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this is us ファイナルシーズンを迎えて

三年くらい見続けたドラマがついにファイナルシーズン
※以下ネタバレ注意

自分の人生にいろんな示唆を与えてくれたドラマなので記録に残します


シーズン4くらいまでは、主人公たちの人間らしさが愛しくて、ドラマを見ると自分の人生のいい記憶だけを振り返ったような気持ちにさせてくれて、そこが好きだった。

ただシーズン5からは、顔を背けられない、生々しい感情と対面するシーンがちょこちょこ出てくる。

克服したはずのコンプレックスが、心の奥底から這い上がってきて大事な人を傷つけたり、
自分では気付けない自分のエゴを人に非難されて深く傷ついたり、

善く生きようと思ったら、傷つき悩むことからは逃れられない。
それを人は勇気ある行動と称賛するんだろうけど、渦中の本人はとても辛い、、

ドラマの主人公たちは、勇気もポジティブさも賢さも兼ね備えた聖人君子ばかりではない(一部そのケがあるキャラクターもいるはいるけど)


完璧じゃない凹凸だらけの人間が、最初は「家族」で補いあい、その家族が、他者を巻き込みながら歴史を重ね、最終シーズンでは屈強な「ファミリー」に成長するという物語(だと思ってる)

話が複雑で多岐に渡るので、概略だけ伝えても何も伝わってないに等しいんだけれど、キャラクター一人一人について語るだけで一晩飲めるくらい、細部まで作り込まれた作品です


歳を重ねると、、なのか、元々自分の素質としてあったものが、社会的人間としての自己肯定感が手伝って表に出てきたのか、よくわからないが、
ここ二、三年は、他人を許せなくて、認められなくて、そして他人を"理解できないこと"で、自分が苦しみ縛られることが多くなった。
(ドラマの主人公でいくとランダルかな)


みんな夜になると眠るんだ。地球上にいる人みんながね。...1日の終わりには同じように眠る。...そうやってよく考えてみたら、きっと他にも共通点があるよね。悲しい出来事とか何か嬉しくなるような出来事が。
this is us シーズン2 デジャの言葉


自分と合わない人や、小さく見える人でも、少し視野を広げるてみると、自分とは本当に小さな違いがあるだけ。

シーズン6で初めてジャックがレベッカを、親友のミゲル(のちにレベッカの夫)に紹介するシーンがあった。
その時のミゲルの、大げさで、テクニカルなコミュニケーション表現に、レベッカは顔を歪める。

レベッカ「なんで貴方は、みんなの名前を呼ぶの?『やぁジャック、やぁレベッカ、よぅマイケル!元気か?』って。鬱陶しいし、いい気分がしないわ」

ミゲル「これは営業のスキルなのさ。名前を覚えやすくなるし、大半の営業先からも実際に好かれる」
レベッカ「わたしはその大半には入らないからやめてね、『ミゲル』」

お嬢様育ちのレベッカからしたら、ミゲルのテクニック頼りのコミュニケーションや、自分を大きく見せようとするパフォーマンスがさぞ卑しく見えただろうが、後からわかるがミゲルは、プエルトリコからの移民で、アメリカに溶け込もうと必死だった。どこにも居場所がないと感じ、自分が何者かもよくわからなかった。でも、プエルトリコの両親を守るためにお金は必要だった。

立場やバックボーンの違いを、理解することは難しいけれど、でも想像することはできる。

人は、自分の外堀を固め始めると、この想像力を失いがちだ。

そこに改めて警笛を鳴らしてくれたこのドラマは偉大だ。

そしてこうして振り返ると、人は一人では不完全なんだと、改めて思う。
レベッカはジャックやミゲルに多くを気付かされたし、ランダルも賢く美しい妻と、幼い頃から物事の真理を捉えているデジャに、成長させてもらっている。

そういえば、このドラマの感想を話すときに、自分が一番共感する主人公は誰かというのはお決まりだと(勝手に)思ってるのだけど、
わたしはやっぱりランダルだと思う

ランダルの男性的な考えや行動は理解できないところも多いから、ランダル100というわけではないけれど、かといって残り20〜30に入れたい程、自分に似ている女性主人公がいない。

あえていうなら、感情的でネガティブなときのレベッカか、、

ランダルの、正しい行動をしようとして行き詰まったり、相手にも正しい行動を求めようとしたり、自己中心的な物事の決め方をするところが似ている。
そして、ケイトやデジャの素朴な優しさや慈しみに癒されたり、妻のベスのような女性に勇気づけられ、憧れるところが似ている。



早くあらゆる友人にこのドラマを見てもらって、感想を言い合う会がしたい
ので、よろしくお願いします。

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