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ヒプノシスマイク・麻天狼『TOMOSHIBI』ひふみパート考察


「伊弉冉一二三」という存在

  「伊弉冉一二三」って”イケメンで優しくて、背が高くて面白くて、おまけに手先も器用”って、もうDNAを残すべく男として生まれてきたような人間だなと思いますよね。しかもシンジュクのナンバーワンホストで超金持ち。
 ……でも実は女性恐怖症で子どもを作るどころか恋愛すら出来ないんです。
 しかも一二三の苗字は「伊弉冉」。「イザナミノミコト」って、国生み・神生みの女神、女なんです……。
 ナンバーワンとしてシンジュクのホスト界に君臨する姿はまさに国土創世の男神「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」そのものなのに、決して男にはなりえない……。
 さすが、ラップバトルを謳うヒプノシスマイクだけあってディスりがきいてます。皮肉過ぎてぐうの音も出ません……。

 きっと女尊男卑の“言の葉党”が支配するH歴の世界において、男の役割なんて ”生殖” と ”納税” と ”娯楽” ぐらいのモンなんじゃないでしょうか?
 そんな社会の中で雄の本能を喪失した一二三は底辺の存在……、厳しい現実が突き付けられています。そしてそれを隠すかのようにジャケットを羽織る事で自己暗示を掛け必死に生きている。
 ジャケットをオフした時の一二三が、明け透けで何も考えてないようなチャラチャラした性格であるだけに、より一層「女性恐怖症」というままならない病気が落としている影を濃く感じてしまい切なくなります。
 きっと本来の一二三は男女関係なく誰とでも仲良く出来るようなコミュニケーション能力の高い人間だったのでしょう……。
 そう考えると、どんな姿の一二三にも悲哀を感じてしまいます。

 ラップバトルにおいて、今まで一二三は自身が「女性恐怖症」であることを伏せていました。バトル曲では常に自信過剰なGIGOLLOとして、敵のディスりにも鼻で笑いながら余裕綽々でディスり返していました。それが今回の2ndディビジョンラップバトルでは赤裸々に「女性恐怖症」であることを歌ったのです。
 そのひとつがこれから考察する『TOMOSHIBI』です。

 私の『TOMOSHIBI』考察はこのつぶやきからスタートしました。
 そもそも一二三って、ホストやってる時は煌びやかで人間離れしたオーラを纏っているような人だけど、普段の一二三はすごく人間らしいというか、チャラチャラはしてるけど、派手な生活はしていないし、何より努力の人。ちゃんと地に足の付いた普通の人なんです。
 ドラマトラックやコミック、その他媒体で明かされていますが、料理が好きで、自分磨きも怠らない。ホスト一二三としての客である”子猫ちゃん“へのフォローもマメで、後輩にも慕われている様子。さらには同居人である独歩の部屋の掃除や洗濯に裁縫、料理まで用意する面倒見の良さ……。
 私は今までこの事実を腐った目(ゴメンナサイ( ;´Д`))でしか見ていなかったので全く気付かなかったのですが、単純に一二三って女性的な能力が高いですよね……。そして客へのマメさや、職場でしているであろう後輩へのフォーロー、独歩に対する面倒見の良さはまさしく”母性”。
 一二三はもともとの人間性として、母神「イザナミノミコト」の名を背負うに恥じぬ程の”母性”を有していたのです。


「母性本能」は誰のもの?

俺は木綿豆腐のメンタルの恐怖症 だがスーツを纏えばそれも当然卒業
理解したい貴方の表現方法 余計今日もくすぐる母性本能
ぼぉーと立って どんと座って 情緒不安定な時も
そっぽ向かないで言葉で証拠掴んでく
だが寒い日だろうと今はまだ貸せない いずれこのスーツそっと君にかけたい
元々が特別なオンリーワン そんなセリフ吐いた暁には終わりだ
先生に独歩この2人共に向かう
「今手をかける冷え切った扉」
仲間で語り合って支えやってきたのさ
腹割って 殻割って 戦って撒き散らすフロー
ひたすらにただ耕す 不可能という土に花を咲かす

 『TOMOSHIBI』、一二三のリリックです。
 ライブで木島さん(CV)の、心の底から絞り出すような表現にギュッと胸が締め付けられ、初見だったにも拘わらず一気に沼へダイブしてしまいました。一度しか見ていないのに今でもその時の木島さんの表情を覚えています……。
 それはさておき、これは一二三の「女性恐怖症」を克服したいという決意のリリックだと私は思っています。
「木綿豆腐のメンタルの恐怖症」「女性恐怖症」のこと。その恐怖症を仲間の力を借りながらも克服して、不毛の大地に花を咲かすように、いつか本当の自分を取り戻して見せる。
 そんな願いと意志が込められたリリックだと思っています。
 でもこのリリック、大筋の内容は明確なのですが一つ一つを見ていくと難しい……。

 まず「母性本能」という単語が出てきますが、この「母性本能」とは一体誰のものなんでしょうか?そして何を意味しているのでしょうか?

