実は他人を巻き込んでいた自尊心が低すぎる私の話
そもそも自尊心が低いとは
「自尊心が低い」という言葉、私達世代(20代~30代)で出てきた言葉のように思う。というのも、私達の親世代にはなかった言葉、概念ではないか。
「褒めると調子に乗る」と思い、褒めることはあまりして来なかった私達の親世代。それに対して恨み辛みを書いても仕方ないし、時代による考え方だったんだろう。
「褒めると調子に乗る」の弊害が「自尊心が低い」という価値観、概念を生み出したように感じる。
様々な解釈があるようだが、私は「自分を大切にする気持ち」と定義しておく。
私の自尊心の低さ
私は自尊心の低さを簡単に説明する。
例えば、何か良くないことが起こったとする。誰かに嫌なことを言われたとか、乗りたい電車に乗れなかったとか、歩いていたら人にぶつかられたとかそんなことだ。
おそらく、自尊心がそれなりにある普通の人は、
「嫌なこと言う、あの人は嫌な人だ」
「乗りたい電車に乗れなかった!最悪だ!」
「ぶつかってきた人が悪い。嫌だなぁ」
と思うところを私の場合は
「私が嫌な目に遭うのは当然だ。何故なら私がすべて悪いからだ」
と思っていた時期がある。すべての事象に自分の責任があると思い込んでいた。
「嫌なことを言われるのは私がきっと嫌なことをしたからだ」「乗りたい電車に乗れなかったのは私がモタモタしていたからだ」「人にぶつかられたのは私の歩く位置が邪魔だったんだろう」
相当やばい。そして、悪いことにこれを口に出すことはなかった。
「こんなことを言って相手を困らせるなんてとんでもない」
「ぜんぶ私が悪いからこんな目に遭うんよね」と言っても「そんなことないよ~」と大多数が苦笑いで答えるだろう。なんて無駄な時間。「こんな私」のために無駄な時間、気を遣わせるなんてとんでもないと思っていた。もしかしたら、このことを人に話していれば、「その考え、相当やばいよ」と言って貰えたかも知れない。
誰にも言わなかったが故に、この自尊心の低さが露見せず、むしろ不幸を受け入れて当然のように思っていた私の態度は、一見かなりのポジティブに見えていたことだろう。
とにかくこんな塩梅で自尊心が低い時代を過ごしてきた。
夫に対して
夫とは十年ほど付き合っていたが、結婚するまでは
「きっと別れるなら私が捨てられる方だな」
「私よりいい人たくさん居るのに変な人だな」
と思い続けていた。失礼な女だ(笑)
結婚前の当時、一緒に居て楽しいし、ずっと過ごしていたいと思っていたが、「彼はいつでも私から離れることの出来る選択肢のある人間」という認識をしていたため、いつかきっと離れていくのだろうと思っていた。
そして夫も夫で、そこまで自尊心の高い人間ではなく、そう思う私に、「そんなことないよ!君は素晴らしい唯一無二の女性さ!」というポジティブ爆弾は投下しなかった。彼自身、ポジティブ爆弾が響かない人だからだろう。
投下されたところできっと私の心には響かなかったと思うが。
子供が生まれて
さて、十数年の付き合いのある夫ですらこうだった私だが、妊娠して「さすがにまずいな」と思っていた。
別の話になるので割愛するが、20代くらいから自尊心が低いことを自覚し、なるべく上げるように努めようと思い始めていた。
学生時代に比べれば、少しは上がった自尊心。子供も産まれる。これからはもっと上げていかなければ。そう思っていた。
息子が生まれて、ある日のこと。
私に向かってハイハイをしながら、嬉しそうにこちらに来る息子を見て、夫がこう言った。
「お母さん大好きなんだねぇ」
そこで私は何も考えず、
「そんなことないよ…多分一番一緒にいる時間が長いからじゃないかな」
と答えてしまった。
言った瞬間に思った。
あ、やってしまったな。と
私は児童心理学を学んでおり、愛着理論を知識として知っていた。
私は息子にとって、アタッチメントを形成するための対象者であるという自覚をしていた。
養育者であれば対象になるという理論の内容だ。
「私だからじゃない」「時間が長ければ誰でも対象者になり得る」
この理論が正しいとか正しくないとかはどうでも良く、この時の私は自分の自尊心の低さに息子を巻き込んでしまったことに酷く後悔した。
ああ、ダメだ。何も変わってないな私。
他人を巻き込んで不幸にしてしまう自尊心の低さ
この事件をきっかけに、私は誰も巻き込んでいないと思いこんでいたが、今まで多くの人を私の自尊心の低さで傷つけていたり、巻き込んでいたことを自覚した。
不幸を受け入れて、私だけが不利益なら、事は私だけで完結していると思っていた。
しかし違った。人からの好意を素直に、正確に受け取れるだけの自尊心という受け皿が形を成していなかった。
相手が大人で、自尊心の低い私に嫌気が差したのなら、その人は私から離れるだろう。その選択肢がある。
ただ、息子はどうだろう。親は選べない。息子にとって、自尊心の低い母親という事実はどうしても、息子からは変えることは出来ないし、離れることも難しい。
妊娠当時から「まずいな…」と薄々感じていた問題が露見した瞬間だった。
変わらないと。
少しずつ変わった自尊心
低かった自尊心は、まずは自分の自尊心はどん底まで低いという自覚を持つようになった。
意図的に自虐するような言葉を脳内で反芻することも辞めた。
もし脳内で無意識に反芻するようなら、言葉にして夫に否定してもらうようにした。
単純だが、このようなことを繰り返したある日、変化が起きた。
里帰り中にガルガル期で深く大げさに脳内に刻まれた両親からの嫌味を脳内で反芻していた時だ。(褒めることをしない世代なので両親にあまり罪はない)
「あ~、息子にはああいう物言いはしたくないな…」
と思った瞬間、ふと閃いた。
あれ、もしかして…私がこれまで辛い目に遭ってきたことって、その分息子に優しくなれるためのものだったのかな?
こう言われて嫌だった。そうであれば、自分は言わないように気を付けよう。私が無条件で受け入れてきた不幸、全部ぜんぶ意味があったのではないか。その不幸をそのまま息子に渡さずに済むなら、こんな嬉しいことあるだろうか?
そこまで考えていた。あれ、なんだ。結構自尊心上がってきたんじゃないか?私
と少し自信までついてきた。
親子という関係
息子という人間に真剣に向き合い続ける育児に携わり、自尊心の低さを自覚することが出来、それにより被害を被る可能性についても考えることが出来た。
親子という関係はそれだけ特別なのだ。
どちらにとっても、離れることのできない関係。
だからこそ、気をつけるべき関係。
最近では笑顔で「かーか」と呼んでくれる息子を1日100回くらい「好き好き~!」と言って抱きしめている。
お母さん、これからももう少し自尊心を上げるべく、頑張るね~
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