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【小説】デズモンドランドの秘密②

※前回はこちら。

 流花は電車でデズモンドランドを目指します。
 デズモンドは一九世紀末に生まれたアメリカ人で、自分の名前を冠したアニメ映画製作会社の社長でした。
デズモンドランドは、一九五一年にアメリカに建設された巨大テーマパークで、デズモンド作品のキャラクターに会ったり、映画をモチーフにしたアトラクションを楽しんだりすることができます。時を経て、デズモンドランドはアメリカ以外にも造られました。一九八八年には千葉県にも造られ、なぜか東京デズモンドランドと呼ばれています。
 電車がとまりました。デズモンドランドの最寄り駅についたのです。
平日の昼間なのに、家族連れやカップルがたくさんおりていきました。流花も流されるようにデズモンドランドを目指します。
 修治が行方不明になったこととデズモンドランドが本当に関係しているのか、それは分かりません。でも、デズモンドのキャラクター「デニスとクリス」が本当に存在して、しかも彼らが修治のことを知っている以上、デズモンドランドに修治が行方不明になった秘密が隠されているはずです。

 入り口で切符を買って、デズモンドランドの中に入ります。切符を買うまで三〇分も並びましたが、これでも短い方です。日曜日になると、入るだけで一時間はかかります。
 並んでいる間、仲むつまじいカップルとにぎやかな家族連れにはさまれて、心細い気持ちになりました。
流花は大勢の友だちと群れて遊ぶというタイプではありませんが、かといって独りで積極的に行動できるわけでもありません。つまり、友だちが少ないのに自分独りでは行動できないという困ったタイプでした。そんな彼女がここまでこれたのは、修治を見つけたいという思いに突き動かされていたからです。
(私は別に、佐伯君と仲がいいわけじゃない。むしろ佐伯君の近くにいると緊張する。でも、佐伯君がいないと学校では心細い。普段消極的な私がここまで積極的に行動するのは、たぶん私が佐伯君に依存しているからだ。佐伯君がいないと、学校にいることさえできない人間なんだ、私は)
 にぎやかなショップ通りを、一人歩いていきます。
 自分独りでは何もできなくて、学校をさぼってまで頼れる人を捜しにきてしまう自分が嫌になってきました。
(私は、親や佐伯君がいないと自分独りじゃろくに動くこともできない、本当にどうしようもない人間だ。……いや、自分を責めている場合じゃない。今私は佐伯君を必要としているし、佐伯君も、私のことを悪くは思ってない。それに何より、佐伯君にはものすごく恩がある。だから私は、佐伯君を見つけなくちゃいけない。今はそのことだけを考えるべきなんだ)
 自分を責め続けていくうちに、ようやく頭の中に前向きで建設的な考えが浮かんできました。楽しそうにはしゃぐ人々の群れから逃げるように、人通りの少ないトイレわきのベンチに腰かけます。
「さあ、どうするんだい?」
「早く決めてさっさと解放してよ」
 ベンチにおかれたバッグの中から、デニスとクリスの声がしました。
「ちょっと待って、どうすればいいのか考えてるから」
 どこにいけばいいのか、本当に分かりませんでした。この広大なデズモンドランドのどこかに、修治はいるのでしょうか。そうだとしたら、どうやってその場所を探せばいいのでしょうか。
 しばらく考えたすえに、流花は立ちあがりました。
(分からない時は、人に聞けばいい)

 流花は、入口近くにある案内所にいきました。
カウンターの横に半べそをかいている迷子の男の子がいます。迷子のようです。
そのかたわらには、ブロンドの髪をした、赤いマントの男性がいました。柔和な表情で、なぐさめるように男の子の頭をなでています。確か彼は、『ユーリ』に登場するアルノーというキャラクターです。彼もまた「本物」なのでしょうか。
「すいません、実は」
 流花はカウンターのお姉さんに、二日前から友人が行方不明になっていること、行方不明になった日友人はデズモンドランドにいっていたことを説明しました。
「二日前ですか――ゲートのカウンターを見る限りは、入場したお客様と出ていかれたお客様の人数が異なっているということはありませんでした。それに閉園後に園内をくまなく捜索するので、園内でお客様が迷子になられて出られなくなった、というのも考えにくいですね」
 カウンターのお姉さんは、流花の変わった質問にも丁寧に答えてくれました。
「今お話をうかがった限りでは、お帰りの途中に何かがあった可能性の方が高いかと思われます。友人のご両親や警察は、ご友人が行方不明になったことはご存じですか?」
