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23から24へ

脳はカーンと鐘がなりそうなくらい ー意外にもー 冴えていて、自分の中の疲れを見い出せないほどだった。24歳になって二日目、私は、課題に追われていた。

太陽が顔を出し、鳥が次の日を告げ始めた。仲間の1人がこういった。

「寝るまでは次の日ではない。」


24歳の始まりは、23歳の振り返りによって始まると思う。去年はこのように振り返った。

23歳はどんな年だっただろうか?正直にいうと、言葉にできない。毎日考えていなかったわけではないと思うし、むしろ考えていたように思う。

でも、前のように上手いように綺麗な感想はできない。言い換えれば、ここはこの話、ここはこの話みたいな聞き応えのある話し方はできない。

だけど、だからこそ?、悩みは増えた。しかも多面的に。そして複合的に。万華鏡の中のような世界が首を傾げるたびにその様相を変える。ただ、ふと我に返って首を縦に起こすと、目の前は綺麗な景色が広がっていたりする。人生は意外とシンプルだ。

ただ、23歳の転機は場所が変わったことだ。常に動いているような気もするので、あまり周りの方には伝わらないかもしれないが、自分としてはプレッシャーやストレスを感じざる得ない。それも仲間と共に乗り越えている最中です。ここ2ヶ月は特にそれを感じた。

正直にいって、23歳は10ヶ月くらいの余白と2ヶ月の激動で構成されていた。最後の2ヶ月は本当に大変だった。ずっと勉強していた。それくらい大学院はスリリングだった。そして、24歳になってもそれがきちんと続いている。


課題はギリギリまで粘り、提出に成功した。気づけば晴れ渡った午前10時だった。次のラフなミーティングを済ませ、その内容をシェアすべく、前川さんと電話でシェアした。

「私たちどうなるんだろうね、根本くん。」

前川さんとの電話は最近こんなことしか話していない気がする。梅雨の間にある爽やかな日差しに安心感を覚えながら、私は塀の上で足を伸ばしながら腰掛けて、綺麗な新緑に目を落とし、朧げな意識を載せていた。


思うと、23歳は発表する機会も多く、自分の過去をどれだけよく見せれるか多いような気がしていた。自然とバックワードだった。今は翻って、ずっと次の課題や次の予定を考えている。雑然とした提出期限とモノトーンな生活スタイル。しかし、未来に対しての執着や妥協、そして努力は今までよりするようになった。カメラロールは紙かアイパッド、パソコン、ホワイトボードばかりだ。その中に四葉のクローバーみたいな、綺麗に思った本郷通りの一コマがたまに入り混じる。

「せっかく博士に行けるなら、行きたいでしょ」

夜一緒によくいる仲間の一言だった。すごく素敵な言葉だった。僕は彼に助けられてばっかりだ。本当にありがたいし、モチベートしてくれている。そしてそんな感謝の思いが他のみんなにもたくさんある。みんなと一緒に今年来年くらい頑張ってみてもきっと後悔はないと思う。


つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを

あの時、ああすればよかった、あの時こうすればよかった、後悔はいつだってあとからやってくる。シンプルながらも毎日をできることを頑張ることを執着して、最後まで走り切りたい。それが年男の抱負だ。


それでは。


根本


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