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【小説】デズモンドランドの秘密⑮

※前回はこちら。

「おい、メタコメットを見なかったか? あいつが集落のどこにもいないんだ」
 案の定、流花は朝早くインディアンの一人に起こされました。
「どういうことですか?」
 流花はおどろいたふりをします。
「めったにないことだが、外の罠にかかって身動きが取れなくなっているのかもしれない。今、みんなで集落の周りを捜索しているところだ。それと」
 インディアンはマサソイトのテントを指差していいました。
「酋長がお前のことを呼んでいる。話を訊きたいそうだ。そのためにあんたを起こした」
 流花は背筋が寒くなりました。早くもばれてしまったかもしれません。

 流花はせき払いしてからテントに入りました。
 マサソイトは、相変わらずパイプをくわえていました。きちんと許可をもらってから土の床に座ります。
「あの、私に訊きたいことって」
 彼が仏頂面でだまっているので、流花の方から切り出しました。
 マサソイトは流花から目をそらし、鼻から煙をふき出します。
「メタコメットがいなくなったというのは貴様も聞いただろう」
「……はい」
「昨日、我々は祭りのことしか考えていなかった。メタコメットが消えたのは、祭りの最中だ。俺は、メタコメットがここから脱走したのではないかと考えている。貴様はあの時、唯一木の実を食べていない人間だ。何か気になるものを見た覚えはないか?」
「そ、そうですね。ない――なかったんじゃないかと思います」
 思わず声がふるえました。
「……逆に、メタコメットさんが脱走するような心あたりとかはないんですか?」
 流花は話をそらします。
「この世界では、変化しないことが何よりも大切だ。貴様もそのことは知っているだろう」
 昨日メタコメットが散々話していた内容でした。
「そのことでメタコメットさんと意見が対立してたとか――」
「む……、まあそうだが」
 マサソイトは目を少し見開きました。
「メタコメットから何か聞いたのか?」
「あ、いえ」
 流花は否定しかけましたが、
「どんなささいなことでもいい」
 といわれて、思い直しました。
 無愛想なマサソイトでしたが、その口調からどこか必死なものを感じたからです。
流花は、それを子を心配する親心によるものだと信じて、話すべきところは話すことにしました。
「メタコメットさんは、『すべてのものが変化しない、すべてのものが都合よくできているこの世界はおかしい』っていってました。……もしかしたら、この世界のそういうところが嫌になってそんなことをしたのかもしれません」
「考えられるな」
 マサソイトは大仰にうなずきました。
「貴様もうすうす感づいていたとは思うが、俺とメタコメットはそのことに関して意見が対立していた。昔からそういうきざしはあったがな。映画の中でも、『ずっとここにいるだけじゃつまらない』という理由でメタコメットがここを出ていって、他の部族に捕まってしまうというくだりがあった。失敬、貴様に家族の事情を話しても仕方ないな。メタコメットの消息について知らないのなら、よけいな時間を取らせてすまなかった」
 マサソイトは煙をはくとパイプを地面にたたきつけて、灰を落としました。
「何も知らないのならいい。自分のティピーにもどれ」
「役に立てなくてごめんなさい」
「貴様のせいではない。すぐに、別の奴に食べ物を持っていかせよう」

 流花は自分のテントにもどって、横になります。地べたで寝ていたせいで背中が痛むし、まだ寝足りない気がしました。
 うとうとしていると、テントの外からせき払いが聞こえました。
 どうぞ、というと、中年女性のインディアンが器を抱えて入ってきました。朝ご飯を持ってきてくれたようです。
 そのおばさんは、メタコメットの時と同じように流花の空き缶にトウモロコシや野菜を移すためにとなりに座りました。
「少し、疲れていますね」
「ああ、そりゃあそうだよ。祭りのあとだもんね」
「メタコメットさんはどこにいってしまってんですかね」
 流花は、この「他人の皿から食べ物を取ってはいけない」という習慣が悪くない気がしてきました。不便だけど、すぐに相手と打ち解けられます。自分みたいな、積極的に他人に話しかけられない人間には最適です。
「そりゃうちらの方が訊きたいくらいさ。まあ、メタコメットは酋長と意見が対立してたから、何の前ぶれもなくってわけじゃないんだけどさ」

 朝ご飯を食べたあと、流花はメタコメットを捜しにいくことにしました。見つかるわけはないのですが、集落の人はみんなメタコメットを捜しているので協力したかったのです。