「はい、友だちの親がもう警察には話したそうです。……すいませんでした、どう考えても行方不明になったのはデズモンドランドの帰りなのに、変なことを訊いてしまって」
 流花が頭をさげて立ち去ろうとした時、
「お客様」
 受付のお姉さんが、ギャラクシーコースターのチケットを一枚渡してくれました。
「お客様の心中はお察しします。ですが、私たちはご来園されたすべてのお客様に楽しんでもらいたいと考えております。それどころではないのは十分承知しておりますが、せっかく来園されたのですからお楽しみいただけると幸いです。……お気にさわりましたら申しわけありません」
「いえ、ありがとうございます」
 チケットを受け取って外に出ました。

 流花は、チケットをにぎりしめながら園内を歩きます。
 受付の人は「お帰りの途中に何か事件、事故などに遭われた可能性の方が高いかと思われます」といっていましたが、デニスとクリスが現実世界に存在してしかも修治のことを知っている時点で、修治が行方不明になった原因がここにあるとしか思えませんでした。でも、それをどう説明すれば信じてもらえるのでしょうか。
「せっかくデズモンドランドにきたんだから、ちょっとは遊んでいってもいいんじゃない、『ギャラクシーコースター』のチケットももらったんでしょ?」
「そうだよ。どうせ今、どこにいったらいいかも分からずにやたらめったらと歩いてるんでしょ? 君じゃあこの広大なデズモンドランドから佐伯修治君を見つけるのは無理だよ」
 流花は今の発言を聞き逃しませんでした。
「それは、あなたたちが佐伯君をこの園内に監禁していることを認めたととっていいの?」
「あー……」
「ははは……」
 デニスとクリスの困ったような声が、バッグから聞こえてきました。
「やっぱり、佐伯君はここにいるんだよね?」
「ここにいるというか、ここにはいないというか――とにかく、あまりぼくたちに助言を求めないことだね」
「そうそう、ぼくたちは捕まったから君と一緒に行動しているだけなんだよ。別に協力するつもりはないんだ」
「ぼくたちが望んでいるのは君から解放されることだけなんだよ」
「ぼくたちができるアドバイスは一つだけだね。君はぼくたちを解放して、あきらめて帰った方がいい」
「そうだね、佐伯修治君はしばらくすれば帰ってくるはずだし、君はそれまで決して彼を見つけられないからね」
「そうだ、帰る前にちょっとは遊んでいったら?」
「そうだよ、せっかく高いお金払ってこの夢の国にきているんだし、チケットももらったんだからさ」
「君の気持ちはは分かるけどさ、あまり深刻に悩むのもよくないからね。帰る前にこのデズモンドランドで気分転換していくのもいいよ」
流花は足をとめました。近くのベンチにまた座ります。
「お、ようやくあきらめたのかな?」
「それとも『ギャラクシーコースター』にでもいく気かな?」
「いや、いいことを思いついたの」
 流花はバッグを開けて、修治のノートを取り出しました。このノートには、デズモンドランドに関するメモがびっしりとされていました。このノートに名前のあるアトラクションを重点的に調べれば、効率がいいかもしれないと思ったのです。
 ノートを出して、デズモンドランドに関するメモに目を通していきます。
 メモの終わりの方にいくつかアトラクション名が書かれ、それが赤丸で囲まれていました。流花もよく知っているアトラクションの中に「隠しレストラン」という見慣れない名前がありました。
「隠しレストランって何?」
 ベンチにおいたバッグに訊いてみます。
「都市伝説だよ。デズモンドバザールのはりぼての建物の中に、本物のレストランがあるっていうね」
「都市伝説だから気にしなくていいよ。もし本当だったらとっくのとうに有名になって『隠し』じゃなくなってるでしょ」
 そういわれても、流花は納得できませんでした。
「隠されている店を発見したから、佐伯君は捕まったとかそういう可能性はない?」
 バッグの中から、デニスとクリスが大笑いする声がしました。
「何それ、いったら捕まっちゃうレストランとか!」
「子ども向けのファンタジーでもないよそれは」
「何か、世間では許されていないものを出す店だったら?」
 流花は食いさがります。
「断言してあげるよ。それはありえないね」
「ドラマや映画の見すぎだよ」
「でも、調べてみる価値はあるでしょ?」
 流花はノートを前へ一ページめくりました。
「ここに、隠しレストランの場所が書いてあるの。ネット上の情報だけど、レストランは実在するんだって。場所も書いてある。デズモンドバザールのATMの向かいだって」
