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「あなたのためだから」は、大抵あなたのためではない


はじめに

こんにちは。Fラン文系大学院2年の人間生活ゼミナールです。

私は、最近になってようやく、あることに気がつきました。それは、
「これは、あなたのためを思って言ったことだから」と言われても、それは、本当に"あなた"のことを考えての発言ではないということ、
そして、
「あなたのためだから」という発言には、発言者が"あなた"を自身の都合の良いように動かそうとする心理が隠れている場合が多いということ、
です。すなわち、「あなたのためだから」という言葉は、悪意のある人間がいい人ぶってあなたをコントロールしようとするときに出る言葉であると、私は考えています。

もちろん、本当に"あなた"を思って、という意味で、「あなたのためだから」と言う人もいるかもしれません。そこで、そのような言葉を言われたときには、よく考えてみてください。まず、そのような発言の後に、相手が本当に自分のためになるような言動をしてくれているか?ということ、そして、相手がその発言と矛盾したような言動をしていないかどうか?です。この問いは、あくまでも主観的に考えるようにしてください。

・・・とまぁ、なにかのハウツー記事のような口調になってしまいました。
上記の内容は、あくまで私の経験に基づくものであり、心理学的にアプローチした結果ではございませんので、あしからず。

「あなたのためだから・・・」と聞くと、ちょっと前の某CMを思い出してしまう私ですが、このCMにおいても、このフレーズは、言われた側にとって良いようには用いられてはいないようでした。


私は、大学院で指導教員から、何度も何度も「あなたのためだから」と言われて、あれやこれや言われています。最初こそ、本当に私のためを思ってくれているんだろう・・・と思って、指導教員の指示に盲目的に従っていました。しかし、その指示に従ったところで、自分の研究が一切進んでおらず、むしろ、指示に従うことで自分の研究がゼロ地点にまで引き戻されているということに気がつきました。

ここからは、私の経験談を2つ書いてみたいと思います(経験談の内容が大学院における研究をめぐるものになってしまうこと、ご了承ください)。

私の経験①
「あなたのためだから」と、研究テーマ・分野の変更を強要される

入学前のテーマ変更

大学院という場ですから、受験・入学する際には、誰しもなんらかの研究テーマをもって入学しています。私ももちろん、学部4年生のときから研究してきたテーマをもって受験し、卒論で書いたテーマを膨らませて修士論文を書くつもりでいました。しかし、大学院への内部進学が決まって3ヶ月が経った頃、突然指導教員から、「このテーマではあなたのためにはならないから、テーマを変更する必要があると思います。」といわれました。よく聞いてみると、そのテーマでは、「論文」としてまとめたところで誰も論文として認めてくれはしないだろうということ、そもそもそのようなテーマには、将来性がない(博士課程に進学できるようなテーマではない)というのです。その頃の私は、博士課程への進学を希望していたので、指導教員の助言に従うこととしました。

しかしながら、よくよく考えてみれば、私がもともと考えていたテーマがそのような理由で却下されるべきであるのであれば、大学院入試の時点、あるいは、入試が終わって1ヶ月以内くらいには私に言ってくれれば良かったと思いますし(数ヶ月経ってからやっと判明するようなことではないからです)、理由もあんまり明確なものではないと感じました。実際に、私が考えていた研究テーマに関する論文は、今もなお発表され続けています。それゆえに、将来性がないテーマであると断言することはできないのではないかと思います。

妄信的に指導教員の「助言」に従ってしまったために、その後1年以上、研究テーマが決まらないままふらつくこととなってしまいました。

その後、9回に及ぶテーマ変更の強要・脅し

1年以上テーマが決まらなかったのは、その後も、一度研究テーマが決まれば、数週間後、数ヶ月後になってから、意味不明な理由でテーマを変更するよう強要し、あるいは、テーマを変更しないと学位を出せないと脅してきていたからでした。