 流花は集落の周りを探索しました。だいぶ罠を避けるのにも慣れてきて、一回縄で逆さづりにされただけですみました。
「他の奴らも二人くらいかかってたよ、罠に」
 流花を見つけて助けてくれたおばさんのインディアンはいいました。
「もちろん、いつもならかかるはずはないんだ。みんな疲れてるんだよ」
「みんな、メタコメットを心配しているんですね」
 何だかみんなに申しわけなくなってきました。

 森の中が明るくなってきました。太陽が真上から射しこんできているからです。
(もうお昼か。一度帰って一休みしよう)
 集落の方を目指して歩いていると、前から鳥つかいのインディアンが走ってきました。
「逃げろ!」
「えっ?」
 どこかできいたことがある台詞でした。
エメラルダが捕まる直前にさけんだ台詞と気づいた瞬間、すさまじいエンジン音が鳴り響き、古めかしい戦闘機がこっちへ突っこんできました。
 とっさに伏せて、戦闘機がへし折って弾き飛ばした木の枝から頭をかばいます。
「ひゃはははは!」
上の方から高笑いが聞こえました。
頭をあげると、戦闘機は木の細かい枝をへし折りながら遠ざかっていきます。戦闘機の下には網がつりさげられていて、鳥つかいが入っていました。
(どういうこと、連れ去られちゃった――)
ぼうぜんと見ていると、戦闘機はまたこちらに引き返してきました。網はいつの間にか空になっています。今度ははっきりとこっちをねらっているようでした。
パニックになって文字通り右往左往していると、背後から誰かにつかみあげられました。
「わっ! 見逃してください――」
「馬鹿なことをいっていないで逃げろ」
マサソイトでした。流花をわきに抱えて走ります。
「何があったんですか?」
「連中が集落を襲撃してきたのだ。俺は前々から連中に嫌われていたからな、貴様をかくまったのを口実に、全員牢獄に閉じこめるつもりなのだろう――貴様のせいではない、みんな祭りの翌日で疲れ果てているからな、連中がねらってくるのも分かる」
「どうすれば――」
「残念だが集落にいても捕まるのは時間の問題だ。今は一斉に逃げるしかない。ここからほんの一時間ほど走ったところに別の村があるが、あそこはだめだ、連中を恐れている。表立って連中に刃向かえるような奴のところにかくまってもらうしかないだろう」
「そんなことできるんですか?」
「連中を表立って疑っている奴らなら、俺たちを一時的にかくまってくれるだろう。今まで連中が直接町や集落を攻撃することなどなかった。我々の集落が襲われたとなれば他の作品の奴らも何かしらの行動を起こすはずだ。つまり我々は今、今まで何の変化もなかったこの世界が変わる、その瞬間に直面している」
 流花は状況についていけず、頭が混乱してきました。
「大したことではない、いつか起こることが今日起きただけだ。異変は前からあった。俺としては何のおどろきも――」
 マサソイトは立ちどまり、流花をおろしました。
「何だこれは」
 目の前に、紫色に輝く網が広がっていました。上の方は木に隠れているので、高さは分かりません。
「マサソイト、逃げられないよ、どうする!」
 近くで途方にくれていたおばさんのインディアンがさけびました。
「どこかに切れ目はないのか」
「全部見たわけじゃないけど、たぶんない! 集落を囲ってるみたいだ!」
「奴らめ、祭りに俺たちの意識が向いている日に合わせて細工をしたのか」
 口に手をあて、大声でさけびます。
「逃げ道をふさがれている、逃げるのはやめて全員で集落にもどれ!」
 マサソイトは今きた方にもどりだしました。
 流花とおばさんも、あとに続きます。
「どうするんだい?」
 おばさんがマサソイトに訊ねました。
「集落にみんなを集め、力で連中を追い返すのだ。逃げ道がない以上それしかない」
「あんたが合議せずに人に命令するのを初めて見たよ」
 頭上で、さっきのエンジン音がまたしました。
「いつどこから出てくるか分からんな」
 その時、不意に近くで重い足音がしました。
 ふり返ると、一匹のバッファローが並走するように走っていました。
 バッファローなら、マサソイトが近くにいれば怖くはありませんでした。
 ほっとしていたら、マサソイトはいきなりバッファローに向かって飛び蹴りをします。
 バッファローはあとずさりして蹴りを避けます。
「貴様は誰だ?」
「あれ、バッファローじゃないんですか?」
 マサソイトから発せられる怒気に気圧された流花は、おばさんに訊ねました。
「あれは獣じゃないよ。それに人でもない」
 どうやら、インディアンには違いが分かるようです。
「つまり何かが化けてるってことさ――ああっ!」
 不意にエンジンの音が大きくなったかと思うと、おばさんの悲鳴が聞こえました。
(えっ、えっ!)
