見出し画像

EnsembleGala後記①

人間暇になるとよからぬ事を考えるもので、あれやこれやと妄想やら謀略やらを思いつくものだ。私もその例に漏れず、2022年8月某日、アレによる自宅軟禁中で暇を持て余しすぎたがために、年に数回発生する衝動を起こし何かの間違いで生み出してしまったのがこの度の大感謝祭、もとい"Gala Concert"であった。軽い気持ちでやってしまった。反省はしていない。

1.発端

人間誰しも、日常的に想像するものではないだろうか。「自分の好きな曲だけで演奏会やったらどうなる」と。別にしない?あっそう。
少なくとも私にとっては、演奏会のプログラムを考えることというのは日常であり、日課である。いや日課は言い過ぎだが、年に数十ぐらいはプログラムを組んでいる。
断っておくが、それは演奏会を実現するためにやっているわけではない。ただ単に妄想しているだけだ。つまり趣味である。
しかし、である。私も最近になってわかったことだが、どうも自分の妄想通りの演奏会を実現してしまう人たちというのは存在するらしい。私の周辺にはそういう人たちが散見される。わりと。数年前まではそんな人たちがいるなんて知らなかったわけだが、最近そういう人たちと関わるようになり、何か「あてられて」しまったように思う。

え、人さえ集めたら演奏会できるのでは?

しかし、その妄想を実現するのもある程度の見通しがあり、出来る!という確信めいたものがあって、そこから始まる。そのために私自身地盤を固めてきた。いや、結果的に固まった、と言った方がいいかもしれない。
そこまでの話をさせていただく。

2.ナイジェル・ヘス

ナイジェル・へスという作曲家がいる。
吹奏楽の世界ではそこそこ知られた作曲家だが、すごくメジャーというわけでもない。本業は商業音楽の畑でテレビのための音楽や劇伴音楽を作曲している人である。
かつて私が母校のOB団体で指揮をしていた時、ナイジェルヘスの作品でコンクールに出場したことがある。彼のグローバルバリエーションという曲、それを指揮していた時にえも言われぬ高揚感を得たことがあった。そこから私はナイジェルヘス作品の虜となり、数年後、特に演奏する予定もないのに楽譜セットを購入しはじめ、出版されている全ての吹奏楽譜を揃えるまでに至った。
時期を同じくして、私は活動の中心を地元から大阪に移していた。移そうと思ったわけではなく、参加するところが大阪の団体ばかりになったので、結果的に移ったのである。
そして、大阪では演奏会の他にその日だけ集まって知る人知らない人と一緒に演奏する、いわゆる演奏オフが度々開催されていることを知った。私自身そこに参加する機会もあった。そんな中で、発想として生まれたのが「ナイジェルヘス作品を演奏するオフ」(以下ヘスオフ)である。
そして、2度延期をしながらも、へスオフを無事開催することが出来た。メンバー集めにもほとんど苦労することはなかった。そこで新しい縁も生まれた。ナイジェルヘス様様である。
意図していたわけではないが、へスオフは自主開催の演奏会を開く布石であった。演奏会の準備段階としてのへスオフが問題なくいけば、演奏会も上手くいくんじゃないかと考えていた。実際にはへスオフそのものが開催される前にホールは予約していたのだが、ひとつの自信となってそれが演奏会開催への力となったのは確かである。
ともかく、この演奏会とナイジェルヘスの関係は切り離せない。ナイジェルヘス神

3.メンバー募集

へスオフはTwitter上での公募の形でメンバーを募った。演奏会も公募の形をとろうかどうか、というのは正直迷ったところである。
私のポリシーとして、公募をするのなら、その中でどんな人が来ても受け入れて、かつ、時には理解を求め、また妥協をして、良好な空気を保つように努める。これがトップとしての責任だと思っている。
何のために集まるのか。もちろん音楽をするためだが、音楽のために感情まで犠牲にするのは違うと思う。一緒に集まって、楽しさを共有して、またお互いを讃えあう。そういう雰囲気の中にいい音楽があると信じている。ぼくは音楽ファーストだが、その中には、みんなが心地よい状態のなかで、一瞬一瞬を楽しみ合うことが出来る、という理想が含まれる。
そうして諸々を考慮した結果、今回公募という形を取らなかった。初めての団体運営でそうした人間関係上のリスクが伴うことがいちばん恐ろしかった。
とはいえ、クローズで声を掛けながら、時にはオープンにもして広く声をかけて行ったつもりである。そして出たいと自分から言ってくれた人たちは優先して参加いただいた。能動的に意思を表示してくれる人は本当にありがたい。
結果として、この演奏会でもへスオフ同様ほとんどメンバー集めに苦労することはなかった。私自身、大阪にバックグラウンドを持たない中で、かつ、大阪が活動拠点になって数年にも関わらず、こうやって多くの人に集まってもらえたことは驚きでもあり、本当に感謝の念に堪えないところである。

演奏会が終わってみて、完璧とは言わないまでも概ね良い雰囲気の中で終われたのではないかと自己評価している。60数名の人間がいれば合う人合わない人だっている。だからある程度問題が発生する覚悟はしていた。
でも、これは私が150人を超える大学吹奏楽部にいたから思うことかもしれないが、バックグラウンドも違えば考え方も違う、音楽への姿勢ももちろん違う、言葉を選ばないで言えば「嫌いな」人だっている、そんな中でも音楽としてはひとつの方向へ向くことができる。それもひとつの面白さではないかと思っている。もちろんこれは共感されようと思ってないし、考えを押し付けるつもりもない。
それが私の本当の気持ちであるが、団体のトップとしてリスクヘッジをしながらより良い形で演奏をするためには公募はハードルが高かった。私にとっては。
次があるかわからないが、もしまた同じような機会があれば募集方法については一考しようかと思う。

(続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?