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癇癪玉『結末』④

ジジイが「寒い、寒い」と言って、窓ぎわで丸まっている。両手で自分の肩を抱いて全身の震えを抑えながら歯をガタガタと鳴らしている。どうやら酒が尽きたらしい。買う金もないのだろう。
こんな光景は日常茶飯事なんだけど、どう言う訳か今日は少し心配になって、
「死にそう?死ぬ?死なないよね?おい、おーい。」
私はジジイの肩を揺らしながら問いかける。
「おい?おい!何とか言えよ。おい。」
ジジイの手は、乾燥していて、しわくちゃで、それでいて、冷たかった。
「私、学校に行ってくるよ。ねえ。聞いてる?」

「行くな。」

「行くなって言われても、今日は、今日だけは行かなくちゃいけないの。まあ、喋れるなら大丈夫でしょ。行ってくるね。」
ジジイはゆっくり目を閉じて眠ってしまった。眠れば良くなるだろう。そう自分に言い聞かせて、得体の知れない不安を心の底に押し込めて、私は学校へと向かう。

「今回紹介するのは・・・。物語を終わらせることは非常に困難なことです。作者にとって物語の結末は一つの通過点でしかありませんが、読者にとっては完全に断絶されてしまう終点なのです。それ以上、読んだり、見たり、聞いたりすることが出来ないという絶望は計り知れません。ですから、読者は結末にこだわる。素敵で、明るく、完璧な結末を望んでしまうのです。
本作はこの作者と読者のすれ違いに焦点を当て、一種のメタ表現を用いて新たな結末の形を目指そうとしている点において革新的な表現が為されている面白い作品です。皆さんもぜひ一度読んでみてください。以上です。」

光輝の発表は相変わらず面白い。

「どうだった?」
「面白かった。特に最後の、結末に対する作者と読者のすれ違いに関する考察が良かった」
「本当?嬉しい!作者が読者からの結末に対する並々ならぬ要請に対して過剰に反応しすぎると、急激なハッピーエンドとか、夢オチとか爆発オチとか、突っ走ってしまうことがあるんだけど、これらは苦肉の策なんだよね」
「夢オチとか爆発オチっていうのは、物語全体を一段、階層を下げる行為だと言える。なぜなら今まで現実のものとして描いてきた物語を嘘だと白状する行為だから。つまり、・・・」

今日の光輝はやけに饒舌だ。
私の理解が追いつかなくなるほどの速さと熱量で話す姿は新鮮だ。その理由を考えていると、ふと、昨日の光輝との会話を思い出した。

「今日さ、僕のうち来る?」
昨日の帰り道。ふと、光輝が発した言葉に私は耳を疑った。
「今、なんて?」
「いや、僕のうちに来る?って聞いたんだけど、、、。嫌かな?」
うん、行く!と、喉まで出かかった言葉を飲み込む。そんな風に飛びつくのはカッコ悪い。それに、今日言われて今日付いていくなんて、なんだか尻の軽い女みたいじゃないか。別にどうでも良い男だったらそれでもいいけど、、、。光輝にはそう思われたくない。
「あっ、うーん、、、明日じゃ駄目?」
「いいよ!全然いいよ!じゃあ決まりだね。明日、楽しみにしててよ。」
光輝はそう言うと手を振りながら、私の進行方向とは反対の道へ、軽やかに歩いて行った。

「光輝、どこ行くん?」
帰りのホームルームが終わって、いつ帰るのかなと内心、ソワソワしていた私は教室から出ていく光輝に問いかけた。
「ああ、トイレに行ってくるね。そのリュック、盗まれないように見といてくれるかな?」
「誰も取らないと思うけど、、、分かった。いってらしゃい。」
「よろしくね。」
教室を出ていく光輝の後ろ姿を見送って、ハーと、私は大きく息をついた。

相変わらず光輝は四六時中笑みを浮かべているので、周囲から気味悪がられていた。だけど、今日はその笑顔が自然に感じて、本心からの笑顔であるかの様に見えた。そしてそれは何か意味ありげな笑顔に見えた。なんだろう。サプライズをしようとワクワクしている人の笑顔?何か楽しい、面白いことが起こるのを予感している人の笑顔?

