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両親 10.父の88会

 姉も私も両親とは正反対の、地味な性格で比較的真面目だった。(と思う)姉の2人の娘と私の2人の息子、つまり両親の孫4人も多少のことはあるにしても特に問題なく、普通に大学に入り、卒業して普通に結婚した。両親は、この「普通」に満足し、誇らしかったらしいが、私から見れば、一人くらい、普通ではない子供がいても面白いと思うのだが、兎も角皆が皆平凡に大人になった。なお、私の次男は父と同じ某重工業に就職して今に至っている。

  母は趣味の長唄を続け、こともあろうに我次男の嫁を引っ張り込んだ。嫁は音楽大学のピアノ科卒でもあり、たちどころに三味線を覚え、母秘蔵の高価な三味線をもらって完全に毒され、現在でも、毎週渋谷のお師匠さんのところに通っている。(らしい)

  私は53歳の時、つまり両親が80前後の時に、新潟に転勤になり、以降、8年間、越後の人となる。東京出張の折や、お盆、正月、5月の連休時には、横浜の自宅に滞在し、親孝行のつもりで両親の家を訪問した。両親は、いつこっちに(転勤して)戻るのかと、いつも聞いたが、あと5年だとか、3年だとか、それまで、元気でいてくれと、その度にもっともらしいことを言ってごまかしたが、実際に東京に戻ったのは両親の生存中には間に合わず、亡くなって半年後だった。

  父が88歳の時、米寿の会をやりたいとのことで、一族と東京在住の父母の妹、甥、姪に声をかけて盛大(?)に開催した。下がその時の案内状だ。

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 皆様、お変りなくお過ごしでしょうか。今年、私どもの父、×××が米寿の88歳になりますので、この機会に久しぶりに皆様と是非、お会いしたいと申しております。皆様、お一人でも多くのご出席をお待ちしております。
                           2002年3月30日
〇 場所  ヨコハマ グランドインターコンチネンタルホテル31階中華料理    
      馬華 馬留(かりゅう)
 ○ 日 時   4月29日(月) 13時より、約2時間 
○ 費 用 3千円(当日受付でいただきます)
 ○ 出欠は4月10日(水)までにお知らせください。

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  会には27名が出席、親戚の集合は、至近で葬儀も結婚式もなかったから、久しぶりだった。最初に父が挨拶して、あとはそれぞれ賑やかに歓談となる。両親は元気に全員の席を回り、一緒に写真を撮ったりして、ご機嫌だった。姉の孫(0歳)もおり、母は初めてのひ孫を抱き上げて満面の笑みだった。最後に全員集合の記念写真を撮って終了した。

初ひ孫を抱く母
集合写真

  父は気をよくして、2年後にこれが最後だと、90会もすると言い出し、場所も規模もほぼ同じ要領で開催した。勿論、それが最後だった。

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