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鬼龍院さんからの究極のメッセージ101回目の呪い

百通目の手紙が来たら 
危うい君が消えてしまいそうで

24時間ソロキャンプで

鬼龍院さんが話していた怖い?ファンの話

その話を聞いてから
あぁ、この手紙の差出人は ” 君 ” だったんだと
私は感じた

(こちらの動画の11時間41分あたりからの話です)

その怖いファンというのは、簡単に言うと、妄想と現実の区別が付かなくなっている感じの人
自分にこんなメッセージを送ってきたくせに、なぜ結婚してくれない?(もちろん現実的にはメッセージなど送っていない。勝手にそう捉えてしまっている。)というような状態。妄想性障害と言われる人だろう

有名人にはそういった感じのファンが一定数存在しているという話は、なかなか表沙汰に、しかも有名人本人から語られる事はまず無い


しかし、鬼龍院さんは、その皆が避ける部分について自らの口で語り

さらに
「そういったファンは生きづらいだろうから、
助けてあげたい」

というような事を口にしたのだ

…普通の感覚だと、面倒だ、怖い、関わらないでそっとしておこう、と思わないものか?


そんな状態のファンにも寄り添って、さらに救える方法は無いか…と考える

それが、鬼龍院翔という人間

それを踏まえた上で
101回目の呪い 
を改めて聴くと

主人公の彼の優しさ、強さ、決意のようなものがまた新鮮に感じられる

◼️なぜ「呪い」なのか

”生きる”という事は、歌詞にもあるように
答えが無い。そして、辛い事の方が多い

実際に救いの手出しが出来ない距離にある人が
「生きろ」
と言うのは、ある意味

無責任なのかもしれない

どんな辛い事があっても生きなければならない

というのは、ある意味

呪縛なのかもしれない


「生きろ」と言いうのは
「呪い」をかける事と似ているのかもしれない

謙虚過ぎる彼なら

きっとそんな事を思って
「呪い」という表現にしたのかな…

とか思ってみたりするのだ

◼️聞き手の立場・・・

私は自分の好きな時に音楽を聴く
気分で、聴きたい時だけ


そして元気をもらい
その後は音楽の事なんて忘れてたりもする


それはある意味、都合の良い時だけ使われる
僕(しもべ)のような存在と言えなくも無い

鬼龍院さんらしい表現

この僕を信じてくれる?と


優しく寄り添う曲でそっと耳を塞ぎ


現実界の痛みから守ってくれているような


そんな風に感じる曲なのでした