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序章 ボレロ

1999年の夏、私と長谷川ヨコイは、黄色いフォルクスワーゲン・ビートルに乗り込み、北関東のとあるキャンプ場に向かった。途中、国道沿いの古本屋に立ち寄り、シャルル・デュトワのラヴェル管弦楽作品集と、クリスティアーネ・ジャコテのバッハ協奏曲全集をそれぞれ250円で購入した。車内で流れていた軽快なチェンバロの音が、今でも耳に残っている。

ヘアウェイブ・レコードは1999年に始まり、2014年に終わった。1999年は崩壊の年だった。どう言葉にして良いか分らないが、あらゆるものが失われてしまったように思えた。レーベルの運営は、ぼんやりとしたテクスチュアだけが漸次的に変化していった。最後にカズキが再発見された。それはまるで「ボレロ」の転調のように、すべての物事に変化が訪れた。ここからそこへ、そこからここへ。少ししか経っていないのに、遠くへ来たように思えた。そこでは時間が空間に変わるのだ。

キャンプ場での夕食の後、ヨコイはラジオカセット・プレイヤーを持って川原へ降りていった。川辺ではラヴェルの「ボレロ」をかけた。音楽を聴きながらビールを飲み、焚き火をした。そうやって炎を眺めていると、炎の形の在り方はさまざまだった。炎は柔軟だ。人間はそうではない。次第に凝り固まっていき、最終的には死に至る。私は、この場所まで向かう車の中で、車窓から眺めた風景の移り変わりを思い出した。風景の在り方もさまざまだった。見ていて飽くことがなかった。その時、私のなかに「人生のハイライト現象」が起こった。その背後には、ホーンセクションが分厚く重ねられ、引き伸ばされ、すべてがスローモーションのようになっていくように思われた。当時の彼は、自分がすでに失われた人間であると感じていた。今では、より失われた人間であると感じている。
カズキは周辺の人間にとって、感情の破綻したラジオカセット・プレイヤーのような男だった。そのプレイヤーは煙を吐き、発火し、カタカタと音を立て、2014年に爆発を起こした。その爆発はささやかなものであったが、我々に付随するすべてのものを吹き飛ばしてしまった。その結果、私と長谷川ヨコイは、二度と会うこともなくなった。

川下の方では、若者たちの気違いじみた叫び声と笑い声がかすかに響いていた。夜の闇のため、望遠鏡を逆さに覗いたように、彼らは実際よりも遠くに見えた。今から、100年後の世界では、彼らのすべてがなすすべなく死んでいるのだと思うと、悲しみがこみ上げてきた。だが、そんな悲しみなど、何の意味もない。

「ボレロ」のクライマックスに耳を傾けてながら、若者たちが炎の周りをゆっくりと回っているのが見えた。唐突に、昼間釣り上げたニジマスを放つ手に、きれいな水が触れたのを感じた。水は鮮烈だった。長谷川ヨコイはどこへ行った? カズキの巨大なポートレイト。焼け落ちた橋。ニジマスは岩陰に色褪せて消えて行く。彼女は「フローに会えてよかった」と言った。誰かの意識がある限り、私の居場所は存在しないようだった。あそこにヨコイが見える。どのくらい近い? どのくらい遠い? 私とヨコイの距離を知るには、彼女の正確な大きさを知る必要があった。私にはそれが分からず、ぼんやりとしてくる。
「さよなら、またいつか」と誰かがささやいた。水の弾ける音ような声だった。
「さよなら、21世紀」とカズキが言った。

音楽と音楽の記憶とそのメモ。