理解したい貴方の表現方法 余計今日もくすぐる母性本能

 最初、私はこの「母性本能」は、一二三を愛する女性から一二三に向けられる”愛情”を比喩しているのかと思っていました。
 一二三はナンバーワンホストです。女性からの愛情を沢山受けていることでしょう。美しく、細やかな情がある一二三に、女性は母性本能をくすぐられるのかもしれません。
 女性からの愛の「表現方法」を「理解したい」けど恐怖症であるが故に出来ない一二三。その苦悩する姿にさらに女性は母性本能をくすぐられるといったところでしょうか。
 でもちょっと待ってください、これ一二三目線で言ってますよね。「怖がる素振り見せると、僕もっと女性に好かれちゃうんだよね〜」って随分自意識過剰な気もします……。

 もう一つの可能性はドラマトラックで存在が明らかになった「邪頭院仄仄」です。
 仄仄が過去に一二三に行った非道な行為を「表現方法」と比喩し、それが何の為だったのか「理解」しようとする一二三。しかしそれは逆に仄仄の嗜虐性を煽ることになる。その嗜虐性を「母性本能」と比喩しているとも考えられます。
 ですが、仮に仄仄が神生み神話の”ヒノカグツチ(イザナミノミコトに大火傷を負わせ死ぬ原因を作った火の神)“だとすると、“ヒノカグツチ”はイザナミノミコトの子どもですので「母性本能」と表現するのはいささか不自然な気がします。(仄仄=ヒノカグツチ説は色々な方が考察しています。)

 では最後に「母性本能」を一二三自身のものとするのはどうでしょうか?
そもそも「母性本能」とは

●自分の生命よりもわが子の生命を優先しようとする
●人類の場合、一定年齢に達しても、自立が困難と判断されれば、限定あるいは無限定に母性本能が注がれるとされる。また人間飼育下でまれに、自然界ではごくまれに、鳥類及び哺乳類が別種の生物の子供を育てようとすることがあるが、これは母性本能の発動であると見なされることがある。
(引用:Wikipedia)

 つまり、自分よりも小さく弱いものに対して感じる”守りたい””愛おしい”という気持ちや衝動のことです。
 初期の一二三と独歩が麻天狼になるきっかけとなったストーリーで、一二三は高層階から落下する自身のストーカーだった女性を助ける為に、自分が死ぬことも厭わず一緒に窓から飛び降ります。
 また、一二三は自分の客のことを“子猫ちゃん”と呼んでいますが、その“子猫ちゃん”の売り掛けを心配したり、手作り品をプレゼントしたりなど、随分と手をかけている様子もうかがえます。
 まさにこの様子は、先程述べた「母性本能」の定義と合致するのではないでしょうか?
 一二三にとって「母性本能」の対象となる「わが子」は”子猫ちゃん“=”女性“なのだと思います。


「母性本能」が意味するものは……

 では、リリックの「母性本能」を一二三のものとするならば「理解したい」「表現方法」とは何なのでしょうか。
 それはすなわち女性からの愛情表現だと私は考えます。
 一二三は本来「母性本能」が強い人間です。なので、その気持ちが恋愛的なものかどうかは別として、女性からの好意や愛情は受け入れて理解したいと思っているはずです。しかしジャケットを羽織ったホストの姿とはいえ、実際は女性恐怖症であるが故に受け入れることは出来ても理解しそれに応えることは出来ない。そのやるせない事実があるからこそ、余計にその愛情表現を”理解しそれに応えたい”という思いが強くなる。そしてそれ故に異常とも思える程の手の掛け方や行動をしてしまう……。
 作詞をしたGADOROさんは、この”理解しそれに応えたい“感情を「母性本能」という言葉で表現したのではないでしょうか。
 これは万物創世の母神「イザナミ」の名を背負う一二三だからこそのリリックだと思います。深い……。

ぼぉーと立って どんと座って 情緒不安定な時も
そっぽ向かないで言葉で証拠掴んでく
だが寒い日だろうと今はまだ貸せない いずれこのスーツそっと君にかけたい

 ●「ぼぉーと立って」 →ぼぉーと立ち尽くす →呆然とする →女性への恐怖で言葉をなくしている様子
 ●「どんと座って」 →勢いよく座り込む →力が抜けるように腰を落とす →女性への恐怖で腰が抜ける
 ●情緒不安定な時も →女性への恐怖で精神が安定しない時も