「ばれちゃったか」
「よく調べたもんだね、それは本当だよ。会員制だから知ってても入れないけど」
 二匹はあっさり認めました。
「いってみるかい?」
「いっても意味ないと思うけど」
「うん」
 流花はデズモンドバザールを目指しました。

 デズモンドバザールは、アトラクションの代わりにレストランやみやげ屋が集中しているエリアです。地中海の町中がモチーフになっています。
「このノートには、『ATMの向かい』って書いてあるんだけど、ATMってどこ?」
「ぼくは君に協力する義理はないよ。捕まってるんだから」
「協力はしないけど邪魔もしないよ。自分で探したら? 至るところにマップもあるし、そこらへんのキャストに聞けば一発でしょ?」
 キャストというのは、従業員のことです。雰囲気を重視するデズモンドランドでは、従業員を役者に見立ててキャストと呼ぶのです。
 流花は、掃除をしていたキャストに場所を聞いてATMを目指します。
 ATMは、みやげ屋の並ぶ通りの一番すみっこに、世界観を壊さないようにひっそりとおかれていました。ATMがおかれている建物自体も、世界観に合わせた木造の掘っ立て小屋です。
 近づいてATMの向かいの建物をながめます。レンガ造りのビルで、窓はガラスではなく鏡がはめこまれていました。ドアはありましたが、取っ手は見あたりません。はりぼての建物に見えますが、隠しレストランなのでしょうか。
「隠しレストランの前についたよ。どうすれば中に入れるの?」
 だめもとで、バッグの中の二匹に訊いてみました。
「君は入れないよ、そこは会員制のレストランだからね。大株主と、その株主に紹介された人しか利用できないんだ。あとは大事なお客様の接待に使ったりね」
「デズモンドランドはすべての人に夢を与える。でも、その夢は決して平等ではないんだ」
「で、その大株主さんはどうやってこの中に入れてもらうの?」
 これも、だめもとで訊いてみます。
「どうせ入れないし教えてあげるよ。よく足元のタイルを見てごらん――ドアの前の、オレンジ色のタイルだよ」
「一個だけ固定されてなくて、外れそうなやつがあるでしょ。それを開けてみなよ」
 確かに、玄関のタイルの中に、一つだけずれかかっているものがありました。
 外してみると、青銅製の丸いボタンが出てきました。
「どうすればいいの?」
「押せば?」
「君が大株主なら開けてくれるよ」
 いわれた通り、インターホンを押してみます。
 しばらく待ってみますが、目の前のはりぼてっぽいドアは開きませんでした。
「君は今、監視カメラに見られてる」
「カメラに見られた上で、門前払いされてるんだよ。あきらめたら?」
 確かに、開けてもらえないならあきらめるしかありません。
「……分かった、あきらめるよ。でも、隠しレストラン以外にも隠しショップっていうのもあるんだよね?」
 流花はノートをめくりながら訊ねます。
「一見ただのはりぼてに見える隠されたお土産やさんがあって、そこでしか買えないお土産もあるっていう都市伝説があるんだけど――これは本当?」
「隠しショップなら、知っていれば誰でも入れる。場所を教えてあげてもいいよ」
「どうせいっても何の意味もないしね」
「じゃあ、教えて」
「場所は同じデズモンドバザールだよ」
「はりぼてに見える建物の中に、本物の店があるんだ」
「前が見えないから案内できないけど、看板に『FRUITS』って書いてある古臭い平屋の店を探すんだ」
「そこが隠しショップだよ。気づかれにくいようにドアが通りから見えない位置にあるから、そこは到着したら案内してあげるよ」
 流花はだまって歩きだし、すぐ近くのベンチにバッグをおいて座ります。
「どうしたんだい、せっかく教えてあげたんだから早く隠しショップにいったら?」
「もう疲れたの?」
「そうじゃなくて、気づいたの。佐伯君がいなくなった原因は、この隠しレストランにあるって」
「……何でそう思ったのかな?」
「……何をいってるんだい?」
 はったりをかましたつもりでしたが、バッグの中の返事が一瞬遅れたことで、疑いがより確信に近づきました。
「きちんとした根拠があるわけじゃないんだけど、今まで非協力的だったあなたたちが急に隠しショップの場所を教えてくれたから、変に感じただけ。あなたたちは、ここから私を遠ざけようとしているんだよ」
「君っていつもそうやって人の話の粗ばかり探してるの? 友だち少ないでしょ」
「そういう女の子ってやだなぼくは」
 デニスとクリスは悪態をついたものの、隠しレストランから引き離そうとしたことを否定はしませんでした。
