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第5話 ワーズワース・カイパーベルトの広場

夏の日の午後、ヘアウェイブ・レコードの面々(フロー、長谷川ヨコイ、退職したナオミの代わりに入社したゼニ、家具アーティストのたけち)は、遅い朝食をとるために野外へ出た。フォルクスワーゲン・ビートルの革張りのシートは焼け付くほど熱を帯びていた。エアーコンディショナーをかけると埃っぽい熱風が吹き出すので窓を開け放った。アクセルを踏むとエンジンは悲鳴を上げた。街は熱でゆがんで見えた。蜃気楼のようなかげろうに、視界はぼんやりとしていた。風はほこりにまみれ、彼らの意識は遠のいていくようだった。
彼らは行きつけの中華料理屋に腰を落ち着けると、まず瓶ビールを注文した。ピークを過ぎていたようで、他に客はいないようだった。店内は外の日差しが眩しければ眩しいほど濃密な影を作り、風が心地よく抜けた。時折通り過ぎる車の音、風鈴の響き、環境に依存した特定できない騒音、そしてささやかな音量で鳴るラジオだけが聞こえた。そのラジオは地域のインディペンデントなコミュニティーにより運営されていた放送局からのものだった。昼の情報番組『ジャスト・ライク・ヘブン』では、週に一度、ホットな話題を提供するミュージシャンを招き、その作品紹介やインタビューを行っていた。DJと音楽評論家は、近々リリースされるカズキの新しいユニット、カズキ&ザ・ストレンジフルーツのアルバムについて語った。彼らはカズキのアルバムを「未来のようなサウンド」と評価した。音楽評論家の語り口は、幾分興奮しているように感じられた。
「番組の後半では、ゲストにカズキ氏をお招きし、アルバムのトータルコンセプトについてお聞きしたいと思います」
この放送は、カズキと言葉を交わした評論家が興奮の坩堝に陥り、失禁してその場に崩れ落ちた、というまことしやかな噂が流れた。それとは別に、彼らのシングルとなる予定だった「ワーズワース・カイパーベルトの広場」は何らかの理由で発禁処分となり、アルバムからもオミットされた。一般的なリスナーにとっては、この放送があの曲を聴ける唯一のチャンスだったのだ。ヘアウェイブ・レコードの連中は、まさにその放送をリアルタイムで耳にしていた。しかし、ちょっとした混乱めいた雰囲気と、それをさえぎるようにJA共済のCMが挟まれたことを除けば、確かなことは何も分からなかった。何しろそれは、ラジオでの出来事だったのだから。仕切りの悪いアマチュアめいた放送だ、フローは吐き捨てるように思考し、枝豆の皮を投げつけると瓶ビールを追加で注文した。
ただ、「ワーズワース・カイパーベルトの広場」は、決して新しい部類のサウンドではなかった。いや、「新しい」という言葉は誰も使っていなかった。確か「未来」だ。しかし、「未来」という言葉はあまりにも曖昧だ。「未来」にも、何の価値もない旧態依然とした音楽があぶくのように大量生産されていくだろう。そして、少年少女たちは、それらの音楽を崇め奉り、その汁を貪り、自意識を拡大させながら、ある日その場から唐突に立ち去っていくのだろう。未来は希望の象徴かもしれないし、人類滅亡の隠喩かもしれない。未来にどの程度の意味があるのだろうか。

「ワーズワース・カイパーベルトの午後」が流れている間、長谷川ヨコイはサブカルチャーを盲目的に崇拝する若者たちが熱狂的に支持をするものの、売り上げ部数のたいへん低いコミック雑誌をペラペラとめくっていた。ゼニは料理を頬張りながらしゃべり続けていたので、食べカスを激しく飛ばした。その食べカスは、たけちのおしゃれなTシャツ(胸元に『BREAK』とプリントされている)にびょんびょんとついた。たけちはそんな事態に気づきもせず、電子タバコでプカプカと煙を吐き出しながら「サツマイモみたいな味がする」とか言っていた。フローはビールを注いだコップのまわりに浮かぶ水滴を眺めていた。クラフトワークの『アウトバーン』やカンの『フューチャー・デイズ』のような音楽がリリースから50年ほど経過しいるにもかかわらず、未来の音楽に聴こえるかのように──とフローは考えた。さらに、数十年後のいつか、われわれが死に至った後、産まれてくる世界中のさまざまな子供たちが「ワーズワース・カイパーベルトの広場」を耳にすることがあるならば、きっと彼らにもそう聴こえるのかもしれない。
曲の後半に長く続く不明瞭なインプロヴィゼーションが流れるなか、テーブルには何かを炒めたようなものが運ばれてきた。この店に来るたびに、この炒め物を食べている。いったい誰が注文しているのか? 料理の名は何なのか? このような問いかけがいつも喉もとまでこみ上げてくる。そのたびに彼らは、ビールとともにその知識の空白を飲み込んでしまう。ある種の人々は、そうやってさまざまな疑問を抱え、それを解決することなく、無知のまま死んで行くのだ、とフローは思った。

