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がいなおかあ(3)「長生きしてどうすんの?」医師に言われ怒り心頭の母


「がいな」とは四国地方の方言で
「強い」とか、「大きな」とかいう意味。「気が強い」という意味でもつかわれる。
四国のとある田舎で育ったわたしの実母は、現在、81歳。
気が強くて勝ち気でジコチュー、そんなお母(おかあ)のあることないことを、思い出すまま気の向くまま、灰汁(あく)と嫌味と少しの愛を入れ混ぜて、この場所に綴ってみた。

「あなた、いったいどれくらいまで生きたいんですか?」
「そんなに長生きしてどうするの?」


医師にそう言われ、バカにされたと怒りまくったおかあ(母)がわたしに電話をかけてきた。

これは何年か前の事だ。その時は、まだおかあに、今ほど不信感を覚えておらず、わたしは、そんな事を言う医師がいるのか、医師としてあるまじき事を言うやつにわたしが会ってクレームを言ってやる!
などと思っていた。

遠方に住んでいるわたしは結局、クレームを言うにまでは至らず、時間経過と共におかあの怒りも薄れたようで、それっきりになった。

んが、
今思うと、たぶんあれは、

「切り取られた医師の言葉」

ではないか、と思うようになった。
芸能人や有名人の一部の言葉を切り取り、拡散。悪者に仕立てあげる。というやつ。

医師が「あなたいったいどれくらいまで生きたいどうのこうの…」
「そんなに長生きどうのこうの…」
は、その前後に筋書きがある。はず。
ならば、そういう医師の言葉もニュアンスが違ってくる。

その考えに至ったのには、訳がある。娘がたしか中学生の頃、帰省中におかあは、こんなことを言いだした。

「アタシ、尿に泡があってのぅ、
きっと何かの病気やわ。」
「心配じゃわ。」

「あんた、ちょっとアタシのおしっこ見張ってくれん?泡が何分で消えるか計って」

こ、この滑稽極まりない仕事を頼まれたのは当時中学生の我が娘だった。

娘は「ええよー」
と気安く返事。素直なところが長所やけど、こ、ここは、素直じゃなくてもええんでないかい?

「えっ?」
とか、
「何で?」
ではない。

「ええよー」
律儀にも時計をもってトイレに行った。
便器に溜まった黄色い液体と時計をにらめっこ。

数分してトイレから出てきた娘は、リビングに座る母に言う。
「ばあちゃん?泡…」
すかさず
「消えんやろ、アタシ、何か悪い病気じゃわで。」と母。

自分で自分をなんか悪い病気だと決め込み、異様なまでに心配し始めた。

それから、「尿の泡」についてちょっとスマホで調べてみてくれと、わたしや孫に言いまくる。

ってか、何で孫ひとりで自分のおしっこを見張らせる?
おもしろすぎっしょ。


そうかと思えば、母のアイテムは

『塩分計』


わたしが作るありとあらゆる食事にこの塩分計をつっこむ。

↑↑↑↑↑こんな感じ

「いかん!」
「塩分摂りすぎや!」
とお味噌汁にポットのお湯をドボドボ注ぐ。

子ども達が
「うわーやめて!」

こんなやりとりが帰省中はいつものことだ。健康に関して度が過ぎるほど心配する。そして自分だけ、薄めりゃいいものをわたし達家族にそれを強要する。

味もすからもないような味噌汁。
子ども達も夫もこれには、相当まいっていた。

健康に気を使うのは決して悪いことじゃないけれど、楽しく生きなきゃ、生きてる意味あんのかな?

味のない食事をして、おしっこの泡をや身体のちょっとしたことを異様に気にして心配する。
不安や心配の毎日やなんて。

そんなことがあったこと、ふと思い出した。

さっきの話しにもどるけど、
医師はたぶん、おかあがあんまりしつこく、
「治りますか?」
とか、
「原因は何ですか?」
とか
「長生きできますよね?」
とか言うもんだから、

だから

「あなた、いったいどれくらいまで生きたいんですか?」
「そんなに長生きしてどうするの?」

ってな感じでちょっと呆れて言ったんじゃないかと思ったのだ。

「心配してばかりじゃ楽しくないよ、楽しく生きなさい」

って言葉が後に続いていたんじゃなかろうかと。

いや、分からんで。
知らんで。
その場にいたわけじゃないし、見たわけじゃない。

でもなんかそんな気がするんよね。

物にはなんでも限度がある。
塩分計も過度にならないように使用して〈塩分心配症〉も〈アタシのおしっこ大丈夫か病〉も気にするのはそこそこでいいんじゃない?

楽しく笑って生きようよ。


#おしっこを見張るなんやそれ
#塩分計持っていなきや不安ですか
#味噌汁はやっぱ旨味たっぷりだしたっぷりがいいよね
#楽しく生きる
#おしっこに泡やばい病気や
#あーもうっ

To be continued

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