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自分の機嫌を自分でとるために

親が結構機嫌悪いときに結構面倒くさいタイプで、自分の機嫌は自分でコントロールしようと思って今まで生きてきたと思う。

でも最近一つの疑問がある。自分の機嫌がいつもと違うと他人から見てバレるような行動を(元気がない、目が合わないなど)とるときがぼくにもある。

このとき、ぼくは自分の機嫌をコントロールできていないのだろうか。なんか嫌だなってことがあったとき、それのままに体で表現することはむしろ自分の機嫌をコントロールするために必要ではないだろうか?

というような疑問だ。頑張れば一旦自分の気持ちを無視していつも通りにより近い形で振る舞うことはできる。でもそれをやってしまうと、そのときに無視したモノが負債となり後々大きくなって自分の手に負えなくなってしまう気がする。

というか、そういう実体験がぼくにある。過去に嫌だけど親のようにはなりたくなくて平気な顔して頑張った結果、今になって時間をかける必要が出てきている。

自分の機嫌をコントロールできる時間を最大化するためには、自分の機嫌をあえて野放しにする時間を安全な形でつくるのが大事なんじゃね?と今思った。

たぶん自分の機嫌を外に出すことを正当化したかっただけなんだろうけど、小さく破滅した方が全体で見たときに良くなるのような、生物的な構造を最近取り入れてみたさがある。

今読んでる反脆弱性の本が読み終わったらまた考え直したい。

おしまい。

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