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バリ島ウブドを歩く㉚【クラフトマーケット】
ウブドの街には彫刻やお面、腰巻やバリ風の洋服などを売る店がたくさんある。ウブド王宮の向かいにはクラフトマーケットがあり、小さな店がぎっしり並んでいる。
このような店はウブドではいたるところにあるので、わざわざ探す必要はない。
私はお面が好きなので、初めの数日は物珍しく一つ一つ見ていた。しかし、店にあるものはどれも似たり寄ったりなので、その後は店に入ることも無くなった。
この記事のヘッダーの写真のように、ある店には布袋さんや仏陀のお面が売られていた。そういえば私も5年くらい前に、張りぼてでお面を作ったことがある。
北海道の実家に帰った時に、姉に頼まれて布袋さんとお多福のお面を作った。ネットで作り方を探して、けっこう苦心して作った記憶がある。うれしいことに、それらは今でも実家の玄関に飾られている。
右の布袋さんの顔は、立体的に見えるが私の写実的な画力(?)で、実際よりもかなり堀が深く見えるようになった。
つまり、ここで私は自分でお面お面作れるのだと自慢しているだけである。
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売られているお面を見ると、確かに心が揺らぐ。けれども、こういうおみやげは数年たてば旅行の記憶も薄れ、ほこりをかぶってしまう。思い出というゴミの一部になり、なかなか捨てられない。わが家が典型的老人の家と化してしまうだろう。
それは、いけない。
かといって、おみやげとして買ったとしても誰が喜んでくれるだろう。私には誰一人として喜んでくれそうな人は見つからない。食べ物以外のおみやげは、ほとんどの場合は買う人の喜びであって、もらう人にとってはただの不要な物、つまりゴミである。
50年前だったら話は違うだろう。めずらしい物を持っていることが喜びにつながる場合もあった。
それに私はこうしたクラフトを見る時には、”買う”という視点ではなく、 “作る” という視点をもつ。いつ描くともわからない自作の絵のモチーフになるだろうか、このような物を作って売ったら、案外商売になるのではないか、など。しかし、こんなことは思うだけで、実際にやってみることはほとんどない。
しかし、”作る” という視点をもつことは、非常に経済的である。写真を一枚撮っていつかネタにしようと思うだけで満足し、財布を開かなくても済む。
もしかしたら、創造性は最高の倹約なのかもしれない。
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広場に銅像が立つ
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この影絵人形も、心そそられたものの一つだった。けれども、似たようなものは日本の通販で売っているのを見つけた。今は、どこにいてもなんでも手に入る。
![](https://assets.st-note.com/img/1718315670484-RqCWAtxjac.jpg?width=800)
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