今日は初めて光輝の家に行く日。
もしかして。いや、まさかな。

私は緊張と期待と焦りと高揚感がごちゃ混ぜになったよく分からない気持ちで光輝の帰りを待っている。

もうすぐ4時になる。そろそろ終業のチャイムが鳴る頃。

私はふと気になって光輝のリュックを開けてみる。そこには一冊のノートとビニール袋に包まれた何かがあった。
私はまず、ノートの中身が気になって端っこが折られたページを開いてみた。

添付資料
https://docs.google.com/document/d/1CmUc54MeZxDTBPXDFbwGShv1VitdpLVcT_wgEJYYnL4/edit

チャイムが鳴った

空に震え
窓が鳴き
赤に浸し
黒が散り
夜に沈み
星が溢れ

チャイムが止んだ

戻ってきた光輝は、地面に転がる砂利とガラスと散在する血溜まりと肉塊を気にすることなく私に向かって歩き、息が絶え絶えで朦朧状態の私に語りかける。

「爆弾を作る為には爆薬が必要だね。でも、爆薬を用意するのはハードルが高く、一般人には入手困難。そこで私は火薬を使うことにした。」

思えば光輝には顔がなかったなあ。

「火薬と爆薬の違いとは何か。それは、反応速度の違いにある。そもそも、燃焼という現象を短時間に起こすことで一気にエネルギーを放出させるのが火薬や爆薬。単に可燃物を持続的に燃焼させる方が生み出されるエネルギーの総量は多いが、それでは心躍るような膨大な瞬間的エネルギーは生み出せない。火薬や爆薬の真価は空気を必要としないという点にある。酸素を供給する物質と可燃物が熱伝導もしくは衝撃波によって瞬時に反応するために空気に触れていなくとも良いんだ。そして、火薬に比べ爆薬は反応速度が速く、音速を超えるため、衝撃波を生む。反応速度が速ければその分、大きなエネルギーが生まれ、威力が高くなるわけ。」

思えば光輝は足がなかった。

「例えば有名な爆薬であるニトログリセリンは分子の中に可燃物と酸素を供給する物質の両方を併せ持つことにより反応速度が速く、威力も高い。対して、花火などに使われる代表的な火薬の黒色火薬は可燃物として硫黄と木炭が、酸素を供給する物質として硝酸カリウムが使われおり、ニトログリセリンに比べて反応速度が遅く、威力も劣るんだ。」

光輝は腕がなかった。

「しかし、黒色火薬でも爆弾として使えるほど威力を高める方法がある。それは、圧縮すること。火薬は燃焼速度が遅いため、どうしてもガスの圧力つまり『爆圧』が高くなる前に四散してしまう。そこで火薬を強固に密閉できる圧力鍋やパイプのなかで燃焼させ、限界まで爆圧を高めた上で破裂させることにより威力を高めることで爆弾とする。圧力鍋爆弾やパイプ爆弾がこれにあたり、比較的安価で容易に作れてしまうことからテロなどによく用いられるんだ。」

体がなかった。

そういやそうだった。光輝は私だった。

結末はこれが正しかったんだろうと思う。私が作り出したあの光景を、チャイムが鳴っていたあの刹那を、一緒に見たかったけれど。

「そんな笑顔、はじめてみたよ。」
光輝が一瞬、悲しそうな顔をしたように見えたけど、たぶん私の幻想。だって、彼はもう私の中にも、どこにも、いないのだから。

「物語は悲劇であった方がいい。安易なハッピーエンドなんて陳腐なだけだよね。それは、面白くない。読者はいつも登場人物が傷つくことを求める。私達が苦しみ、痛みに喘ぎ、絶望する結末を願っているのだからね。」

これでおしまい。

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