「で、どうやって中を調べるつもりなんだい? どうせ君は入れないんだよ」
「あきらめて、他のところを調べた方が賢明だと思うけどな」
「あそこに入れる人がくるまで待って、その時に入れてもらう」
「どうやってさ?」
「入れてもらえると思ってるの?」
 二匹のくすくす笑う声がバッグの中から聞こえてきました。
「デズモンドランドは、徹底したお客様本位のサービスが売りなんでしょう。それを利用すれば、いけないこともないと思う」
 強がってみせましたが、もちろん自信はありませんでした。
 
 それからニ時間がすぎました。
日が高くのぼっても、昼のパレードを見に客がデズモンドバザールから去っていっても、その客がまたもどってきても、流花は辛抱強く待っていました。
 席を立ったのは、トイレにいった時と、お昼ごはんとしてフランクフルトを買った時の二回だけです。
「君、自分が馬鹿みたいだと思わないの?」
「この夢の国で楽しんでいないのは君だけだよ」
「ここは夢の国なんだ。学校、会社、家事、つらい現実から一瞬だけでも逃げて、幼いころにもどれるワンダーランド、それがデズモンドランドなんだ」
「なのに君はどうしてこんなことをしているんだい? おかしいと思わないの?」
(確かに私は何をやってるんだろう。友だちとすらいえない佐伯君がいなくなって、そんな彼を追ってこんなところまできて、独りで暗い顔をしてベンチに座っている自分は一体何なんだろう、何で私は、あそこで友だちや恋人同士笑い合ってる、あの集団の中にいないんだろう)
 それでも流花は、ベンチに座り続けていました。
 孤独や悲しさ、情けなさ、そしてやり場のない怒りをすべてふり払い、自分を助けてくれた修治を助けること、それだけを思い続けながら、ひたすら待ち続けました。

 流花は、本当に辛抱強く待ち続けました。時々立ちあがって屈伸運動をした時以外は、ずっとベンチに座っていました。
 それでも、デズモンドバザールのすみにあるはりぼての隠しレストランに目を向ける人は、誰もいませんでした。
「一日中ベンチに座ってるだけのお客さんは君が始めてだと思うよ」
「せめてもっと、いろんなところ探せばいいのにね」
 二匹はたまに思いだしたかのようにつぶやきましたが、流花は無視しました。
(デニスとクリスは私をここから遠ざけようとしているんだ。耳を貸しちゃいけない)
 目の前を通りすぎていく楽しそうな人の群れをなるべく見ないようにしながら、流花は思いました。
 日が傾き空が真っ赤に染まったころ、初めてレストランに興味を示した人がいました。
 髪がサイドしか残っていない初老の男性でした。たぬきの置物みたいな体をきれいなスーツで包み、袖から金色の腕時計をのぞかせながら歩いています。何をやっている人なのかは分かりませんが、大金持ちを絵に描いたような人です。すぐ後ろをへこへこしながらついていく、つり目でうすら笑いを浮かべている男性は、部下か何かでしょうか。
 二人はまっすぐ隠しレストランに向かい、足元のタイルを外してインターホンを押していました。
「ほら見て、きたよ、待ってて損はなかったじゃない」
「閉じこめといて『見て』っていわれてもね」
「ドアが開いてもそれは君のために開いたんじゃない、どうせ君は中には入れないよ」
 ドアが開いたのを確認した流花は、バッグを引っつかんでかけだしました。
 そして、大金持ちと部下の間に割りこむように中に走りこみます。
 入ったところは大理石の大広間で、広さは軽く教室二つ分はありました。トミー・パピーの黒いシルエットが散らばった赤いカーペットがしかれています。正面には観音開きの木の扉があり、左右にはうす暗い大理石の廊下が続いていました。
「こらこら、何なんだい君は」
 大金持ちっぽいおじさんは怪訝な顔をしました。
「ここここらぁ小娘! 大森大先生に何てことしてくれてるんだっ!」
 つり目の男性にも、上ずった声で怒鳴りつけられてしまいます。
「西澤君、子ども相手に大きい声を出すものじゃあないよ」
 大森大先生になだめられたつり目の西澤は、「すいません私としたことが、おっしゃるとおりでございます」と甲高い声を出しながらもみ手をしました。
「すいません! あの、私トイレ探してて――どこいっても混んでてずっと探してて――もう我慢できないんです」
「トイレだぁっ? ここはお前みたいな小娘が入っちゃあいけない場所なんだよ! 入っていいのは、ここにあらせられる、日本におけるデズモンド作品研究の第一人者大森伸二郎大先生のような――」
「まあまあ西澤君、たかがトイレでそうカリカリすることもないじゃあないか」
 なだめられた西澤はもみ手をしながら「おっしゃる通りでございます、失礼しました私としたことが――」とへこへこしました。
