見出し画像

僕が走らないのには理由があって…

「えっ、走らないんですか?」

そう聞かれることが多くなった。最近は時間を問わず、街でよくランナーを見かける。彼らは、軽快かつ細やかなハンドリングで街を走り抜けていく。そんな姿を横目に、半ば羨ましいなと思いつつも、今に至るまで僕はランニングをしていない。

理由はいくつかある。まず、運動がきらいな子供時代を過ごしたこと。体育の授業のバスケやサッカーの試合に漂う、あの独特のヒエラルキーや空気感が嫌いで、高校時代のほとんどは体育館やグラウンドのすみっこで、授業をサボって雑談に花を咲かせていた。その結果、むしろ体育の時間は好きだったのだが、運動は相変わらず嫌いだった。

ただ、そのことだけが理由ではない。

僕がランニングしない最も大きな理由は、音楽をよく聴けないからだ。

その理由を説明する前にあるMVを紹介したい。

これはASIAN KUNG-FU GENERATIONによる主題歌「ソラニン」のMV。このMVでは、ビルや河川敷など日常の景色が、非日常のライブと対比されるように挟み込まれている。日常パートでは、ボーカルの後藤正文は歌を口ずさみながら、川沿いを歩く。このシーンは当時、一部の間で真似され、それは「ソラニンごっこ」と呼ばれていた。簡単に言えば、「音楽を聴きながらちょっとカッコつけて川沿いを歩くこと」なのだが、誰しもが一度は、このMVの後藤正文のように歌詞の世界と日常の風景をクロスオーバーさせつつ物思いにふけるという行為をしたことがあるのではないだろうか?

僕はランニングをしない代わりによく音楽を聴きながら散歩する。その時、「散歩するために音楽を聴く」のではなく、「音楽を聴くために散歩」をしていると思っている。音楽を聴きながら、その曲の歌詞のことを考えながら、それに似合う景色やモノを探している。これがランニングになると、どうしても音楽に全集中できなくなってしまうのだ。

もちろん、走ると音楽のBPMと歩幅が合わないこと、また、シンプルに交通ルール的に危ないなどもある。ただ、それが全てクリアになったとしても、ふと道端に生えている植物だったり、雑居ビルの屋上の都市ガーデンだったり、そんな街の機微をみながら、一番楽曲にあう風景を探すこと、それによりその曲の持つ世界をより深く理解することが何よりも優先度が高いのだ。

だから、僕は走らない。

(後日談)

ここまで書き終え、夕飯にピーマンの肉詰めを作るため、スーパーへ買い物に行った。高架下にある行きつけのスーパーには看板がない。だから正式な名前を知らない。Google mapで調べても「生鮮食品」という名前で登録されていて結局のところよくわからない。そのお店に通うのは、単純に食材が安いからだ。

店に入って、ピーマンをカゴに入れた僕の目にふと止まった「本日のバカ値」のコーナー。そこに並べられていたのは1本100円の大量の大根だった。値段の割に異様な大きさと存在感を放っていて、思わず買ってしまった。

そして、ひき肉も忘れずにカゴに入れ、会計へ。会計を待つ間、レジの脇に並べられていた大量の野菜の空きダンボールを見ると、そこには「三浦産だいこん」の文字があった。

その日は本来、ハーフマラソンの応援で三浦半島にいる予定だった。そして、その大会では、ランナーへの参加賞として三浦の大根が配られる予定だった。ただ、昨今の状況を考え、運営本部が大会中止の判断をした。

もしかしたら、それにより行き場のなくなった大根がはるばるここまでたどり着いたのかもしれない。きっとハーフマラソンの参加者がもらえるはずだった大根を片手に、走らない僕は家路に着いた。

やっぱり走ることも考えてみようかな、そんなことを思いながら。


サポートを元に新しい世界を開拓して感想書きます