 混乱した流花は、頭を手でかばって地面に突っ伏します。
 伏せながら顔だけ動かして辺りを探りましたが、おばさんの姿はありませんでした。
「また一人さらわれた」
 どうやら、あの鳥つかいと同じように後ろから戦闘機でねらわれたようです。
「そのままの姿勢で木のかげにいけ。木にはりつけば上から網をかぶせられにくいはずだ」
「は、はい」
 マサソイトは、流花とバッファローの間に立ちふさがっていました。
彼のいう通り、ほふく前進で近くの大木まで移動します。
「貴様も連中の一味だな。なぜ変装をしているのか、俺には分かる。貴様は我々の祭りの隙をつき、準備していたのだ。例の網をはるための――」
 強くなっていたエンジンの音が、不意に強くなりました。
「マサソイトさん!」
流花の声はエンジン音でかき消されました。
戦闘機は木々の隙間をぬって急降下してきました。現実世界ではありえない飛び方です。
 マサソイトは飛びのき(飛んできた戦闘機をかわせるのは、さすがアニメの世界の住人といったところです)、運転席のガラスにこぶしを叩きこみました。
 くだけたガラスが飛び散ります。
「ぎゃあ! 危ねえなこのタコが!」
戦闘機はまるでヘリコプターのようにホバリングを始めました。エンジン音が、パイロットの声が聞こえるほど小さくなりました。
「馬鹿じゃねえの! お前馬鹿じゃねえの! 何、何で戦闘機にこぶしたたきこんでんの! えっ、割れたじゃん! えっ、馬鹿なの!」
 パイロットは運転席でマサソイトにわめき散らしました。小柄で髪の毛は後退していて、出っ歯に丸眼鏡の小男でした。
(これって)
 流花は、このキャラクターを知りませんでした。
(でも、分かる。この感じは――)
「自分はヘイハチ様の命において貴様らをふん捕まえなきゃいけないの! それなのに、えっ? 何で邪魔すんの、えっ!」
 出っ歯の男は戦闘機のボタンやレバーをがちゃがちゃしました。
「あっ、くそっ! レバーが取れてしまった!」
 大げさなリアクションでレバーを投げ捨てます。
「逃げてもむだなんだよ貴様らは! どうせ三六〇度を魔法の網で覆ってるから絶対出れないの! 逃げてもいつかは捕まるんだよ!」
マサソイトが口と手の動きで「逃げるぞ」と合図してきました。
(逃げるっていわれても)
彼もかけだしたので、取りあえずついていきます。
「どうすればいいんですか!」
後ろから追ってくるエンジンの音に負けないように、出せる限りの大声でマサソイトに訊ねました。
「知るものか、逃げられるだけ逃げろ」
後ろからエンジン音がせまってきました。
「先にいけ」
マサソイトは流花の背中をどんと押すとUターンしました。
一瞬つられそうになりましたが、ふり返らずに走り続けます。心配でしたが、マサソイトは流花が立ちどまることを望んでいないはずです。
金属をたたいたような音と小さな爆発音が聞こえ、エンジン音が遠ざかっていきます。
 流花は不意に、近くで重い足音がしていることに気がつきました。
 ふり返らなくても分かります。バッファローでした。もう守ってくれる人はいません、自分でこの場を乗りきるしかないのです。
 流花は走りながらポケットを探ります。
(メタコメット、ちょっと早いけど使わせてもらうよ)
 ごつごつした実を取り出した時、横からつるのようなものが伸びてきて手を払われました。
「痛っ!」
 実は流花の手を離れて落ちました。もう拾いにいけません。
「危ないところだったよ。その実を使われるとぼくもなかなか追いつけないからね」
 バッファローの角が伸びて、流花の手にからみついてきました。
 恐怖で声が出ません。さすがに流花でも、このバッファローが普通でないことが分かりました。
「そう、ぼくはバッファローじゃない。ぼくの名前はゴースト。君をむかえにきたよ」
 角が流花のほおをなでてきました。
「わっ、わっ――」
ふり払おうとしたら、角の先で頭をなでられます。
「君のおびえた顔はなかなかかわいいね、アジア系ってのもぼく好みだ」
(絶対捕まりたくない!)
