と言われそうな人を褒め、それ以外は勝手に不合格のレッテルを貼っていた。
ほんと、何様なんですかね…
自分の好みを自分の気持ちで決められること。
それは自分自身をも、大事にしていることと一緒です。
自分のことを好きになるということは、人生が楽しいってこと。
来年は、みんなが自分の好きなリップを塗って、みんなが楽しく生きてくれたらいいな、と願います。
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