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近況:冬眠するべき時期に活動しているから冬は病む、人に質問されるのが怖い、ニューヨークガールの冬の装い

 ここ最近妙に落ち込んだり傷ついたりする。周りはみんな「寒いからね」「冬は病むよ」と言ってくれるけれど本当なんだろうか、と思っていたら芸人のラランドのニシダも「冬はね、落ち込みやすいですよ」と言っていた。飄々としていて並大抵のことは平気そうに見える彼でさえ「冬は落ち込みやすい」という認識なのであれば、冬というのはそれはそれは生きにくい季節なのかもしれない。

 Twitterのアカウントを削除した。フォロワーが2800人くらいいた。2800人の赤の他人に向かって自分の気持ちや日常を吐露して、30人くらいからの「いいね」の承認をもらうことを生業にしている自分の存在が急に恥ずかしくなった。私に「いいね」とは言わないその他2700人以上の人は私のことをどう思っているのだろうか、と怖くなった。消してしまったけれど意外と平気で、むしろ元気になった。自分の心に浮かんだ言葉をそのままに外の世界に発信することは、「飾らないみっともない自分」をさらけだすことと同じで、その姿を親しい人だけではなくその他大勢にも知られていることは、気がつかないうちに私の自己肯定感を削いでいたようだった。ある程度着飾って、本当の自分よりも「自分だと思われたい自分」を他人に見せて生きていくことが自信になる節もあるのだと思う。

 円形脱毛が出来た。最近仕事が辛くて帰ってきてから泣きそうになることが多かったから、あまりびっくりはしなかった。初めて行った美容室で「ここ円形脱毛なってますよ」と指摘されて、そのうえ「僕の身内が円形脱毛なりすぎて髪の毛なくなっちゃったんですよ」となぜか怖い話もセットでされて、なんか嫌だなと思いながら帰宅した。自分ではどこが抜けているのか分からなかったけど、頭の片隅に円形脱毛になっているという事実が寝そべっていて、ふとした瞬間にギラギラとその事実が存在感を放つ。先週仕事をクビになった。そう、クビです。まさかの新卒一年未満で解雇の大型新人に。来月から無職だけど、少し気持ちが楽になった。円形脱毛が治りますように。未来は明るい。仕事を辞めた記念にアナトミカのジーパンを買うことを決意した。会社のおしゃれな先輩が履いていてずっと憧れていた。あのジーパンに真っ赤なニットを合わせてニューヨークガールの冬の装いみたいにしたい。

 私は人に質問をされるのが怖いのだなと気がついた。質問されて気の利いたことを言える自信がなくて、面白くない応答でつまらない気持ちにさせたらどうしようと不安になる。なんとか短い回答で面白いことを言おうとして、思ってもみない変なことを言ったりしてしまう。向こうは本当に私の話に興味があるのではなくて、ただ気を遣って話を振ってくれているだけかもしれない。それなのに私が長々と語ったら「面倒だな」と思われるかもしれない。気遣いで質問してくれる優しさは、ありがたくて、申し訳ない。後輩にも友達にもそう話したら「興味があるから聞いてるんだよ」と言われて、びっくりした。みんな興味があるから質問してくれるのか。もしかして、私が「他人の話に興味ねえなと思いながら質問している」というだけの話なんだろうか。(人間関係で抱く恐怖感の原因が自分の性格の方にあった、というのは多分よくある話。「行けたら行くって絶対来ないだろ!」と思うのは、自分が「行けたら行く」と言う時は大抵行かないから他人に対してもそういうものだと思ってしまう、みたいな。)いやでもそうじゃない!私は人に対してよく質問するけど、「気を遣ってるから」ではなくて「自分があまり質問されたくないから」だと思う、たぶん。人に質問されるのってありがたいし嬉しいけれどすごく怖い。

最近は映画やドラマをたくさん観ている。すごく面白いし心が揺さぶられるけど、映画もドラマも心の根本的な渇きを潤すものではないのだと思った。現実世界があって、初めて映画もドラマも輝く。

昔、the pillowsの「ストレンジカメレオン」という曲が大好きだった。「君といるのが好きで あとはほとんど嫌いで 周りの色に馴染まない出来損ないのカメレオン」という歌詞に心を揺さぶられた。私は大好きな人といる時間以外は大嫌いだった。毎日が辛くてしょうがなくて、その人といる時だけは自分でいられるような気がしていた。最近の私は誰といても自分自身ではないような浮遊感があって、変な感じがする。かといって一人きりでいても、私は私じゃないような気がする。三、四年前に大好きだった歌が、今は全然響かなくなっていることに何よりも時の流れを感じた。

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