足場がない!

「あなたはどうしたいの」

物心ついた頃から、何度母にそう聞かれただろうか。
私の母はいわゆる教育ママで、上のセリフは私の思考力・表現力を鍛えるためのものだ。
なぜこの遊びをしたいのか、なぜこのディズニープリンセスが好きなのか、なぜ、なぜ、なぜ
この教えによって、私は行動に必ず理由を求める傾向にある。
そのせいか、よく友達から「説明がうまい」「頭が良い」と言ってもらう。たしかにそう言えばきこえは良いが、裏を返せば自分が納得しなければ行動に移せない頑固者なのである。

物事には必ず理由がある。

私はこの言葉が好きだ。根拠のない自信や励ましより、原因に基づく結果の方がよほど信憑性がある。

しかし、世の中そんなに甘くはない。
誰がコロナによって世界が変わった理由を説明できる?衛生面?都市伝説レベルの陰謀論?
わからない。
2019年末のコロナ爆誕によって、当然のように享受してきた安心感は木っ端微塵に消え去った。
何十年先どころか、明日社会がどうなるかわからない。
私の親兄弟や、大切な人がいつ命を落とすかわからない。
誇大妄想じゃなくて、現に社会の不安を目の当たりにした。

怖い。わからないことが怖い。
理由をつけている暇なんてないほどにめまぐるしく変わる社会と、そこに飛び込んでいかなければならないことが怖い。
理由づけという足場をなんとか見繕って今まで生きてきた私にとって、この社会は断崖絶壁だ。

なんて、我ながら壮大な文章を、ガストの399円のドリアを食べながら打ち込んでいる。
ちっぽけな大学生は、意外と大きなことを考えている。あなたの隣にいる人も、あなたも、外からは楽しそうに過ごしていても、もしかしたら不安を抱えているのかも。