目の前に、さっき見た光る網が見えてきました。
「ほら、網が見えたよ。君を逃げられなくしている網だよ」
ゴーストが笑いだしそうな声でいいました。
(こいつ、楽しんでる)
恐怖心が消えてきて、代わりに怒りがこみあげてきました。今の状況が、自分がいじめられてきた過去とシンクロしたのです。
流花は網をつかみました。ほのかに熱を持っていて、やわらかい縄のような感触です。
「のぼるの? 君では無理だよ――あ、それ以上のぼっちゃだめ! そんな格好でのぼったら下着が見えちゃうよ、そういうのぼくらの作品ではタブーだから、大人しくおりておいで!」
何か投げてやろうかと思いましたが、手ぶらでした。今はのぼることに集中するしかありません。歯を食いしばって、細い腕に力をこめて、少しずつのぼっていきます。
「どうせ君は網を乗り越えることができずにもどってくる。落ちてケガをするといけないからね、その時は優しく優しく受けとめてあげるよ。そしてぼくの仲間のところへ連れていってあげる」
本当に楽しそうな、少し無邪気な口調でした。
(負けるもんか、あんなふざけた奴なんかに)
しびれる腕とちぎれそうに痛む指に鞭を打って、ひたすらのぼり続けます。
やがて流花は、妙なことに気づきました。必死にのぼっているのに、どんどん地面とゴーストが近づいてきます。
(え、どういうこと――)
「お帰り」
ゴーストが、両方の角を流花のわきの下に入れるようにして受けとめてきました。そのまま、左右に軽くゆさぶられます。
「高い高ーい、なんてね」
「離して、おろしてよ!」
「この網はね、ガムみたいに伸びる素材だから、体重をかけると下に伸びてしまうんだよ」
流花は暴れて抵抗します。せいぜい高さは二メートルくらいです。落ちてもどうってことはありません。
「でもこの網のすごいところは、伸びて隙間が空いたり低くなったりしたら、そこに新しい縄ができるところなんだよ。すごいよね、これが魔法なんだよ」
角をたたきますが、びくともしませんでした。
「網の外に出たいなら連れていってあげるよ。このままね」
ゴーストの背中から青い羽が生えてきて、顔がワシのようになりました。
流花は抵抗も忘れて、その光景をぼうぜんと見ていました。
「お待たせ、一緒にいこうか。ぼくの仲間たちのところまでデートしよう」
ゴーストが後ろ足で立ちあがり、羽を広げました。
その時、上から枝が折れるような音と力強い羽音がします。
「お嬢さん、そんな化け物なんかより、俺と一緒にツボックに乗った方が楽しいぞ?」
ツボックが、こちらに向かって急降下してくるのが見えました。
「タヴァスさん!」
「だめだよ、この子はぼくが先にくどいたんだから」
目の前が真っ青になりました。ゴーストの羽で視界をさえぎられたのです。みるみるうちに羽がばっさり抜けて骨だけになり、今度は骨が黒ずんできたかと思うと、たくさんに枝分かれして体をおおわれてしまいました。
「手を上に伸ばせ!」
タヴァスの声で流花は我に返りました。いわれた通り右手を伸ばすと、投げ縄が手首にからみついてきました。
「あがれ、ツボック!」
右腕が抜けそうな勢いで上に引っぱられたかと思うと、流花は宙に浮いていました。
眼下のゴースト(体はバッファローで頭は青いワシ、背中から生えた羽は金属製の鳥かごみたいになっていました)がみるみる遠ざかっていき、森の上に出てあっという間に見えなくなりました。下には森が海のように広がっています。空は曇天で、今にも雨がふりそうです。
ツボックが高度を下げました。今までつりあげられていた流花は空中に放り出される形になります。何がなんだか分からないうちに、ツボックの背中にどすんと着地します。
「ナイス着地!」
ツボックの頭に立っていたタヴァスが拍手しました。
「間一髪だったな、お嬢さん!」
「タヴァスさん、どうして――」
「捕まってろ、まだふりきったわけじゃないぞ!」
「は、はい!」
いわれた通り、ツボックの首の羽にしがみつきます。
ふり返ると、確かに青いワシが追ってきていました。ゴーストのようです。後ろの方で黒煙があがっているのも見えます。
「タヴァスさん、マサソイトさんたちは――」
「あんな大勢助けられるか、お嬢さん一人で限界だ!」
その通りかもしれません。そもそもツボックは、人を一人乗せるのでいっぱいいっぱいなのです。
流花はツボックに体をぴったりくっつけ、ツボックの動きの邪魔にならないようにします。右手首にはまだ縄が引っかかっていて、その縄の先はツボックの胴体にまきつけられていました。
