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ジョーイが亡くなった。悲しい。

今朝、Twitterのトレンドでslipknotが入ってたから何事かと思って開いたら、ジョーイが亡くなったというショックな出来事だった。

ひたすらショックで午後になってしまった。

slipknotってモンスターバンドを知ったのは2000年頃かな。

すごいお面のバンドが出てきたってびっくりした。

曲聴いてもっとびっくりした。

当時の私はKORNや、Limp Bizkitばかり聴いてたチャキチャキのミクスチャーっ子だった。

聴こえてきた音源から始まったノイズからの(sic)の爆音と重低音とスピードと轟声に

ハマらない理由などなかった。

MTVでライブ動画が流れてまじでクレイジーだって頭抱えた。ダイブもモッシュもステージングも桁違いで呆れるほど1stアルバムを聴きまくった。

ジョーイの存在はそれはそれは大きくて、ブラスト、ツーバス大好物な私は幾度となくジョーイの細かすぎるリズムとスネアの粒揃いと、スニーカーに白のハイソックスから繰り出されるドラミングに毎日毎日酔いしれた。あの小柄な体型からどんだけ元気玉並のパワーが出てくるのか理解出来なかった。

よくメンバーに肩車してもらってて、可愛くて

幽白の戸愚呂兄みたいだと思ってた。

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初めて見に行ったのは2002年3月28日のZeppTokyoだったと記憶している。

嬉しくて嬉しくて、オープニングアクトからはっちゃけまくった。後ろの柵からダイブしてコロコロ転がってガードマンさんに降ろしてもらって目に飛び込んで来たのは誰よりも前で見たslipknotのライブステージで、目の前のコリーとポールに雄叫びと拳を上げながら一瞬の幸せを噛み締めて一旦会場から出ていった。その後はモッシュモッシュでいくつもアザを作って、タオルやTシャツを無くして帰宅した。

2ndのアイオワもバカ聴いたし、部屋にポスターも貼ってたし、バンドメンバーも漏れなくみんな大好きで、よくイントロだけslipknotごっこみたいのやったり、カラオケでライブ状態になったり、機材車で爆音で聴きながら窓から叫んだりまあまあキッズしてた。

以前のnoteにも書いたが、娘氏が人生初聴いた曲はslipknotの【people=shit】だ。(生後1週間)

入院中飢えに飢えまくったラウドミュージックロスの反動だ。

そんな娘氏、色んな音楽を聴きながら育って今はケーポオタクのARMYだが、毛嫌いせずに色んなジャンルを聴いてくれている。音楽会でいつの間にかドラムも志願して練習をしてドラムを勝ち取り、旦那とスタジオに練習しに行く程。(旦那さんは元パンクバンドのドラマーです)

育児やら仕事やらなんやらでフェスやライブに中々行きづらくなってしまったアラサー時代。

2010年、ポールが逝去してしまいどうしていいか分からず途方に暮れた。

2013年、ジョーイが脱退した(後に脱退通告されたと知った)時も、ぽっかりとポールの分開いた穴が更に広がっていくのを感じた。

相変わらずslipknotは好きでたくさん聴いていたが、

なんか2000年初頭にあったあの頃の「特別感」は徐々に薄れていた。

そして、コロナ禍の1年半、YouTubeでたくさんの音楽に触れながらも、slipknotの見飽きた程見た(sic)ももれなく聴いて当時の思い出に浸ったりしていた。

私がバンド活動を始めてから何人偉大なミュージシャンや大好きなバンドマンが亡くなっただろう。

いつもいつも悲しみに暮れて呆然として、何も言葉が出なくてどうしようもない時間を過ごすのだが、今回もそうなりそうだ。

だけど、私は少しだけ大人になったからジョーイに伝えたい事がたくさんある。

ジョーイ、ありがとう。生きてくれて。

ジョーイ、ありがとう。ドラマーになってくれて。

ジョーイ、ありがとう。

出会えて幸せだよ!大好きだよ!

安らかに。REST IN PLACE.

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