記念写真

甲子は鬼だ。マジの鬼だ。
赤い。
金棒を持っている。
時々人を食う。
そんな奴がなんで転校してきたのか分からない。
あっちの事情なのだという。
あっちっていうのは地獄のことで、最近善人が溢れかえってしまっていて、というかそもそもあっちに行く人の数自体が減ってしまっていて、どうも地獄的に商売上がったりなのだという。地獄にも経済は回っているんだと思ったことをよく覚えている。こうも死者の供給がないと関係者を現地に出向かせて調達してくるしかなく、後代の育成も兼ねてということで甲子のような奴が送られてくる。
釈然としない眼差しを送る私に、「まあ鬼だからな」と言い、溜息交じりに椅子にもたれた教師はこの前撲殺された。
ちなみに彼が選ばれた理由は特にない。
だって鬼だし。
そんな甲子だが、意外に生徒からの人気は高い。
性別は関係ないけど、甲子に向けられている感情が愛そのものかそれに近いものであるということは確かだ。
私もそれを抱く者の一人だ。
こういう時代に生まれた私たちだ。訳の分からないものを訳の分からないまま背負わされて、訳の分からないまま肥大した深海魚みたいに日々を送っていく、そんな鬱屈感に覆われた毎日を生きていくしかない、辛いとも叫べないような鈍痛の連続に、みんな気が滅入っていた。
そこに甲子は来たのだ。
のっぺりとした灰色の日常には、なにか中心となるものが必要だ。それをもとに生活の全てが意味づけられるような中心。
生の世界にそれを求めるのは息苦しさを倍増させるだけだ。いろいろなものが可視化されると同時にいろいろなものの底が割れてしまった今、生き生きとしたものを求めるなんて、ナンセンスという他ない。どこか別のところに中心を求めなければ。
甲子はその中心を与えてくれる。
甲子は死の実在を、その存在と(だって鬼だし)、正義や条理に脚色されていない圧倒的な、なまの暴力で示してくれる。そういう甲子の容赦のなさ、甲子の比類なさは、見ていると、なんというか、かなり、来る。
「甲子はさ」
屋上に寝そべった私は同じく寝そべった甲子に尋ねる。
「ノルマとかあるの」
飛行機が空に尾を引いている。
「ノルマねえ」
甲子は筋肉のみなぎった腕で青空を指す。
「あっちが怒るまでかな」
人類に神の慈悲が戻ってくるまでにはあとどのくらいの犠牲が必要になるのだろう。私はこれまで積み上げられてきた死体、そしてこれからも積み上げられるだろう死体の数を想像し、軽い眩暈を覚える。
「大変だね」
「まあ地獄だし」
鬼たちにとっても地獄は地獄なんだろうか。
「ちなみに何飲んでるの」
「鬼殺し」
ストローから口を離し、甲子は深く息を吐く。
「さて!」
甲子は傍に置いてあった金棒を手に取り、起き上がろうとする。目はひたと私に向けられている。当然笑っていない。甲子の撲殺が脈絡なく行われるのは、公然の秘密でもなんでもない。
私は逃げようとするが、甲子の誇るリーチから考えれば無意味なことは明らかだ。
タオルを肩にかけるような気軽さで甲子は金棒を振り上げ、私の脳天めがけた一撃を繰り出そうとする。
「あ」
木の枝を落としたような音が響く。甲子の頭を見ると、額に二つのピンク色の瘤ができていた。そこから血がどくどくと流れ始める。
「いけないいけない」
甲子は額にハンカチを当てながら、屋上を後にした。
残った私はアルコール飲料のパック(まだ残っている)を左手、甲子が落としていった物を右手に持って座り込む。潰されたストローの口を舌でこじ開け、残った中身を吸いながら、今さっきまで甲子の頭から生えていたその美しい造形物を鑑賞する。
そろそろ生え変わる時期だということはうっすらと頭にあったが、いざそれを目の当たりにするとあまりの唐突さにびっくりする。何回も目にしている光景なのに、だ。
これで何本目になるだろうか。もう棚は埋まってしまっているので、部屋の整理が必要になってくるだろう。同じように見えて、時期ごとに表面の艶や曲がり具合に変化がある。私が甲子の近くにいるのは、彼女が時々こうやってその時の瞬間を閉じ込めた記念写真を落としてくれるからだ。
私は鼻を当て、甲子の匂いを嗅ぐ。
あたたかい香りがする。



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