「ただねお嬢さん、ここは誰もが入れるところじゃないんだ、一応キャストには君のこと話しとくけど、用がすんだらすぐ出なさい。そして、ここのことは忘れなさい」
 そういうと大森伸二郎大先生は、体をゆすりながら店の奥に入っていきました。
「いいか小娘、用がすんだらさっさと出ていくんだぞ、ここはお前みたいなのが入っていい場所じゃあないんだからな!」
「何してるんだね西澤君?」
「あぁあはいはい申しわけございませんっ!」
 西澤は捨て台詞を残していってしまいました。
 二人がいなくなると、レストランは本当に静かになりました。
 ひとまず、隠しレストランに入るところまでは成功しました。
「どう、やるでしょ私」
 バッグに向かってほこらしげに話しかけました。
「こんなとこ探しても意味ないと思うけどなあ」
「だよね、こんなところにいるわけがないし」
 二匹はそういっていましたが、どこかあせりを感じました。
「あなたたちが何といおうと、私はここを調べるからね」
 床、壁、天井は黄色みがかった大理石で統一されていて、天井からつりさがっているシャンデリアは、デズモンドを代表するキャラクター、トミー・パピーのシルエットの形をしていました。
(調べられそうなところから調べていこう)
 観音開きの扉を後回しにして、左右に延びる廊下の向こうにいってみることにしました。
 まず右に向かって廊下を進んでいきます。一〇メートルほど進んだところで左に曲がると、トイレの入り口が見つかりました。男性女性を表すマークが、トミー・パピーのシルエットになっています。
 一度もどって、今度は左に進んでみます。また一〇メートルほど進んだところで廊下が右に折れていて、木の扉がありました。かすかに、何かを調理する音や洗い物の音がします。ここに入ると怒られそうなので、また引き返します。
 流花は、観音開きの扉の前にまたもどってきました。
「もう手づまりかい?」
「帰ろうよ」
 バッグの中から二匹の声がしました。
「まだ」
 流花は観音開きの扉を押しました。施錠されているんじゃないかと思うほど重かったけど、力をこめて押したらすんなり開きました。
「ああ、だめですよここに入っては」
 扉の向こうに進むと、白いホテルマンのような服を着た男性が走ってきました。
「あの、すいません、私トイレに――」
「それはうかがっています、ですが用がおすみでしたら、ここは一般の方の立ち入りを制限させていただいている場所ですので、お引き取り願いたいのですが――」
 さすがはデズモンドランド、立ち入り禁止のエリアに侵入した子どもにも丁寧に接してくれます。
「違うんです。私は大森おじさんの孫で、今日ここに連れてきてもらったんです」
 知らない人と話すだけで緊張してしまう流花でも、今は不思議とすらすらうそがつけました。
「それは大変失礼しました。それではお席までご案内させていただきます」
「大丈夫、ちょっとこの中を探検してみたいから」
「ですが――」
「いたずらとかしないから、ねえいいでしょ?」
 わざと子どもっぽい口調で、小首を傾げながらお願いしてみました。
「分かりました。走ると転んで危ないので、それだけはお気をつけくださいね」
「うん、ありがとう!」
 流花は子どもっぽく元気に答えました。
(さて、どこを調べればいいんだろう――)
 扉を通り抜けた先は、また左右に伸びる廊下でした。壁や天井は黒い大理石に代わり、入口とはがらりと雰囲気が違います。たくさんの黒い扉が等間隔にならんでいました。
(どうしよう、こんなの全部調べてたら、さすがに怒られる)
 ひとまず左の廊下を進んでいくことにします。
 耳をすませながら、そして、にこにことこちらを見てくるホテルマン風の男性を気にしないようにしながら、ゆっくり歩いていきます。
 「上手くだましてやった」という高揚感と、ばれたらどうしようという不安で、まだ胸がどきどきしました。
 廊下の突きあたりにさっきと同じような両開きの扉が見えたので、取りあえずそこを目指すことにしました。
 「突然左右の扉が開いたらどうしよう」とか、「背後の男性に怒られたらどうしよう」とか、よけいなことを考えると怖気づいてしまいそうなので、「私は佐伯君を助けなくちゃいけない」と心の中で何度も唱えて、不安を頭の中から閉め出します。
 流花は扉の前に立ちました。
 ふり返らなくても後ろからの視線を感じます。ふり返ると「進み続ける」という意志がくじけてしまいそうなので、目をつぶって勢いよく扉を開けました。
 扉が向こうの壁にあたり、大きな音をたてます。
(怒られる!)
