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癇癪玉『出会』①

「私が紹介するのは『家畜人ヤプー』という小説です。あらすじは・・・。つまり、書かれているのはサディズムやマゾヒズム、汚物愛好といった性的倒錯と白人至上主義及び女尊男卑の蔓延る差別の世界です。しかし、単なる性衝動を煽る猥本や差別思想をばら撒くプロパガンダとはなっていません。私が思うこの本の真価は、共同体における常識や価値観の存在を感じさせない点です。対立項に置くことすらしないのです。故に、衝撃であり、受け入れ難く、素晴らしい。人の人格を変容させるほどの力がこの小説にはあって、私も影響された者の一人です。ぜひ、皆さんも読んでみてください。以上です。」

2年A組の教室は彼の発表に対してどのような反応を示すべきか難儀していて、まばらな拍手がそれを物語っていた。
毎週金曜日、帰りのホームルームで行われる、出席番号順に1人づつ自分の好きな小説やマンガを発表するオススメ本紹介の時間は、私にとってひどく退屈な時間だったのだけれど、今回の発表はなかなか面白かった。

高橋光輝。私の左隣の席の男。いつもニヤけている、というか気味の悪い作り笑いを顔に貼り付けている男。彼がまさか、こんな面白い人物だったなんて気づかなかった。
いじめ、なんていう大層な代物ではない。単にクラスの中で浮いているというだけだ。そりゃあ、クラスつまり共同体に参加しようとしない無責任な人が無視されたり、悪口を言われたりするのは仕方がないってもんだろう。私には彼の姿勢が少し羨ましいけど、彼はもっと上手な身のこなし方を覚えた方がいいと思う。

そんな事を考えていると、発表していた教壇から降りて、悠然とした足取りで彼が戻ってきた。

迷う。話しかけてみたいけど、拒絶された時のことを考えると、リスクが高くないか?こんな、言っちゃ悪いが、イケてない男に話しかけて拒絶でもされた日には私の自尊心は深く傷ついてしまうだろう。どうしようかな。

「ねぇ。みんなの顔みた?唖然としてたよ」
努めて馴れ馴れしく、平然と話しかける事に集中した。

「えーと。君は確か、、、」
彼は少し首を傾げ、手を顎に添えて考え込む動作をする。

「えーと、、、佐藤恵理。一応、一年生の時も同じクラスだったんだけど」
まじか、こいつ。いや、自分を演出するための嘘かもしれない。しかし、これでは私が一方的にアプローチしている様で癪だ。

「あー!ごめん。最近、物忘れがひどくてさあ。佐藤さんか」
彼は取り繕うように笑い、申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「ははは。まあいいよ。でさ、何であんな発表したん?」
物忘れ、か。つまり、人の名前を覚えていない、いわば無関心であるという姿勢を、一応は失礼なものとして認識はしているんだ。そして、それをユーモアで緩和しようとしている。

「もちろん、みんなにオススメしたい小説だからだよ」

「えー?本当に?」
全く捉えようのない男だ。表情がびくともしないし、声から感情が読み取れない。良く言えば底が知れない、悪く言えば気味が悪い。

「本当さ。現に貸し出せるように、ほら、全巻、持ってきているし」

「じゃあ、貸してくんない?私が読み終わったら一緒に話そうよ」
カバンから5冊の本を取り出し、机の上に積み上げる所作、私の質問に対する流暢な返答。そのどれもが芝居がかっていて、彼の本心が見えてこない。これは彼のシナリオ通りなんだろうか。

「うん。いいよ。楽しみにしてるね」

私が彼に話しかけたのは、実を言うと彼が話しかけて欲しそうだったから。あの発表で、はじめて自己を開示してくれた気がして、それに私だけが応えることが出来る、しなくてはいけない、そう思った。でも、本を借りることはできたけど、また彼は作り笑いを貼り付けて、ニヤニヤしているだけで、目も合わせてくれなかった。ふざけんな。

気になっている人について知りたいならその人の所作を見れば大体のひととなりが分かるというのが私の持論だ。人柄は所作に現れる。歩くという行為だけでも十人十色である。
例えば、今、前から歩いてくる男子。周囲をキョロキョロしながら少し蛇行して歩いている。足と手が連動せず、まとまりがない。まず人の目を気にしていたらこんな歩き方にはならない。自分の興味関心に夢中になってしまうタイプ。マイペースで好奇心旺盛。そんなとこだろう。
次に歩いて来たのは、小股とも大股とも言えない歩幅で、速いとも遅いとも言えないスピードで、真正面を見据えながら、気味悪く微笑みながら歩く男。

「おはよう」

「おはよう。佐藤さん」

あれから挨拶するぐらいの仲にはなったが、そこから進展はない。別に彼との仲が進展しようとしまいとどうでも良いが、しかし、彼の発表を聞いた時、何となく興味を惹かれて話してみたいと思った。いっときの気の迷い。ただそれだけなんだけど、今日もこうして彼の所作を眺めてしまう。今日こそ彼の本当の部分を見ることが出来るんじゃないかと思って、その時が来るのをずっと待っている。

私には話し相手が一人(?)だけいる。それは飼いネコのピーちゃんだ。いつも泥酔しているジジイがパチンコで得た泡銭でペットショップから買ってきた。深夜に突然叩き起こされて、馬鹿みたいに大笑いしながら右手で子猫の首根っこを掴んでいた光景を今でも覚えている。「名前は?」と聞くと「ピーちゃん」って言ったんだっけ。
もちろん、翌朝になってあのジジイがそんなことを覚えているわけもなく、当然の成り行きとして私が世話する羽目になった。母はいない。小さい頃にはいたらしいけど、ジジイに愛想尽かして私を置いて出て行ったらしい。なんで私を連れていかなかったんだろうと考えるたび疑問に思うけど、きっと私が可愛くなかったからだろうな。そういうことでいつも納得している。
ジジイとまともな会話ができる筈がないのでネコと話すしかないというわけだ。窓ぎわに丸くなって日向ぼっこしているピーちゃんを眺めながら思う。ピーちゃんは多分、わずかな残飯しか食ってないからもうじき死ぬんだろうな。ネコは食べさせちゃいけない物が多くて困る。確か、玉ねぎをあげちゃダメなんだっけ?チョコもダメだった気がする。あっ、でも、ジジイがパチンコの景品で持ち帰ってきたブラックサンダーをあげてたなあ。てか、酒もあげてたなアイツ。まあ、、、いいか。

私はピーちゃんの、肋骨が浮き出て毛と皮だけのお腹に顔をうずめて話しかける。
「お前、子供は産まないのか?ていうかメスなの?オスなの?」
猫は黙って、そっぽを向いたままだ。
「メスならさ、子供、いっぱい産めよ」
猫は目を閉じて、けだるそうに寝ている。
「そうすりゃ、私もジジイも寂しくならないからさ」
猫は起き上がって、面倒くさそうに向こうに行ってしまった。

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