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「おれ、在日韓国人とのハーフやねん」と初めて彼氏(現夫)から聞いた夜のこと

正確にいうと、私に向けられた言葉ではなかった。

ほんでタイトルみたいに日本語でもなかったんだが。

「在日韓国人」というキーワードが、初めて私の人生に飛び込んできた時の話。

そして当時の彼氏で現夫となったタケさんは、当時この会話をしたことを1ミリも覚えていないらしい。


タケさんと出会ったのはオーストラリア。海外で暮らしてみたくてワーホリへ行った24歳。英語もろくに分からないけど世界中から人が集まってて楽しすぎる。そんな初めての海外生活が始まってから1週間後、泊まってたバックパッカーにタケさんがやって来た。私がなんかの用事で受付に行くと、そこでチェックインしてる日焼けしたヒゲの男。モワモワの黒髪は長くて束ねてある。

日本人ぽいけど、えらい日焼けしてて黒いし、顔立ち的にもどっか東南アジアの人かな?いちばん初めに話しかける時は「こんにちは」か「ハロー」どっちなのか?

興味しんしんな私とは反対に、私をチラリと見ることもなく警戒心をむき出しにしている男。下を向いて書類を書きながら私との間に鋼鉄のシャッターを降ろしなさった。覇気がすげえ。見える、見えるぜ、「オレに近寄るな」と書かれた分厚い壁が。

ということで、一緒に現地入りしてた友達のヒトミに協力してもらいながら「すいませーん!敵ではござんせん」とシャッターをこじ開けてみたところ、京都からやってきた日本人だと判明した。

なんやかんやとすぐに意気投合。ただタケさんは前いた街へ戻るということだったので、私もついて行くことに。上の方にあるダーウィンという聞いたこともない地名。オーストラリア国内よりも、東南アジアの方が近くて暑い。アジア人はめちゃめちゃ多いけど日本人は多くない。ワニが出るから海で泳げない。そんな街でお互いに仕事探しをすることにした。


ある夏の夜。夕焼けが名物のビーチにある屋台マーケットに遊びに行った日のこと。行く途中か帰り道だったか忘れたけど、タケさんが現地で知り合ったという韓国人の男の子にたまたま遭遇した。

その彼も仕事探し中だったようで「調子どう?」と2人が話してるのを隣で聞いてたら、タケさんが「そういえば、」

「I'm half Korean.」(おれ、韓国人とのハーフやねん)

とその男の子に言い出した。

わし「え??今なんて?ハーフ?」

と思いながら横で聞いてると、日本で生まれ育った日本人だけど親の片方が韓国人だと説明している。「韓国は行ったことないけどアイラブキムチ」という情報も追加された。「ほな仕事探しグッドラック」とお互いに励まし合い彼と別れた後、思わずタケさんに聞いた。


「え、韓国人とのハーフやったん?」

「え、そやで。言ってなかったっけ?」

「いや初めて聞いた。韓国ハーフの日本人?なんかよく分からん。」

「オカンが在日韓国人やねん。親父が日本人やったから俺は日本国籍。在日韓国人のハーフやねん。」

「ざいにちかんこくじん。。韓国語も話せるん?」

「何も話せへん。韓国行ったこともないし。何世代も前のじいさんが来たのが初めらしいけど、オカンも日本で生まれ育ってるから日本語しか話さへん。」


テレビとかネットの中でしか聞いたことのない「在日韓国人」という言葉が、初めて私の中で身近になった瞬間だった。

「在日韓国人」といえば、メディアで見かける時はなんだか過激、センシティブに扱われる話題、差別が問題らしい、というイメージ。生まれ育った北陸の地元にも、今まで関わってきた人の中にも「在日韓国人」という人はいなかった(言ってないだけの人はいたかもしれないけど)。