私はこのフローという男と2、3度飲んだことがある。というより、私がたまたま足を向けた場末の居酒屋に、たまたま彼がいただけだ。彼はある事象を使い古された慣用句や普遍的な言葉に置き換える、そして、死という漠然とした価値観とその言葉をつなげて溜飲を下げる。このようなシーシュポスの神話のような運動を、短絡的な思考の反復と重ね合わせながら行うのが、典型的なフローだった。それはとてもくだらないことのように思えた。しかし、人々は負の影に食い潰されやすい。これらの体験は、少なからず私の文章に悪い影響を与えた。

店を出ると、たけちが「海へ行こう」と提案した。海は良い。海を見ていると海がきこえるようだ。皆は曖昧に相槌をうった。ヨコイがフランク・ザッパの『チャンガの復讐』をかけ、再び車を走らせた。街は熱でゆがんでいた。蜃気楼のようなかげろうに、視界はぼんやりとしていた。風はほこりにまみれ、彼らの意識は遠のいていくようだった。しばらくすると、中古のフォルクスワーゲン・ビートルは事務所の駐車場に到着した。たけちはショックを受けた。彼の提案は否定されることもなく、黙殺されたからだ。たけちはファーファーと怒りをぶちまけた。ある夏の日の一日を台無しにしたくなかった長谷川ヨコイは、アクセルを踏み、海へ向かうこととなった。富津に行こう、とたけちは言った。

ヘアウェイブたちが海へ向かうちょうどその頃、ラジオではカズキのインタビューが続いていた。
「あなたは、この意味深なタイトルをもつ曲を、どのようなメッセージで推し進めたのでしょうか」
「何も推し進めてはいません。そもそもメッセージは不在なのです。ただ、この曲には、複数の登場人物がいます。それは、私の人生から失われてしまった人々の総体です。彼らは、かつて、私の物事を測る視点、つまり人生に大きな影響を与えました。彼らとは、物理的な距離や生理的な嫌悪感、もしくはその死によって二度と会うことはありません。しかし、真夜中の静まったある時間、極度のメランコリックに陥ると、彼らは私の前に現れ、2、3の言葉を交わすのです。私は彼らを『長谷川ヨコイ』と名づけました。長谷川ヨコイは不在と死の象徴なのです」
「彼らは私の思考の発展に寄与してきました。そのときに価値を見出した言葉は次第に変容していきながら、私自身がその言葉に掠め取られ、逃れられなくなることがあります。その言葉が私の行動を推し進めることは、多分あったのでしょう。時に音楽を奏でさせ、時に私のすべてを破壊します。私がしばしば泥酔し、酔いにまかせて服を脱ぎ、ポリバケツに入ったまま路上に転がり、学生たちに目をつけられ暴行を受けたとき、気づいたのです。そのような出来事がウィリアム・ワーズワースであったり、エッジワース・カイパーベルト天体であったり、長谷川ヨコイの広場だったり、それらのさまざまな概念を結びつけたのだ、と」
このカズキの発言の瞬間、ある偶然によって、この電波にチューンをあわせている媒体は、この広い宇宙のなか、たった一軒の中華料理屋のラジオだけだった。つまり、大衆に向けられて発信されていると思われた普遍的な言葉の羅列は、発せられた瞬間に死に至ったのだ。しかし、悲しむ必要はない。われわれの会話は、いつもそのようにして消えていく。あなたは誰かの言葉を覚えていない。私もあなたの言葉を覚えていない。そして100年後の未来、われわれが語りかけたすべての人々は死に絶え、見知らぬ風景が広がっている。大切なのは、誰かの言葉を覚えておくことではなく、誰かに語りかけることでもなく、自分の言葉を自分に向けて発することなのだ。カズキは、それを理解する最後の殉教者だった。

