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Ep.4「膿んだ傷痕」

 痛いというのは、生きている証だと俺の母さんは言った。言いたいことは分かる。物理的にしろ心理的にしろ、痛いってのは生きているってことだ。死ねば痛いなんて分かる以前に魂なんざ天国だか地獄にいる。狂っちまえば、人の心の痛みなんて…、みたいな。母さんが言いたいのはそういうことなんだろうな。

「いいですか、エイジくん!」

 ふざけた調子の友人が俺の名前を呼んだ。何かと思えば、ソイツは腰に手を当てて足を肩幅に開いて、わざとらしく頬を膨らませてた。何かと思えば、“またか”とため息をついた。
 ソイツは、悪ふざけをしょっちゅうする。でも根はいいやつだから、担任からも目つけられる訳じゃない。

「また、委員長のマネかよ。楽しいのかよ。」
「はぁ?なーに言ってんだ。ニヤニヤしてるくせに。」
「はぁ!?んな訳ねーだろ!」

 俺がニヤニヤしているのを指摘した。そして俺がふざけてソイツを追い回す。ソイツは逃げて、それでいつの間にか疲れて、適当なところで休んで駄弁る。コレがいつもソイツとやってることだ。
 今日もその流れだ。

「あ、おい待て。」
「待つもんか──っ!?」

 ソイツと誰かがぶつかった。ソイツは俺の方を見ていて進行方向から目を逸らしてたから、ぶつかった。俺が「待て」と言ったのを、本気にしなかったらしい。
 慌てて駆け寄ると、ソイツはすぐに立ち上がったが、相手はなかなか立ち上がらなかった。

「あ、大丈夫っすか…?」
「あ……はい。大丈夫。大丈夫だから気にしないで。」
「委員長ごめんな。コイツがぶつかって。俺のせいだから。ごめん。」
「ううん。平気。ぶつかったのは軽くだし、尻餅ついちゃって、なかなか立てなかっただけだから…。」

 放課後の教室の委員長はいつもとは違った。なんかこう…穏やかっていうか。いつもピリピリしてて悪く言えばヒステリックって感じだったから、意外だった。

「なんだよオマエ…委員長の肩持ってんのかよ。」
「大体『待て』っつったのに、止まんねーし。前見て走らねーし。お前のせいだろ。俺も悪ぃけど。」
「分かる訳ねーじゃん…ったた。ごめん。」
「大丈夫、大丈夫だよ。」

 委員長がそう言って手をついて立ちあがろうとした時──俺はなんとなく手を差し伸べなくちゃいけない気がした。

「……森くん?」
「手貸すよ。それくらいはさせてくれ。」
「ありがとう。」

 委員長は本当に穏やかだった。昼間の委員長とは別人と思えるほどに。

「ってか委員長、何してたん?」
「え?…あ、ずっと部室にいたよ。忘れ物あって取りに戻っただけ。」
「ふーん。委員長部活やってんだ?」
「うん。…それじゃぁ、私はコレで。」
「……おいエイジ。委員長がなんの部活やってっか知ってるか?」

 こそっとソイツが聞いてきた。首を横に振る。
 今まで委員長が何の部活やってるのか、気にしたこともなかった。というか同好会の可能性もある。規模が違うだけで一応部活と同義だし。

「なー、委員長。」

 教室から出ようとしてる委員長を呼び止めたソイツは「なんの部活入ってんのー?」と尋ねた。
 委員長は「えっと」と言うばかりで、言葉に出さなかった。ソイツも眉間にシワを寄せた。口は動いてるけど、何も聞こえなかった。

「…ん?ソレって。」
「あ──っ。」

 委員長は足早に教室を出た。なんか変だった。

「エイジ。」
「あん?」
「委員長のバッグに、なんかキーホルダーついてたんだけど。」
「キーホルダー?それがなんだよ。」
「それさ、なんかのロゴだったんだよな。あー、なんつったっけ。忘れた。」
「じゃぁ知るかよ。」
「でもそれさ、女同士のなんたらってやつで一時期話題になって──あ、もしかして委員長ってソッチ?」

 曖昧な言い回しだった。多分委員長のことを同性愛者だって言いたいんだろと察した。

「うわー、マジかよー。」
「……。」
「やばくね?」
「…あ、おう。」

 なんとなく、嫌な予感がした。

 次の日、ソイツは委員長に絡んでた。近付いてみると結構な声量でソイツは話しかけてた。

「委員長、そのバッグに付けてんのってさ──。」
「っ─な、何?」
「委員長ってさ、レズなん?」
「──ち、ちが。」

 委員長が訂正するより先に、周りの奴の視線がそっちに向いた。

「……っ。」

 委員長は教室から逃げるように出て行った。するとソイツは、ふざけた調子で「ありゃマジだな〜」と言っていた。
 嫌な予感が的中した。
 ソイツを一瞬睨んでなんとなく、委員長を追いかけた。

「おい。」
「──っ。森くん。」
「……アイツが…変なこと言ったよな。ごめん。」
「…そんなこと言って、森くんだって気持ち悪いって思ってるんでしょ!?」
「え、いや。」
「昨日、話してるの聞こえたから!」

 思わず返事したあのコトを引っ張り出された。俺にはそういうつもりがなかったっつーのに。
 濡れ衣だった。

「あれは…思ってねぇ。あれは、つい返事しただけだし。」
「嘘!」
「マジだって!」
「嘘!どうせ優しいって思われたいだけでしょ!?」
「違う、俺は─。」
「信じる訳ないでしょ!」

 そう叫ばれて、何も言えなくなった。
 次の日から、委員長は学校に来なくなった。
 唯一の救いは、それが中学最後の学期の終盤にあったコトだったってこと。
 卒業式にも委員長は顔を出さなかった。

「永嗣くん。」
「ん?」
「覚えてる?」
「………は?」

 綺麗な見た目をした女だった。身に覚えがなくて首を傾げてると、教授が入ってきた。慌てて前を向くと女は隣に座ってきた。メガネをかけて前を見ながら、授業を受けている姿を見て─。

「委員長…?」
「……しー。」

 中学生から大学生ともなれば。性格だって落ち着くし物事だって考える。
 だけど、まさか委員長がここまで変わるとは。否定してないんだ。委員長に違いない。
 何か思い立って、慌てて小さなメモを用紙を切り離し、数文字記す。そしてそれを横にいる女に見せた。

【委員長だよな?】

 数秒して【そうだよ】というメモを受け取った。
 変わったなとか他にも言うことがあったはずだった。

【まだ、あのコンテンツ好き?】
【あの?】
【女の子同士の】
【好きだよ なんで?】
【俺、傷つけた】
【私も傷つけたよ】
【いや俺は傷ついてない 委員長が傷ついた】
【学校来なかったから?】
【うん】
【そうかもしれないね でももう大丈夫だよ】
【本当?】
【どうだろうね】

 そこでふと横を見ると、委員長は俺を横目で見てすぐに視線を逸らした。

「え。」

 委員長は、メモ用紙を奪い取ると、荒々しい文字で記した。

【おかげで、化粧とか覚えるの苦労したんだから】

「ごめん。」
「しー。」

【君が傷ついてないならよかった “今度は”私と仲良くして欲しいな 中学の時のことを無かったことにしないで】

 痛かった。
 傷口をかき混ぜられてるようだった。
 委員長も…そうなんだよな?

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