実は、入学前の研究テーマの変更が「1回目の変更」となるのですが、
2~4回目の変更は、理由なくして却下されたため、
5回目の変更は、テーマが壮大すぎてあなたの能力では書けないはずだ、と却下されたため、
6回目の変更は、テーマとしてふさわしくないから、と却下されたため、
7回目の変更は、他に研究している人が多く、あなたがやっても意味の無い研究だから、と却下されたため、
8回目の変更は、テーマ選択の背景に、私の卑しさが垣間見えるから、と侮辱されたことをきっかけに自主的に撤回したため、
9回目の変更は、研究室のメンバーが心配するほどに暴言を吐かれまくったことで、精神的につらくなり、自主的に変更したため、
に行いました。

特筆すべきなのは、8回目の変更のときのことです。7回目に出したテーマが却下されたときに、上記の理由に加えて、「博士課程進学を見据えるならば、大学教員として就職しやすい研究分野に変更すべきなのではないか?」と言われたのでした。当時、その界隈では、若手研究者が異様に少ない研究分野というのがあり、それが私が研究している分野に隣接している分野でした。私は、将来的な教員ポストが得られやすいということに、多少なりとも魅力を感じてはいたものの、私の当時の研究テーマからすれば、研究分野を変えることは、自分の興味関心の対象が180度変わるようなものであったため、指導教員の提案を受け入れるつもりはあまりありませんでした。

しかし、「あなたの博士号取得後のことまで考えて言ってあげてるんですよ」と言われ、そこまで考えてくれているなら・・・と指導教員を信じ、研究分野ごと変えるような研究テーマを考え、提出しました。すると、指導教員からの第一声は、「何考えてるんですか?」でした。「そんなのやっても意味ないでしょ」と言われただけでした。
後日、研究テーマを練り直し、指導教員と面談したところ、言われた言葉が、「職に就きやすいからって、研究テーマをそういったものに変えるとか、卑しいんですね。将来に希望を抱いてしまっているんですか?」というものでした。そのときに感じた絶望感を、私はよく覚えています。満面の笑みで、そのような私を蔑むような言葉を言い放ってきて、楽しそうに笑っている指導教員の姿を忘れることはないでしょう。


この1件以来、私は、指導教員と連絡をできる限りとらないようになりました。そして、「あなたのためだから」と言ってくる助言を信用せず、また、テーマの変更を安易には行わないようにしました。

結局、指導教員は、「あなたのためだから」と言って、私にテーマ変更を強要し、研究が進まないように翻弄させて遊んでいたのでしょう。ちなみに、現在修論を書いているテーマに最終的に決定した(指導教員には話さなかった)のは、M1の2月です。


私の経験②
研究以外のこと全てを禁止し、「あなたのためだから」と修士論文の提出締切を早期に設定される

昨年度、私の指導教員のもとには、大学院生3人が在籍しており、彼らは、今年の3月に修士課程を修了し、皆民間企業等へ就職していきました。
彼らの修論執筆スケジュールは、指導教員の指示によれば、M2の10月に第一稿を書き上げ、2ヶ月ほど推敲し、1月上旬に提出するというものでした。

私も、その先輩方のようなスケジュールで執筆することを考えていました。しかし、指導教員からは、「8月中に、全てを書き上げた第一稿を提出すること」と指示されました。私は、それは無理だ、せめて主要な部分だけに限定してほしいと懇願しましたが、「全てを書いたものでないとダメ」ということでした。この締め切りを提示されたのが、8月1日でした。それまでは、夏休みが終了する9月の最後くらいまでに、主要な部分だけでも書いたものを提出すれば良い、と言われていましたので、まさに寝耳に水でした。

世の中の一般的な大学院生は、10月頃に第一稿を完成されるようです。
現に、他の指導教員以外の教員に話を聞くと、「8月にできていればそりゃあ上出来だけど、普通は無理」ということでした。他の指導教員のもとで研究している同期の院生も、「現時点で特に締め切りはない」とのことでした。

このことから、指導教員は、私に一般よりも早く、かつ、よりタイトなスケジュールでの修論提出を要求しているようです。このような締め切りを設定してくる理由としては、「論文を書き直せる時間をつくるため、マイナス評価を受けないようにするため、すべてあなたのためだから」ということでした。

