2023年に考えたこと
2023年を振り返ると、結果論、論理と感情、をよく考えた1年でした。
なかなかに生きづらい性質をしているけど、こういう考え方にしたらうまくいったよ という話なんですけど
自分の頭の整理のために書いてるだけなのであまり役には立たないと思います
私の文章で変われるような人はもう変われてると思うんで
へーーて読み流すくらいで読んでもらえたらなーと!
結果論について:ほどよくあきらめるということ
元々ASDの傾向があり(傾向がありますねと言われただけなのでちゃんと診断がおりたわけではない)こだわりが強く、かつ効率厨なので、プランが何かによってうまくいかないとかなりテンションが下がってしまうんですよね。
たとえばさっき前の人が改札で詰まらなかったら、前の電車に間に合ったかも、とか そんな小さなことから
お笑いで言えば賞レースこのネタじゃないほうがいいのかもとか
もう1回ライブでかければよかったのか みたいなこと
うだうだうだうだよく考えちゃうんですが
どれもほとんどが結果論で、電車が来ているかどうかは駅のホームにのぼってみないとわからないし、どうしたってその道を選ばなかったIFに戻りようがないし、「まあいいか」と意識的に思うようにしていました。
ある意味「諦める」とか「期待しない」とかに軸を置いていくんですよねこの考え方だと。論理から現実に切り替えていく。
そうやって自分の短気さをようやく乗りこなせてきたんだと思います。
この結果論というのはマイナス→ゼロだけではなく
プラスの側面にも働いていて
チャレンジしてみてうまくいかなかったとしても
それはやってみなきゃ分からないから仕方なかったよね じゃあやってみればいいじゃん と思うようになってきました。
お笑い始めたのもそうですね。
うちの会社でよく言われてるのはABテスト(Aの広告とBの広告を戦わせる)で、負けたことも次に活かせるから知見になるんだということなんですが それも応用できますよね。まあ当たり前っちゃあ当たり前か
まあええかってデカい声で言う。これです
論理と感情:自分と他人に共感すること
わたしの病理なのか、INTJというパーソナリティの特質なのか、共感がとにかく苦手でして、いわゆるデリカシーがない
友達に相談されてるとき最短での解決ルートを一緒に考えてるのに、うだうだなんかコイツ言い訳ばっかしてんな とか思ってしまって良くないんですよ
かといって自分の中の感情はときにコントロールしかねるほど暴れ出すことがある矛盾だらけの存在
どうしたらええねん?最適解見つけました。
論理と感情のバランス、を取ること。人へも自分へも。なぜなら世の中正解のないことが多すぎるから。
例えばのケースとして
・友達が「恋人に浮気された」と泣いてる時
論理的には 別れてまえそんな奴!!!
なんですけど(論理か?)
感情的には とはいえ情がまだあってつらい
という気持ちがあると思います
それは両方ともただしくて大事なことで、じゃあどうバランスを取って折り合いをつけるのかということ
そしてそのために、どこまでが事実(論)で、どこから感情なのかの線引きをしっかりすること
が必要なんですよね
なんか書いてて当たり前だなあって思ってきたんですけど世間の人はこれが普通にできてるのかい?
私は27年かかりました
あと2023年になって恋愛主体の人生をやめたんですけど
自分の機嫌のトリガーを他人にゆだねるのはダルいというのが論理で、
いっそ他人に委ねて情緒ムチャクチャな時が楽しいという感情も分かるっちゃわかる
ただ今回論理のほうにグッとスイッチを切れたのは、全身麻酔で一回死の擬似体験をしてこの世への未練が全部なくなったのも大きいと思います。全身麻酔まじでおすすめ。
感情にコントロールされそうになったときはどこまでが感情なのか整理してみてください
野菜はおいしいから食べるしね
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