富津へ向かう高速道路は渋滞が続いていた。フォルクスワーゲン・ビートルは海上の橋で30分ほど停止していた。30分の後にも、1ミリたりとも進む気配はなかった。フローは、ある短編小説のストーリーを思い浮かべ、その題名が何なのかを思い出そうとしていた。喉もとまででかかった言葉にも関らず、バドワイザーとその酔いともに飲み込んでしまった。それは無類に美しいストーリーだったはずだ。ただ、彼がそこから学んだことは、新しい期待が、ある退屈さから別の退屈さへの移行にすり替わり、飼いならされた失望とダンスしながら、なだらかな坂を転げ落ちていくさまだった。
「フローさん、カズキの曲を聴きましたか?」ヨコイに唐突に話しかけられ、フローの思考は焦点が定まるのに少しの時間を要した。
「どの?」しばらく口をきいていなかったためか、声がかすれた。
「さっき、ラジオでかかっていた曲です」フローは曖昧に相槌を打った。もちろん分かっている。「ワーズワース・カイパーベルトの広場」。その他に、いったい何があるっていうんだ。会話をするにはあまりにも疲労を感じていたし、特に答えを求めた質問とも思えなかった。
「昨日、カリフォルニア・ドーターのメンバー募集に応募がありました」メンバー募集。フローの脳裡でけたたましく警笛が鳴り響き、苦い記憶がよみがえった。

1999年の夏、彼とヨコイは寒川ボウルの壁面にメンバーの募集要項を貼り付けた。その要項は、バウハウスのデザインを取り入れた斬新なデザインだった。
「ボーリング場にメンバー募集の貼紙をするホットなバンドなんているのかね?」店長は、アルバイトのマキシマに尋ねた。いないね、とマキシマはイライラしながら言った。だいぶ酔っているようだ。マキシマはカウンターの下でいつも焼酎をストローで啜っている。
「ボーリング場に貼ってあるメンバー募集に、『これはクールだ、ぜひ応募しなくちゃ』と思うミュージシャンはいるのかね?」マキシマは胃からこみ上げてくる酒臭い息を飲み込みながら、いないね、と言った。
「なになに、『テクニックを重視しない想像力豊かなドラマー求む』だって? 最高の誘い文句じゃないか! まあ、確かに、ボーリング場というのはテクニックを重視しない想像力豊かなドラマーが集まる最後の場所だからな。ホーホー」コイツ、悦に入ってやがる、とフローは歯噛みした。純粋にも、フローとヨコイはレコードショップや貸しスタジオ屋のメンバー募集を嫌悪していた。たいていのバンドは入る価値もない有象無象であり、マジックの殴り書きから粗悪な4色印刷まで、オナニーをした後の虚無感を連想させた。だから、そんな世界の終わりみたいな場所でバンドを探すドラマーなどに加入してほしくなかったのだ。
結局、彼らの崇高な理想とアイデアの発露という名の冒険は、寒川ボウルと入居するマンション管理室わきの壁面2ヵ所という、世界の終わりよりもひどい場所に帰結した。個人的な意見を述べると、自分のバンドのキャリアを台無しにしたいミュージシャン達は、ぜひこれらの場所でメンバーを応募してみるべきだと思う。得られる教訓は多いはずだ。そして、テクニックを重視しない想像力豊かなドラマーは、彼らの前から永遠に姿を消した。

「新世紀になってだいぶ時間が経ったが、カリフォルニア・ドーターに加入したがる奴なんてサイコパスだけだ」
「加入したがっているのはカズキさんです」
「やっぱり、サイコパスじゃねーか」カリフォルニア・ドーターにカズキが加入するということは、サイケデリック・ファーズにマーク・スチュワートが加入するのと同じぐらい違和感があった。いや、この比喩が正しいかどうか分からない。この比喩が正しいかどうかを理解するには、サイケデリック・ファーズやマーク・スチュワートのより正しい知識が必要だ。フローにはそれが分からずぼんやりとしてくる。
「そもそも、アイツはドラムを叩けるんだっけ?」
「いや、ギタリストとして応募してきました」あのメンバー募集から、何年も経っていた。だから、ドラマーだろうがギタリストだろうが、正直どちらでもよかった。むしろ、ドラマーにもギタリストにもマーク・スチュアートにも、誰にも加入してほしくなかった。
「よくわからないね。俺にはもう何もわからないよ。すべて崩壊すればいい。だけど、アイツは、あの何とかフルーツってバンドをどうするんだ?」