個人的には、8月は、就活に力を入れようと考えていたため(未だに内定がない)、8月中に修論を書き上げなければならず、8月を修論執筆に費やさなければならないというのは、大誤算でした。


このことを家族に相談したところ、あることに気づかされました。それは、昨年の先輩たちが就活に特に力を入れていた時期が8月であった(三人中二人が8月中に面接を受け、同月下旬頃に内定を得ている)ということであり、それゆえに、指導教員は、私の就活を妨害してきているということでした。さすがに被害妄想が過ぎるでしょ、とお思いかもしれません。しかし、指導教員がこれまでに私に対して「研究以外のこと(恋愛、遊び、バイト、親の介助等)をしてはならない。研究以外のことをしたうえで、なにか『できない』ということがあれば、それは決して許されないし、そういう場合は、大学院を退学しろ」と言ってきていることからすれば、修論執筆の間の就活を禁じようとしているのでしょう。


研究指導もろくに受けられず(聞いたところで、「わかりません」「知りません」と言われるだけ)、将来に不安を感じながら修論を書くのは、精神的に本当にキツいです・・・(もちろん、修論執筆をしながら、隠れて就活をするという手段も考えましたが、日程的に難しいです。実際、先輩方も、修論執筆を始めたのは、就活が終わった9月頃からでした。


8月に修論を書き上げることのなにが私のためになるのか、よくわからないです。やはり、ここでの「あなたのためだから」は、罠で、上述の通り私の就活妨害をして楽しむため、そして、早く提出させて、また一から研究テーマを変えさせて私を翻弄する(書いた分を全て無駄にさせる)ためのものなのでしょう(実際、修論に組み込む予定で書いていた卒論(指導教員も事前に了承済み)は、過去の合意をなかったことにしてテーマの変更を強要されたことで、水泡に帰しました)。

まとめ
「あなたのためだから」は、話し手の悪意を隠す「魔法の言葉」である可能性がある

一見、自分のことを思っての発言であるかのように見えて、実は、話し手の悪意(コントロールしよう、もてあそんでやろう・・・)を隠すための言葉でしかない場合があることを書いてきました。

言葉をそのまま受け取って、相手の助言もどきに妄信的に従ってしまうと、痛い目に遭う場合があるので、要注意です。

ハラスメントを表面化しにくくする効果もある

「あなたのためだから」は、当事者間で起きているハラスメントをハラスメントでないかのように見せ、第三者にハラスメントであると思わせないようにする効果もあるようです。

実際、上述したような、指導教員から受けているアカハラについて、その他の教員数名に相談しています。そして、とある1名は、最初はとりわけ親身に聞いてくれて、私の研究の相談にも乗ってくれていました。しかし、翌週には態度が一変しました。どうも、私の指導教員にこの一連の「アカハラ行為」について聞いたらしく、そして、私に「どの指示も指導も、あなたのためを思って言ってくれてるもので、指導教員は、その思いを上手に表現できていないだけだから、あなたが折れるべきだ(アカハラを受け入れ、指導教員に迎合すること)」と言ってきたのです。「××さん(指導教員)は、あなたのことをよく考えてくれてるよ、昨年の院生のこともよく考えてあげてたし、院生思いなんだよ」とまで言ってきました。
私は、あきれました。どんな侮辱的な行為も言動も無理難題も、「○○さん(私)のことを思ってのことだから」と言えば、すべて許されるようなのです。また、第三者に誤った評価をさせてしまうようなのです。悪を善に見せかける、悪質な言葉だと思います。


どうぞ、皆様も「あなたのためだから」という言葉にお気をつけください。本当にあなたを思っての発言であれば、そのような言葉を発することなく、態度や行動で示してくれるでしょう。

ここまで、大学院における私の体験談をもとに色々と書いてきましたが、このことは、その他のハラスメント一般にも当てはまることであると思います。
仮に「あなたのためだから」という言葉を信じて行動し、自分に不利益なことが起こってしまった場合、周りの人は、おそらく助けてくれないでしょう。だからこそ、予防することが大切だと思います。


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