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曲① 銀杏BOYZ/もしも君が泣くならば

GOING STEADYの「もしも君が泣くならば」も「MY SOULFUL HEART BEAT MAKES ME SING MY SOUL MUSIC」も聴いたが、銀杏BOYZ版の方を先に聞いてしまったということもあるのでこちらで書こうと思う。

「君が好き」を題材とした音楽というものはもうかれこれ何十年と生まれ続けており、世の中からそれを消したら7割くらいの音楽はなくなってしまうのではないだろうか。10代中盤から始まった鋭利な思考は年々尖りを増していき、17歳となった時、もはや突端を折るしか術がないところまできていた私にとってラブソングというものは嫌悪の対象であった。今でも少し忌避している節があるが、あの時よりは受け入れているような気がする。

銀杏BOYZの曲は「君が好き」「君の好きな人が嫌い」「女が嫌い」「自分が嫌い」「全てが嫌い」あたりで構成されていると思うが、特に「君が好き」を歌ったものが多いだろう。
アルバイトに向かう路程で、暗鬱な想念に耽ってしまうのを抑えようと私はノイジーな音楽を聴くのだが、ある日『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』を聴きながらアルバイト先に向かっていた。いつも峯田の歌を聴くときは、自分の代わりに叫んでいるんだと思っていたが、自分に向けて歌ってくれていると思いながら聴こうとこの日は意識を変えた。私は一時的に両性具有となった。

誰も君のことを悲しませたくない

誰も君の泣き顔見たいなんて思ってない

胸の中にある気持ちを決して恥じる事はない

人間なんて誰だって駄目なんだ

鳥肌が立ち、涙がこぼれかけた。なんと私は容易いのだろうと思ってしまったが、17歳頃から続く不安や焦慮を抱えている身を踏まえると、妥当な結果なのかもしれない。「誰も君の泣き顔をみたいなんて思ってない」の「思ってない」を崩すことで、メロディーに乗せるより歌詞が素直な言葉として伝わってくる。峯田は俺の泣き顔なんて見たくないと思ってくれているのか。なんて歩きながら思ったりした。
「人間なんて誰だって駄目なんだ」という一般論みたいな言葉のはずなのに初めて聞いた様な衝撃を受けた。全ての歌詞が私を支えているような気がした。峯田が私と肩を組んで、前のめりで叫んでいるように思った。

もしも君が泣くならば 僕も泣く

もしも君が死ぬのなら 僕も死ぬ

もしも君が無くなれば 僕も無く

もしも君が叫ぶなら 僕も叫ぶ

峯田の歌詞は語気が強かったり大層な事をいっている節があるが、どれもこれも頼りない。若者の持つ世間知らずさと衝動とが併呑されて生まれる頼りなさ。その弱さこそが峯田の歌詞の素晴らしさだと思う。
私が死んだら一緒に死んでしまうなんて、きっとその場面になったら結局やらないのだろう。虚勢を張る為にでっちあげた脆弱な言葉なのだろう。それでも、この儚さが私の暗く重たい感情を一緒に支えてくれたのである

恣意的な文章となった気がするが、曲なんてそれぞれの解釈があっていいだろう。最近になって良い曲だったと思えた事は確かである。アルバムはこのまま「駆け抜けて性春」「BABY BABY」とGOING STEADYの曲をシームレスに続けるというアツい流れとなる。

GOING STEADYの方にあったラスサビ後の叫び声がなくなったのは悲しいですけど。

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