『ジャスト・ライク・ヘブン』はフィナーレを迎えようとしていた。エンディングには、フランス印象主義の和声とアルバート・アイラーに影響を受けたビッグバンドがファンファーレを鳴り響かせ、番組のジングル、踏み切りの警報、犬の鳴き声、アフロビート、ループして逆回転させられたマントラのテープが混沌と鳴り響いた。スタジオには、水着に着替えた破廉恥な女性たち、極彩色のピエロの群れ、帰還した宇宙飛行士、著作権に問題が発生しそうなネズミやウサギの着ぐるみがなだれ込み、祝祭的な空間にエントロピーが拡大して行った。もちろん詳細はよくわからない。なぜなら、それはラジオでの出来事だったのだから。
「というわけで、2時間にわたってお送りしました『ジャスト・ライク・ヘブン』ですが、お別れの時間となりました。カズキさん、最後に一言お願いします」
「カズキ&ザ・ストレンジフルーツは本日をもって解散します」
「また来週お会いしましょう」

いや、メンバー募集に、たった一人だけ応募してきたドラマーがいた。田中リカという女子高生で、不登校だった。引きこもりの弟に暴行を受けていていた。彼女あまりにもエキセントリックで、最初の打ち合わせから唐突にパニック状態に陥ったり呼吸が困難になったりする傾向があった(彼女が短い悲鳴を上げるたび、長谷川ヨコイは身体をビクリとさせた)。また、肝心のドラミングにおいては、2パターンのテンポでしか叩けないことが発覚したため、彼女は即日解雇された。
それから数ヵ月経ったある冬の日の午後、田中リカとフローは偶然にも新宿のディスクユニオンで顔を合わせた。当時、パンク大学の5年生だったフローは渚にての『本当の世界』のアナログレコードを清水の舞台から飛び降りる勢いで購入したほか、キャバレー・ヴォルテールの『ヴォイス・オブ・アメリカ』やポップ・グループの『ウィ・アー・オール・プロスティテューツ』なども入手した(バイト先のおばちゃん達からタバコをねだり、ゼニの母親におにぎりを作ってもらうなど、金のない生活を送っていたフロー。そんな彼が、クレジットカードの支払いが滞った連中、例えばキャリアを築いているサラリーマンや買い物依存症の主婦、外国人労働者、年金生活者などに対して、小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコのように振る舞いながら請求未払い分の返済を迫るバイトをしていた。そんなバイト代で購入したレコードなのだ)。田中リカはまだ若かった。だから、ギャラクシー500の『オン・ファイア』を315円で購入していた。このような殺傷力の高いアルバムを17歳という多感な時期に初体験できるという事は、ある程度経済的な発展を成し遂げた国家でしか体験できない、この世界においてほんのわずかな人間だけが享受できる恩恵だった。もちろん、不登校と家庭不和に引き裂かれた彼女にそれを理解しろとは言わない。だからといって、我々は日常的に家を爆撃され孤児になったり、銃で射撃されたり、兵士にレイプされたりしているわけではない。他者の幸福を計る物差しは常に客観的だ。それでも、田中リカは家に帰りたくないと言った。フローにできる事は、生活費を切り詰め、田中リカに立ち食いそばを奢ることだけだった。
手打ちそばの『どですかでん新宿店』はその好立地にも関らず、店内には閑古鳥がピヨピヨと鳴いていて、人の気配がなかった。彼女はきつねうどんを注文した。きつねうどんは320円だった。フローは見栄をはって、天ぷらそばとかもっと高いものを頼みなさい、と言った。天ぷらそばは420円もするのだ。しかし勘違いをした彼女は、きつねうどんにえび天を追加するという暴挙に出た。フローは驚愕した。えび天は250円もするため、合計金額は570円に達した。これは、フロー家の10日分の食費だった。まあいい。彼女には帰る家さえない。彼には、治安が悪化した地域の干からびたアパートがある。そのアパートは騒音やごみ捨て、モラルの低下した低所得者、近所に蔓延る外国人犯罪集団、人類を逸脱した若者の暴力等の問題により、住人の間でトラブルが絶えなかった。他者の幸福を計る物差しは常に客観的なのだ。彼女は、七味を振りかけた。
「私、辛いのが好きなんです」
「ああ、そうかい」好きにすればいい、と思った。みんな好きにすればいい。当時、フローは女に捨てられたばかりで、自棄になっていた。しかし、破局の原因は彼が就職活動を放棄して、アルバイトをしながらぷらぷらとバンドをやっていければ最高だと言ったからだ。一般的に、就職活動を放棄して、アルバイトをしながらぷらぷらとバンドをやっていこうと考えている男に将来のヴィジョンを描く女性は少ないと言われている。つまり、問題を抱えているのはフローだということになった。ただ、フローは自由になりたかっただけだ。そんなこと考えている間も、彼女はずっと七味を掛け続けていた。
「かけ過ぎじゃないのか」とフローは言った。
「このぐらい辛くないと食べた気がしないんです」刺激を感じないと、生きていると実感できないんです。
「へえ、そんなものかな」好きにすればいい、と思った。問題は常に恣意的であり、人類が滅亡するまで、何も解決しないのだ。気がつくと、七味のびんは空になっていた。彼女がそばをすすると、音速のスピードで咳き込んだ。
「うう、うう、口が痛い…」
「まあ、そうだろうね」彼女はうめき声をあげ、噴出す汗と苦悶の表情を浮かべていた。
「呼吸ができないです、うっうっ」
 その光景が、現在までにおける田中リカとの最後の接点だった。だから、その日、彼女の弟がオレンジ色の光に包まれて失踪した午後に、彼女が家にたどり着き、ギャラクシー500の「ブルー・サンダー」の揺ぎを聴いたことを、フローは知らなかった。

