見出し画像

父の日に父とランチしてきた話。

先日の父の日。
狙ったか、知らずか、父に夫婦でランチに誘われた。

なんとなく想像はしてたのだけれど、レストランに着くとそこには父の再婚相手がいた。


その人の存在を知ったのは、婚姻届提出の準備のため戸籍謄本をもらいに行ったときだった。

係の人に記載内容に間違いがないか確認され、そこに知らない人の名前が載っていた。
頭の中は???だらけで、でもそもそも父の生年月日すら怪しく、よくわからないけど「間違いないです」と答えて謄本をもらって帰ってきた。

家に帰ってきて、じっくり見てみてびっくり。
父が再婚していたのだ。
日付を見ると母と離婚が成立して、数ヶ月後の出来事である。

おめでとう、とメッセージを送ったら、会ったときに言おうと思ってたんだよ〜といかにも父らしい返事が返ってきた。
びっくりするからそうならそうと言ってほしかった。

父と母は私が3歳くらいの頃から離婚寸前で、それでも母の完全なる自己都合によって長年有耶無耶になっていた。
だから突然離婚が進展したことの方が驚きが大きく、そりゃ突然の再婚にも驚きはしたけれど父も大概自由人だし、その自由人を理解してくれる人がいたのだな、と逆に安心すらした。

父の再婚によって、私には新しく母と同い年の妹ができた。
さらには自分も結婚したので義理の父母と弟と妹もでき、たくさんの人との縁が繋がった。
そんな2022年だった。

初めて会った新しい母は笑顔が素敵な人で、父の冗談や趣味の話に嫌な顔もせず、一緒に笑ってくれるような人だった。
前の?母は父を心底嫌がり、やることなすこと全てに文句をつけて、常に無視か金切り声をあげて怒鳴り眉間に皺を寄せていた。

隣に座る女性と(そもそも母は隣に座ろうともしなかったが)普通に会話をして穏やかに笑っている父を見て、動物園のパンダをみている気分だった。
それくらい今までに見たことのない光景が目の前に広がっていた。
本当は色々聞きたいことがあったようななかったような気もするけれど、全てどうでもよくなってしまった。

私は父に対して、少し申し訳なさを感じる部分があった。

私のせいで、私を言い訳に使う母と離婚ができなかった。
もしかしたら、別に家庭を持って、幸せに暮らす事もできただろう。
私のせいで、祖母から母を押し付けられ、辛い思いをすることになってしまった。

中学高校の6年間、父と同居する期間があった。
最初こそ母は気をつかっていたが、次第に関係は悪化。
父が自分で買ったはずの家に帰れない情けなさったらなかったはずだ。

とっくに限界家族だった我が家も、私の高校卒業とともに解散ムード。
しかし「娘ちゃんが一緒じゃないとでていかない!」と泣き喚いた母に私が負ける形で、父が出張に出かけた後、父と暮らしたマンションを後にした。

父が出張から帰った時の虚しさは計り知れない。

あの頃は父も父で母に追い詰められていたので、やる事がかなりエスカレートしていたのもあり、私も母と一緒になって父が嫌いだった。
でもあの後自分が母に同じことをされ、今になって、あの時の父の辛さや虚しさを想像できるようになってしまった。
あの時味方になるべきだったのは、理不尽に耐えていた父だった。

父が安心して穏やかに座っている姿を見て、私もまた肩の荷がおりたような気がしたし
また父と家族として寄り添える気がした。


父と私が話しているをみて「思ったより仲良いし、色んなところに行ったりしてたんだね」と夫に言われた。
たしかに言われてみれば、一緒に生活をしていないのもあって父と会う時はどこかに出かけることが多かった。

プールや海に行ったり、映画を観たり、水族館や博物館に行ったり、夏のお台場のイベントに行ったり、ライブを観に行ったり
私が行きたいと言ったところに連れて行ってくれた。
夏休みの宿題を一緒にするのも父だった。

今思えば、母は自分の用事に私を付き合わせるだけで、私の行きたい所、やりたい事には付き合ってくれるタイプではなかった。
めんどくさい事、やりたくない事は全て父に任せて、自分の都合のいい範囲でしか私に関わろうとしなかった。

父も私も、母に翻弄された約30年間だった。
やっと、母の呪縛から解かれ、それぞれの人生を歩もうとしている。
まだまだ色んな問題はあるけれど、やっと収まるべきところに収まったようなそんな感覚がある。

結局は、母というどこまでも未熟で成長できない人間の自分勝手さが周りの人間を巻き込んで傷つけていただけなのだ。
今までの人生を取り戻すように、これからは穏やかで健やかで幸せなものであってほしい。
ただそれだけをねがう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?