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キャンパスから外へ

「大学生はキャンパスに行けば出会いが転がっている」

僕が入学する前、良く耳にしていた言葉だ。その出会いはある程度まともでありたい者にだけ訪れるものだ。
恋愛が上手くいかなかったり、こじらせたりする者には訪れない。
仕事が終わって家とは違う方へ帰る人、ギラギラした街に向けて足を運ぶあの人のことも知りたい。気づけばそんなことを思ってキャンパスから街へ出ていた。
街の男女の多くは常識から大きく反れた日を求めていた。
その日だけはプライド、論理や倫理観など必要ないのだ。
誰かと一緒に過ごしたい。それだけ。
さてキャンパスで築く人間関係の中で、こうした態度で向き合い続けることはできるのだろうか。僕はノーだと突きつけたい。
多くのサークルやゼミのコミュニティは「常識に沿った節度のある行動」を求められる。そのレールから外れたなら、迫害を受けるだろう。
それくらいコミュニティは相互に監視し合う力をもっている。その迫害はより一層強烈なものに仕立て上げる。
そうした状況でキャンパスで出会いがないなら、マッチングアプリが適正ではないかといった考えがある。
コミュニティとは違い、1対1で関係値を構築できるのでは。
「自分らしく繋がれる」
「趣味でつながる」
「私からいいねしました…」
動画広告は男女の出会うことへの期待を膨らませ、結果マッチングアプリは、出会いのSNSとして確立している。男女問わず、そこで繰り広げられる激しい競争に身を置き、勝ち続けなければならない。コスパで恋愛を考えるように考える男女間でそれは幸せだと言えるのだろうか。
皆、窮屈な現実から逃げたくて部屋を出る選択をしているのだろう。街にさえ出れば状況が好転してくれると信じているのだ。
友達に馬鹿にされたって良い。周囲から嘲笑されようと、その先にあるワクワクする人生を求めている。
規律などない。恋人になったって良い。仲良くして恋に落ちても他人になることがあったっていい。
2年間過ごしてみて街にくる人々を観察し、幸せとは何かを模索している。


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