世界の終わりのような午後の日差しだった。それはまるで痛みのようだった。夕暮れまでにはだいぶ時間があるが、少しずつ太陽の光が変化していくのがわかった。恋をしている時間は瞬きをする間に終わってしまうが、渋滞は永遠にように感じられた。そのとき、カーステレオから流れている音楽はフェデリコ・モンポウの『庭の乙女たち』だったはずだが、エアーコンディショナーの激しい音に遮られ、はっきりとしなかった。

車内の会話は途切れていた。ゼニはいびきをかき、涎をたらしながら居眠りをしていた。たけちは鳥のような目をしながらスマートデバイスを駆使し、夢中でエゴサーチしていた。長谷川ヨコイは右手に、フローは左手に広がる海を眺めた。そして、フローが前方に目をやると、赤く大きなシボレーが停まっていた。そして、シボレーの後部座席に座る少女と目が合った。少女は目をキョロキョロと動かし、フローに手を振った。彼は、覚醒と睡眠の間を行き来しながら手を振り返した。退屈しているのだろうか、少女は何らかのゼスチャーを交えながら口をパクパクさせた。何かを伝えようとしているようにも見えた。彼も適当に、まず手を叩き、ブイサインをし、親指と人差し指で輪を作り、最後にその輪を目に当てた。しかし、彼女は笑みも浮かべずに、同じゼスチャーを繰り返している。眠気のせいか、無意識に笑みがこぼれた。しかし、ある瞬間、フローは猛禽類の俊敏さで、ある種のトラブルを察知した。少女の身に危険が迫っている可能性を感じた。彼女を助けるには彼女のメッセージを読みとならければならない。フローが身を乗り出したところで、前触れもなく、少しずつ車が動き出し始めた。そしてシボレーの助手席に座っていた女が身を乗り出し、唐突に少女を抱え、後部座席に二人の姿が消えた。フローが驚いている間に前方の車両はスピードを上げ、狭い隙間を縫い、その姿を消そうとしていた。
「ヨコイ、あのシボレーを追え、早く! 早く! このクソったれ!」ヨコイはフローの意図がわからず、ぼんやりとしていた。フローはシートベルトを外し、運転席に無理やり体を押し込めながらヨコイを助手席に追いやろうとした。しかし、フローが飲酒しているため、ヨコイは必死で抵抗した。フローがヨコイの頭をペチペチと叩き続けている合間に、後方の車が唸りを上げながらビートルを追い越して行った。シボレーの赤はさまざまな車の色の群れに紛れ、次第にその姿を消そうとしていた。なぜこんなにスピードを上げなければならないのか、なぜこんな日差しの強い午後に他人のことにまったく無関心な、見知らぬ車に取り囲まれて走らなければならないのか、その理由は誰にも分からなかったが、人々は前方を、ひたすら前方を見詰めて走り続けた。

音楽と音楽の記憶とそのメモ。