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増上寺の修行僧

 以下30年ほど前のことだが・・・
 
 当家は代々愛媛県松山市の某浄土宗寺の檀家であり、
寺の正面脇に石塀に囲まれた大袈裟な墓があった。
サラリーマンの父は東京勤務、住まいは横浜だったから、
墓参りにはそうそう行けるわけではなく、
墓の掃除などのもろもろは松山在住の叔母(父の妹)に頼んでいた。
 
 父は、先の事はさておいても今を楽しむ、がモットーであり、
信心深いとは思えないが、お盆の行事などは意外と律儀にやり、
お前は○○家7代目だから、諸行事を引き継ぐようにと言っていた。
因みに、私も今を楽しむ事に異存はないが、信仰心は全く無い。
 
 ある日曜日、港区芝高輪の増上寺で回向
(えこう:読経により、ご先祖様を供養する)
してもらうから、お供せよとのこと。
実際は運転手をせよとの事で、両親と我夫婦の4人で増上寺に出かけた。
増上寺は浄土宗の総本山で、一日3回のお勤めに合わせて、
希望者にご先祖様の追善回向や、命日回向をしている。
寺に到着して手続きをし、暫し待たされた後本堂に入ると、
所定の位置に座布団が並べられており、そこに案内される。
 

ここで回向が行われる


 定刻になると、10人ほどの修行僧を従えた、お坊様が現れ、
正面の阿弥陀如来像に向かう椅子に座り、読経を始める。
途中から、後ろの板の間に正座している修行僧が一斉に合唱する。
10人ほどの若者が声を上げるお経は、荘厳で、本堂内に朗々と響き、
意味は分からずとも、思わず聞きほれる。
 
 そのうち、修行僧が我々の前に進み出て、
一人一人が入れ替わりながら丁寧に一礼する。
まだ10代と思しき若者達が、痩せた体に粗末な法衣を纏い、
一心不乱に修行に励んでいる様子だ。
我々に向かって床に頭が着かんばかりに深くお辞儀する時の
邪気の無い澄んだ目が、今でも忘れられない。
 
 10年後、父の指示で、当家の墓は東京の某霊園に改葬した。
今は亡き両親の法要の折は、墓参りを兼ねて霊園付属のお堂で、
浄土宗のお経を上げていただいているが、少々俗っぽい。
一度、増上寺に回向を頼んでみようかと思わぬでもない。

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