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サム・ライミ版『スパイダーマン』のグリーンゴブリン、自殺説

最近、MCUを見返すついでの寄り道で、サム・ライミ版スパイダーマンも再履修した。

ノー・ウェイ・ホームの余韻をもう一度味わいたくてね。エンドゲームとかも込みでボチボチ進めているのでいつにのやら・・・。



早速本題なのだが、改めて『1』を鑑賞して、今まで気づかなかった新解釈が頭によぎった。

それは記事タイトルに書いた通り『ノーマンの最期、自殺だったんじゃね?』という考察だ。

改めて、グリーンゴブリンについて振り返ってみよう。


………………





説明めんどいのでウィキペディアで。

Fラン大学生の卒研みたいなコトしてすいません。


こんな感じです。優しい父親であるノーマンの中に生まれた凶暴な人格ですね。その残虐さから、自身をクビにしようとしたオズコープの役員たちを皆殺しにしようとするものの、スパイディに止められて因縁がーってのが大まかなあらすじでしたね。

今回話したいのが最終盤。廃墟の塔みたいな所で一騎打ちを始め、スパイディがボロボロになりながらもゴブリンを倒す。決着がついたと思えたが、ゴブリンはノーマンの人格に戻った演技をして、時間稼ぎを画策する。そしてスパイディが油断している隙に、背後からグライダーを加速。刺し殺そうとするも、回避されてしまいで自らに直撃。血を吹き出しながら息絶えるのだった………。


この一連の流れにある、ゴブリンがノーマンの人格を装う描写だが、もしかして本当にノーマンだったのでは?というのが、私の持論だ。

根拠としては、グライダーの挙動が不自然すぎるのだ。よくよく考えると、あの距離、あの配置、あの速度でグライダーを飛ばしてしまった以上、ノーマン自身が貫かれる結末は確定している。仮にあそこでピーターが避けきれなかったとしても、軌道や速度を修正する猶予もなく、ピーターもろとも串刺しになっていただろう。

ではゴブリンがピーターも道連れにして、自分も死ぬつもりだったのか。それも無いと考えている。ゴブリンの性格的に、スパイダーマン1人を殺せれば満足するような男ではないので、安々自分の命を投げ出すことは考えづらい。もっと言えばピーターはゴブリンを殺すつもりがないので、この戦いが終わった以降で復讐するチャンスはいくらでもあったはずだ。だからあの場は大人しく投降するなり、警察に引き渡された後で暴れ直すという手段が最適だったはず。

であればグライダーを操作したのは誰か。

そう、ノーマンだ。彼はスパイディにボコボコにされる中で意識を取り戻し、一時的に体の主導権を握ったのだ。そして、これ以上グリーンゴブリンの悲劇を生み出さないために、グライダーで自身にトドメを刺した様に映る。

そう考えると、時間稼ぎのための詭弁のように見える命乞いも、ノーマンの本心なのかもしれない。言ってしまえばあれは心の叫びであり、遺言なのだ。

印象的なのが以下のセリフ。

「私を│あいつ《ゴブリン》から開放してくれ!」

作中、ノーマンは優しい父親でありながら、自分の中に潜む凶暴な人格に怯え、苦悩していた。あそこでの訴えは、大きな力を持った事で同じく悩み続けていたピーターにこそ打ち明けられた本音なのだ。

無論、あの場でゴブリンの人格も同居していたとも考えている。仮にグライダー操作前後の言動が、全てノーマンのモノだとしたら、「さらばだ、スパイダーマン」の発言が悪人ヅラすぎるからな。おそらく、体の制御はノーマンだったが故、グライダーでピーターを殺そうとしていた事までは認識できていたものの、まさか自分に飛んでくるとは思っていなかった。だからピーターが避けた瞬間驚いていたのだと考察する。



今回語りたかった内容は以上だ。世間一般だと、「ハリーには言うな」の瞬間だけノーマン説が有力だろうが、今回見返した事で希望的観測が芽生えたので、この度書き起こして見た次第だ。まだまだスパイダーマンを語る余地は大いに残されているのかもしれない。



スパイダーバース3も控えてるしな!タノシミー



おまけ。AIに『グリーンゴブリン』で出力依頼したら、こんな画像が出てきました。

カッチョカッチョ


グリーンゴブリン・ノワールやんこんなの。



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