(落ちるかもしれないから、このままにしておこう)
流花はもう一度後ろをふり返りました。少しずつ、ゴーストを引き離していきます。
「へっ、空で本物の鳥に勝てるかっての!」
タヴァスも後ろを見て、せせら笑いました。
空が暗くなってきました。いつ雨がふってきてもおかしくない雰囲気です。
「これで俺も日陰者だ。このままユーリの町まで――」
タヴァスが口を閉じました。樹海の木々の隙間から濃い紫色をした光の玉が飛んできて、ツボックの右翼をかすめたのです。
「デノセッドだ!」
 タヴァスが舌打ちしました。
「俺たちの動きを読んで、待ち伏せしていたんだ!」
タヴァスのいう通り、前方――森の中からあの大柄の魔法使いが姿を現しました。
「現行犯だな、タヴァス」
メガホンでも使っているかのような、大きく、よく響く声でした。
「俺はもう、お前さんたちに従わないからな!」
タヴァスはそういい捨てて、デノセッドに向かって舌を出して挑発します。
「ツボック、ふり切れ! お前さんにかかってるぞ!」
ツボックは何も答えませんでした。
「さっきから限界まで急いでるってさ、確かにその通りだ」
肩をすくめたタヴァスのすぐ横を、紫の光が通りすぎていきました。
「おっとと、お嬢さん、伏せてろよ――って、もうやってるか。危ないのは俺だった」
頭や背中に水がばちばちあたってきました。伏せているのでよく見えませんが、ついに雨がふってきたようです。
ばちんと音がしたかと思うと、ツボックが甲高い悲鳴をあげました。大きくゆれます。
「どうした!」
タヴァスは「失礼」と流花の背中を踏んづけてツボックの尻尾まで走っていきました。
「デノセッドの魔法があたったのか?」
ツボックは、何かから逃れるように体をよじりながら飛んでいます。
流花は右手首の縄を右手にまき直して、ふり落とされた時に備えようとしました。
しかし、どうも縄の様子が変です。さっきより太いし、つるつるすべすべしています。
流花は、この感触に覚えがありました。幼稚園のころ動物園でお父さんに持たされて、トラウマになったあの手ざわりです。
覚悟を決めて頭を起こし、縄を見ました。覚悟を決めていたので、見ても悲鳴をあげずにすみました。
「タヴァスさん、縄が蛇になっています」
「蛇だって!」
流花の手首とツボックの胴体を結んでいた縄が蛇になって、ツボックの胴体をしめあげていました。
「冗談じゃない、ツボック、ふり払え!」
ツボックは首をふるわせました。
「できるならやってる? ごもっともだ!」
タヴァスは背中から小指ほどのナイフを出して、蛇に突き立てました。当然、血は出ません。
「痛い!」
蛇に手首をしめあげられるのを感じました。ツボックがまたさけび声をあげます。
「タヴァスさんストップ! 蛇が落ちるより先にツボックがしめ殺されちゃう!」
「この世界の生き物は死なないっての!」
タヴァスはナイフをふりかぶりました。ツボックをしめあげている蛇の胴体を、ナイフで軽々と真っ二つにします。
「すごい、でも私の方も――」
流花は痛みで顔を歪めながらいいました。体を両断された蛇が、せめて流花だけでも道連れにしようと、手首を強くしめあげていたのです。
「任せろ!」
タヴァスは、流花の手首の蛇も切り裂きました。三つに切られた蛇は、森の中に落ちていきます。
「頭の方を切ったのに、尻尾だけで動いてしめてくるなんて――って、ツボック!」
蛇を倒したのに、ツボックはみるみる高度をさげていきました。
タヴァスはツボックの頭をばしばしたたきますが、反応はありません。
一人と一匹を乗せたツボックは、きりもみ回転しながら落ちていきます。
「だめだ、しめられすぎて気絶してる」
ツボックは回転しながら森の中に突っこみました。
流花は、枝で目を突かないようにツボックの背中に顔をうずめます。
強い衝撃と共に木がへし折れる音がして、流花は投げ出されました。
目が回って何がなんだか分からないうちに、流花は何かやわらかいものの上にどすんと落ちました。
「タヴァスさんたちは……」
くらくらする頭を両手で押さえながら立ちあがろうとすると、
「優しく受けとめてあげるって、いったでしょ」
流花は大きなうす紫色のベッドの上で倒れていました。ベッドから聞こえてくる声はあのゴーストのものでした。

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