とにかく私にとっての「ザイニチ」は、遥か遠い世界の話題。距離感でいうと「ボンジュール」とか「ナマステ」くらい遠い。言葉を知ってはいるけど、よく知らない文化圏の話なので、何か意見を持つことさえないというか。

でもタケさんが育った関西には、たくさんの「在日韓国人」が住んでいて朝鮮学校もあるらしい。友達にもたくさんいたらしい。

タケさん自身は日本人。母側の親戚は全員が在日韓国人。今は親戚付き合いも無いけど、幼少期に参加した法事が韓国スタイルだったりチマチョゴリという伝統衣装が家にあったり。でも基本的には吉本新喜劇を見ながら日本のカルチャーの中で育った関西人。在日韓国人という出自は「隠せ」と言われ育ったけど、本人は別になんとも思ってないし隠すつもりも無いということ。


そんな話を一通り聞いた私の感想は、

「ほー、わたし人生で初めてハーフと付き合ってるのか。」だった。


「ザイニチ」という言葉よりも、「ハーフ」を新鮮に感じて、それ以上の感想が出てこなかったような記憶がある。

ルーツの半分が韓国であるということを聞いても、韓国カルチャーの中で韓国人として育てられた訳でもなければ、韓国語を話す訳でもない。ハーフといえど、ハーフっぽさをまるで感じない目の前のタケさんを見ながら、色んなバックグラウンドを持つ人がいるんだなあと思った。


数年後にこの時の話をしたところ、タケさんに言わせると私は「よくいえば寛容かもしれんけど、悪くいえばただの無知」ということだった。たしかに。何も知らない。


ただオーストラリアという多国籍な国で、世界中から色んな人種が集まっているのを目の当たりにした後。当たり前のように何か国語も話せる人、あちこち色んな国に住んだ人、親が複数の国をルーツに持っててハーフどころか人種がいくつ混じってるのか分からない人。そんな人がうじゃうじゃいる環境で、ハーフと言われても「ほー、そうなんですね」という感想にしかならなかったのだ。

これがもし日本にいたら、「ザイニチ」についてもう少し考えることはあっただろうなとは想像できる。「ザイニチ」についての話題を目にすることも多いはず。田舎・昭和の価値観で生きる身内に、もし彼氏のルーツについて話せば多分あれこれ言われて「問題」にされただろうなとも思う。自分自身は経験が無いけど、「ザイニチ」であることで実際に苦労している人は多いとタケさんは言う。


ただ舞台はオーストラリア。日本人も中国人もフィリピン人も、みんなまとめて「アジア人」と呼ばれる環境で、「ザイニチ」という概念すら存在してない。「ザイニチ」について私が無知だったこと、海外にいたこと、タケさん自身は何とも思っていなかったこと。それらが重なって、日本では濃厚になりそうなテーマが水に薄まってそれ以上の話にはならなかった。

それよりも、当時は2人とも仕事がなかなか見つからない、英語も下手すぎてやべえ、つーか来週の家賃払えるんか、と重大な問題を抱えていた頃。それぞれ少ない所持金で現地に来たもんだから、崖っぷち。肉なしの野菜炒めとか、もらった魚とかでしのいだ。アジア食品は割高なので、タケさん好物のキムチなんて買える訳もない。そういえば私が数ヶ月で日本に緊急帰国することになったので、タケさんがキムチを食べる姿をオーストラリア滞在中に見ることはなかった。(ニュージーランドで一緒に暮らし始めてから、私の分を残すこともなく大量のキムチをあっという間に食いつくされた時には引いた)


そんなこんなで、いつか自分の子どもが両親の出会いとかルーツ、当時思ってたことをもし知りたくなったら読んでくれればいいな、という気持ちで書いた日記でした。タケさんとしては、今はニュージーランドに住んでるのであまり考えることもないし、「ザイニチ」は半分だけど、自分だからこそ発信できることも何かあるのかなと考えてるらしい。作文とかほんまキライやねん、というタケさんの代わりにたまに私が書いていこうかと。


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