 怖くなって、扉の向こうへ走って逃げました。
 扉の向こうは長い廊下で、一〇メートルほど先に下り階段が見えました。
 さっきのホテルマン風の男性が追ってきているような気がしたので、足をゆるめずに階段をかけおります。
 階段は三〇メートルほど続いていました。階段の終点には黒い扉が見えます。
(もう、いけるところまでいっちゃえ! 怒られたって知るもんか!)
 半ばやけになって、転げ落ちるように階段を走り抜け、ドアにぶちあたり、その勢いのまま次の部屋に突入しました。
 視界に一瞬だけ黒い扉がたくさんある丸い部屋が映ったと思ったら、白いけむくじゃらのものが突然横から現れました。とまれずにぶつかってしまいます。白いけむくじゃらのものはとてもふわふわとしていて、ぶつかっても痛くはありませんでした。
「ご、ごめんなさい、とまれなくて――」
「ぼくは大丈夫だよ。それよりけがはないかな? ないみたいだね、よかったよかった」
(トミー・パピー!)
 目の前にいたのは、デズモンドの代表的キャラクター、トミー・パピーでした。白くて毛深い犬の形をしていて、背は流花より頭一つ大きいくらいでした。肩からは小さな緑色のポシェットをぶらさげています。トミー・パピーも、着ぐるみではなくて、そういう形をした実在する生き物だというのでしょうか。
「それとごめんね、ここは立ち入り禁止だよ。ここにいても面白いことなんて何もないよ。うふふ、さあ、外で遊んでおいで!」
 トミー・パピーの、黒くて大きなつやつやとした目が流花を見すえました。
「……はい」
 口答えすることなんて、できませんでした。

 親切なのかそれとも疑り深いのか、トミー・パピーは出口まで送ってくれました。
「君、ご両親かお友だちはどこにいるのかな――それとも一人できたのかな? いずれにしろ楽しんでいってくれるとうれしいな。こんなところ入ってきちゃだめだよ、最近は特に危ないんだから」
「最近って、何かあったんですか?」
「うふふ、気にしないで」
 トミー・パピーは大げさに両手をふってみせました。
 出入り口の前までもどってきた時、トミー・パピーは流花の手をにぎって忠告しました。
「ここであったすべてのことは内緒だよ、ぼくと君だけの、ひ・み・つ」
 真っ黒い巨大な瞳に見つめられた流花は、「はい」と小さな声で答えることしかできませんでした。
「ところで君、今日はどんなチケットでここに遊びにきたの? ひょっとして普通の入場券かな? もしそうだったらアトラクションのチケットをプレゼントするよ!」
 トミー・パピーはポシェットから「ギャラクシーコースター」のチケットを出しました。
「それなら持ってます。案内所の人にもらいました」
「うふふ、それは失礼。じゃあ他のを――」
 トミー・パピーはポシェットの中を探ったあと、大げさに肩をすくめてみせました。
「おや、ごめん。今ぼくはそのチケットしか持ってないんだ。でも、せっかくだから『ギャラクシーコースター』を楽しんでいくといいよ。スリル満点、すっごく面白いからね!」

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