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アオハルに囚われ続ける

“遠回りする雛”、及びアニメ版“氷菓”の第21話である、“手作りチョコレート事件“。最後の、里志が奉太郎に思いを告白するシーンが、初めて読んだ日からずっと頭の中に残り続けている。
私は高校3年間、何不自由ない生活を送ってきた。多少高1の頃に鬱を経験はしたものの、高2以降はかなり精神状態が安定していて、今となっては高2の日々を神格化するところまで来ている。そんな私の高校生活というのは間違いなく青春であった。毎日ゲームや映像作品を嗜み、1週間に1回の頻度で友達を自分の家に招いたり、たまには一人旅や友達と遊びに出たりと、少し世間の“青春”という語義とは違う気もするが私は青春だったと思い、その日々を誇りに思う。
しかし私は、奉太郎達の青春には届かない。その煌めきに魅せられ、いくら手を伸ばしたとしても届かないのだ。こんなにも私は魅了されているのに、だ。
私は福部里志になりたいと思っていた。今の人生がかなり充実しているので、こんな、他の人にとって変わりたいという願望は今ではほとんど出さないが、それでも今でも福部里志になりたいと思っている。福部里志と折木奉太郎という2人は友達であった。しかし彼らはたまに遊ぶが、基本学校だけの関係であった。それなのに福部里志はあの場面で自分の本質であった諦念の感を吐露し、折木奉太郎は本気で彼に怒ったのだ。全てを推理した上で。だから私は福部里志を羨ましく思う。彼のせいで諦念の情を抱き始めた、という人間に自分の行動を全て見透かされた上で、これからの人生どう生きるかということをアドバイスされるのはどういう気持ちなのだろう。里志にとっての奉太郎の様な、そんな救世主でありながら憎むべき人であるような友達が私も欲しかった。
私はもう高校生ではない。しかし私は高校生の福部里志になりたいと思う。彼の青春を羨ましく思っているのだ。


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