 ●「そっぽ向かないで」 →女性恐怖症という現実に目を背けないで
 ●「言葉で証拠掴んでく」 →ホストとして接客をする(女性恐怖症を克服する為の道筋をつくる

 ●だが寒い日だろうと今はまだ貸せない →それでもまだ女性恐怖症は克服出来ていないけれど
 ●いずれこのスーツそっと君にかけたい →いつかきっと克服してみせる

リリックの前半部分は一二三の女性恐怖症への想いを打ち明けるバースでした。


ダブルミーニングの「オンリーワン」

次に後半のリリックについてです。

元々が特別なオンリーワン そんなセリフ吐いた暁には終わりだ

 「オンリーワン」とは、某アーティストの歌にもあるように「特別な」「唯一無二の」といった意味の言葉です。もともとは「ナンバーワン」から派生した言葉のようなので、ナンバーワンホストの一二三にぴったりの言葉です。
 ですがこの「オンリーワン」は一二三の天賦の才がもたらしたものではありません。血の滲むような努力の末に勝ち取った称号です。
 一二三自身もそれをよく自覚しています。
 後に続く「そんなセリフ吐いた暁には終わりだ」というリリックがそれを物語っています。
 →あぐらをかいて少しでも努力を怠れば、”女性に好かれる一二三”という存在は簡単に消えてしまう、だから努力をし続けろ。
 自身への戒めのようなリリックです。……切ない。

 そしてもう一つ「オンリーワン」には特別な意味があると私は考えます。
「オンリー」とは本来”一人”を強調するような意味の言葉です。「たった一人の」とか「唯一」とかいうように。
 一二三は女性恐怖症であり、バトル曲『Light &Shadow』で「僕の見てる世界と皆んなの見てる世界は別もん」と歌っているように、世界の半分が恐怖の対象です。
 そしてこれがどれほどの恐怖であるのかは、当事者である一二三しか理解することは出来ません。例えそれが長年連れ添った幼馴染の独歩であってもです。理解しようと寄り添うことは出来ても、その恐怖と苦しみを共有することは出来ないのです。
 一二三はそんな誰にも理解されることのない地獄を10年以上、現在進行形で生きているのです。
 一二三の心はずっと”孤独”だったはずです。隣にいる独歩でさえも理解し得ない地獄。これが「オンリーワン」のもう一つの意味だと私は思います。

 ですが、一二三は孤独であることを嘆くだけの弱い男ではありません。
 「そんなセリフ吐いた暁には終わりだ」→俺は独りなんかじゃないっ!
 こう言って自分を鼓舞し、次のリリックへと繋がるのです。

 先生に独歩この2人共に向かう
 「今手をかける冷え切った扉」

 「TOMOSHIBI」は決意の歌ですが、その決意を後押ししているのは“仲間”の存在です。
 三人のバースには必ず仲間のリリックが入り、そこから力を得たようにフロウは強くなります。
 一二三のリリックも先生の一言をきっかけに「困難」に強く立ち向かう決意の表明へと変わります。
 「冷え切った扉」はドラマトラックでの「錆び付いたファスナー」と同義でしょう。
 恐怖症で閉ざされてしまった世界への扉に手を掛けるのは一二三だけではありません。「先生に独歩」そして自分、もう孤独ではないのです。
 きっと一二三は、先生と出会ったことにより変わったのだと思います。そしてそれは独歩も同じです。
 今まで“一二三と独歩”という小さな世界の中で縮こまるように生きてきた二人が、先生と出会い麻天狼として活躍していく中で、粉々に砕けてしまったアイデンティティーとプライドを少しずつながらも取り戻し、麻天狼の一員としての自己を確立することが出来たのだと思います。
 だからこそ、自身の女性恐怖症を否定せず、バトルで曝け出し戦うことが出来たのではないでしょうか。

仲間で語り合って支えやってきたのさ
腹割って 殻割って 戦って撒き散らすフロー

→助け合って、支え合ってやってきた
 この先も、惨めな自分を曝け出して、少しずつでも前進して、死に物狂いで今の自分を変えていく。

ひたすらにただ耕す 不可能という土に花を咲かす

→何があっても努力し続けて、いつか必ず女性恐怖症を克服してみせる。

後半のリリックは麻天狼という拠り所(絆)を得て、さらに強くなった一二三が女性恐怖症を克服する決意をうたうリリックでした。


まとめ

 私は麻天狼というチームが好きです。
 最初にこの楽曲を聴いた時は、三人の弱さの吐露に胸が締め付けられ苦しくなりました。
 しかし、何度も聴くうちにこれは決して弱さを曝け出すだけの曲ではなく、ディフェンディングチャンピオンとして更に強くなる為の決意の曲だということに気が付きました。
 麻天狼が今後どのようなストーリーを歩んで行くのかは全く予想出来ません。ただ、ハッピーでないことだけは今までの流れから見て確かだと思っています。
 けれど、どんな状況でも己を信じ、仲間を信じ、寄り添いながら前に進んでいく彼らを、私は灯火として導き応援したいと思っています。
 いざ、ファイナルバトルへっ!


 読んで頂きありがとうございました。
これは私の個人的な解釈であるので、多々解釈違い、根本的な間違い等があるかと思います。ですので、その際は是非ご指摘いただければと思います。
 また、ぜひ読皆さんの考察も教えていただきたいと思います。

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